2008年5月2日のブックマーク (2件)

  • 「自分にとっての真実」について (Dead Letter Blog)

    某高裁での某事件に対する判決に関して、現時点で僕が得られた情報の範囲内での感想。 判決直後に接見した弁護士の「会見で伝えたいことはあるか」との問に被告人は「自分にとっての真実を述べた」と答えたという。 「真実」ではなく「自分にとっての真実」という謙抑的な言葉を彼が選んだという点にあえて注目してみたい(それは「真実を語れ」と彼に迫った側の方が、ややもすればその謙抑性を無自覚に踏み超えていたのとは対照的であった)。そもそも「真実」など当は誰にも、人にすらも分からないのではないだろうか。仮に今過去へ戻ることの出来る装置・或いは過去に生じた出来事を忠実に再現する装置が発明されたとしよう。しかしあらゆる出来事には複数の記述が存在する(哲学的にはかなり荒っぽい言い方であることはお断りしておく)。 ex.)以下の記述は全て同一の出来事を指示し得る 「スミスはスケートボードに乗っていた」 「スミス

    coleo
    coleo 2008/05/02
  • 大日本帝国を糾弾するのに熱心な反歴史修正主義者が大日本帝国と同じようなことをしている中国に対して積極的に糾弾しているように見えないのは何故か? - 非行型愚夫の雑記

    諸君、余だ。 大日帝国を糾弾するのに熱心な反歴史修正主義者が大日帝国と同じようなことをしている中国に対して積極的に糾弾しているように見えない、と諸君が疑問に思っているようなので余が答えよう。 簡単なことだ。 正しい情報が流布されている分には批判する必要がないからだ。 正しい情報の下、諸君がどのように判断しどのように行動するかは諸君自身に委ねられているのだ。 考えてみるがよい。 反歴史修正主義は歴史修正主義に対するカウンターアクション。そもそも歴史修正主義者が偽りの歴史を流布していなければ、そういう活動をする必要は無いのだ。 反歴史修正主義者にとって、歴史修正主義者の偽りを暴くことが目的であり、大日帝国の負の歴史について発言するのは偽りを暴くための手段にすぎない。 全てがそうとまでは断定せぬが、反歴史修正主義者にとって大日帝国を糾弾するのは目的ではない。 偽りを暴くための手段として大

    大日本帝国を糾弾するのに熱心な反歴史修正主義者が大日本帝国と同じようなことをしている中国に対して積極的に糾弾しているように見えないのは何故か? - 非行型愚夫の雑記