神戸市教委が文化財指定した手紙の写し。俊成は書の名人でもあり、芸術性の高さも指定の一因だったという(香雪美術館提供) 「小倉百人一首」の選者として有名な鎌倉時代の歌人、藤原定家には、“若気の至り”があった。20代のとき、先輩貴族を殴り、天皇の側近を外される一大事。この危機を救った父俊成の「嘆願書」の写しが神戸市内に現存し、同市教育委員会が今春、有形文化財に指定した。定家を迷子の鶴に例え、和歌を交えて切々と許しを請う文面には、親心がにじんでいる。(小川 晶) 定家のトラブルは、同時代の貴族の日記「玉葉(ぎょくよう)」に残る。1185年11月の「新嘗祭(にいなめさい)」の最終日、皇族らの前で舞姫が踊りを披露している最中に、木製の照明具で先輩貴族を殴りつけたという。 冷笑され、突発的に暴行したとされるが、晴れの場での乱心に、定家は天皇の側近「殿上人」から除籍される。翌春になっても処分が解けないた