朝日新聞SDGs ACTION!のサイトで、毎月1本の記事を連載し始めて3か月が経つ。https://www.asahi.com/sdgs/column/con/ 日本では今、パリ五輪や政治家スキャンダルなどで騒いでいるが、子どもたちは今日も明日も来年も10年後も、親や小児性愛者などに虐待されまくり続けるだろう。 大人の無関心ほど、質の悪いものはない。 僕はこの1本の連載以外は、子ども虐待をテーマにしたマンガ原作の執筆に追われ、貯金を食いつぶす日々だ。 9月で59歳になるというのに、休みなく働いている。 なんとか早めにマンガ原作を脱稿し、エリザベス・ヤング・ブリューエル女史の『子ども主義』の翻訳を急ぎたいものだが、まともな休みすら取れそうもない。 それでも、「誰もやらないなら俺がやる」という気概で仕事をしているので、貯金の減りを気にしてもいられない。 やるしかないのだ。 ★「世襲的虐待」の
SNSでは、都知事選の話題が沸騰してるようだ。 それでも、僕の関心はいつも児童虐待防止の政策の精度にある。 小池都知事は、2019年に「スピード感をもって」児童虐待の対策をすると明言したが、5年経っても結果は逆だ。 彼女が取り組めば取り組むほど、児童虐待の相談件数が増えまくっていることは、厚労省が統計を公表しているので、明らかだ。 それでも彼女に投票したい人は、「子どもなんか虐待されていてもかまわない」という構えなんだろうし、そもそも子どもの人権や命に関心がないんだ。 もっとも、日本社会自体に、子どもの人権や命を守る文化は、歴史的にないし、今もない。 そういう文化はこれから作って育てていくしかないのだが、止められない少子化によって人口が激減し、日本という国家自体が消滅していく流れを、誰も止められないだろう。 そういう意味では、より若い世代は、子どもの頃から自分で稼ぐ力を身に着けて、18歳で
X(旧twitter)を見ると、「改憲阻止!」だの、「離婚後の共同親権を廃案に!」だのと、いろいろ頭の痛い社会問題が話題になってる。 でも、僕は毎日ジャニーズ問題の風化を防ぐためにYouTubeに動画をアップし、性加害の「元社員」の捜査を求めるネット署名を応援し、「子どもを守ろう」と伝え続けてる。 だって、そういう声があまりに少ないから。 動画を撮影・拡散し、子ども虐待防止のマンガ原作を書きつつ、今月から始まる月イチのweb連載用の準備を進め、突然に届く未成年からの相談メールに長々と回答する日々だ。 一人暮らしなので、その間に炊事・食事・皿洗い・洗濯・入浴・メールの返信などを粛々とこなし、ふと時計を見れば午前5時。 ベッドに倒れて、また新たな1日の始まりだ。 こんなふうにして、子どもたちが安全に生きられる社会になる「希望」を生み、育てている。 今この時も大人に虐待されてる子の苦しみを思え
ジャニー喜多川による性加害問題は、全く終わっていない。 被害者への補償も、被害者に対する誹謗中傷対策も、再発防止策も、すべて不完全だ。 しかし、テレビや新聞などのマスメディアは、報道しなかった反省をした割に、この問題の深掘り取材をしないまま。 大勢いる被害者は、多くの方にとって他者だ。 他者の苦痛に向き合うには、どうすればいいか。 NHKのEテレ『100分de名著』では、「実証的な理論ではなく、感情に訴える方がより機能を果たす」と紹介した。 僕は毎日、この問題に関する動画を公開し続けている。 既に100本以上も公開したが、同番組ではこのように語られていた。 「リベラルな小説家、詩人、ジャーナリストは、そのような(感情に訴える)手段に長けているが、リベラルな理論家は通例、そうではない」 その通りだと思う。 フェミニストですら、「男が男に」の被害だと、ジャニーズ問題を誤読してはいないか? 第2
毎日、とにかくマンガ原作を書いている。 書き出しで何度もとん挫しながらも、終わりまでの物語が見えてきた。 そんな折、芦原さんの訃報が目に入った。 『セクシー田中さん』のドラマを見ていた矢先だったから、マンガを描く孤独な作業が理解されない苦しみの片りんはわかる。 生きている者としては、表現したいものをブレずに伝えていくことにこだわって、表現者としての魂を継いでいくしかない。 虚構を描くことは、魂のノンフィクションを作ることだ。 現実を描くことの難しさとは異なり、作者の自由度が大きいからこそ、さまざまな配慮や忖度をしていく作業中に、魂の部分でブレてしまうと、作品はそこで止まってしまう。 単なる商品として割り切れるなら、苦労はしないのだ。 常に、「自分は何を伝えたいのか」をはっきりと自覚し、自分自身に表現を問い続けていくしかない。 自分に率直であることと、読者満足度を高めることは、決して矛盾しな
4月末から、こども基本法とこども庁に関する国会質疑が始まった。 YouTubeで中継動画を見てるのだけど、1日8時間の審議もある。 見るだけで大変だ。 でも、誰が何を言い、どこまでこどもの人権を考えているのかについて知る上で、国会という公の場での発言は重要だ。 しかし、国会議員に対してアドバイスをするはずの参考人として招かれた4名の有識者は、「こども家庭庁」という名称について議員に問われても、まともに答弁しなかった。 いや、知識しか持たず、痛みに共感する履歴のない人たちには、できなかったのだ。 もし、親から虐待されている子どもの声をふだんから聞いている人なら、政府の省庁名に「家庭」が入ることで子どもが恐怖し、萎縮し、気軽に相談できる役所として期待されないことは、誰でもピンとくることだからだ。 こうして、「知識はあっても痛みを知らない」有識者の声が国会で大きくなれば、「専門家ファースト」かつ
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