1989年の平成への改元で、考案者の一人だった目加田(めかだ)誠九州大名誉教授(94年に死去)が生前に残した元号案を推敲(すいこう)したとみられるメモが見つかった。政府の最終案に残った「修文(しゅうぶん)」のほか、「普徳(ふとく)」「靖之(せいし)」など20を超える案が手書きで記されている。最終的に採用されなかったが、政府が現在も公表していない平成の選定過程の一端を示す貴重な史料だ。 目加田氏の自宅があった福岡県大野城市が2011年秋ごろ、遺族から寄贈の相談があった遺品を整理していた際に見つけた。市は目加田氏と親交のあった竹村則行・九州大名誉教授(中国文学)と共同で内容を分析し、筆跡などから目加田氏のメモだと判断した。