某高裁での某事件に対する判決に関して、現時点で僕が得られた情報の範囲内での感想。 判決直後に接見した弁護士の「会見で伝えたいことはあるか」との問に被告人は「自分にとっての真実を述べた」と答えたという。 「真実」ではなく「自分にとっての真実」という謙抑的な言葉を彼が選んだという点にあえて注目してみたい(それは「真実を語れ」と彼に迫った側の方が、ややもすればその謙抑性を無自覚に踏み超えていたのとは対照的であった)。そもそも「真実」など本当は誰にも、本人にすらも分からないのではないだろうか。仮に今過去へ戻ることの出来る装置・或いは過去に生じた出来事を忠実に再現する装置が発明されたとしよう。しかしあらゆる出来事には複数の記述が存在する(哲学的にはかなり荒っぽい言い方であることはお断りしておく)。 ex.)以下の記述は全て同一の出来事を指示し得る 「スミスはスケートボードに乗っていた」 「スミス