以前から何度か類似したような記事をアップしているので、「あぁ、またか?」と思われる方もおられるでしょうが、今度のも或る言葉が道元禅師に仮託されて採り上げられている場合があったので、批判的に検討してみます。 山僧活計茶三畝 漁夫生涯竿一本 こちらの言葉です。訓読すれば、「山僧、活計す茶三畝、漁夫生涯、竿一本」ということで、僧侶である私は、茶三畝のみがあれば生活でき、漁夫も生涯に竿一本があれば生活できる、という或る種の枯淡な生活を意味しているようです。確かに、禅僧風ではありますが、道元禅師の教えに契うか?というと、なるほど、若い30代の頃に説かれた『正法眼蔵随聞記』は該当するかもしれませんが、晩年の教えには、流石にここまでの枯淡さは見えないように思います。 ということで、以前、或る御寺院様から、道元禅師がお茶について説いた説法があり、それを、有名な某“元編集者”が自著に引いたそうで、それで問い