つまり、ナポレオンという人物には惹きつけられる広範な魅惑があるかもしれないが、皇帝の計画や野心という狭い焦点を当てると、フランス国家の行動と、それに対応して動員された大規模な対抗勢力の両者から定義される「ナポレオン時代」の影響の実像を見誤ってしまうのだ。 1790年代半ばから1814年までの驚嘆すべき20年間、フランスは、ナポレオン・ボナパルトの指導の下、ヨーロッパ大陸の大部分を支配するようになった。最盛期、ナポレオン帝国はその国境を、〔北海沿岸の〕低地帯諸国、イタリア、〔バルカン半島西部の〕イリュリア地方にまで広げた。同時に、スペイン、ドイツ、イタリア、ポーランドはナポレオンの支配下に置かれ、多くはナポレオンの一族によって統治された。デンマーク、プロイセン、オーストリアは屈辱的な条件の同盟への署名を余儀なくされた。 この暴挙は、17世紀からのフランスの台頭によるヨーロッパの形成のクライマ
![アダム・トゥーズ「はじめにナポレオンありき:ナポレオンはヨーロッパ、そして世界経済をどう変えたか」(2023年12月3日)](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/5411e2ec4cef1008ac9c240628feba028e69e905/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fi0.wp.com%2Fecon101.jp%2Fwp-content%2Fuploads%2F2023%2F12%2FDavid_-_Napoleon_crossing_the_Alps_-_Malmaison1.jpg%3Ffit%3D405%252C475%26ssl%3D1)