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2011年7月11日のブックマーク (8件)

  • 「ロスジェネ」ブームが終焉した理由と、赤木智弘さんが気づいた「エコヒイキ」問題

    2011年度の労働経済白書の発表を受けての議論。前半では、ポストロスジェネ世代では正社員化したあとこそが過大なのではないか、また若者の労働運動がどのような課題を抱えているかをNPO法人POSSEの今野晴貴が論じてます。 その流れから後半では、赤木智弘さんが、社会学者の久保田裕之さんとなぜ自分は若年男性労働者を「えこひいき」するのかを論じています。

    「ロスジェネ」ブームが終焉した理由と、赤木智弘さんが気づいた「エコヒイキ」問題
    cranehills
    cranehills 2011/07/11
    はからずもロスジェネ世代から擬似的にポストロスジェネ世代へスライドした身としては、いろいろ考えさせられる。
  • 政府広報ってなんだ: 天野祐吉のあんころじい

    これ、1982年から86年にかけての「政府広報」です。 原発の安全性をアピールするものの中からほんの一部を選びました。 「広告批評」の87年6月号で、こうした広告をたくさんとりあげ、 高木仁三郎さんにこまかくその嘘を指摘してもらったり、 広瀬隆さんと野坂昭如さんに反原発論を書いてもらったりしたのですが、 いま改めてこうした政府広報を見ると、 そのこわさにぞっとしてしまいます。 「世界一の技術が、日の原子力発電を支えています」だそうで。 じゃあ、世界中で原発事故が起こっても不思議はないわけですね。 (写真上)「原子力発電は『安全』をすべてに優先させています」。 そうですか、すべてに優先させていたのは、お金じゃなかったんだ。 (写真下)万全を期していたのは「安全確保」じゃなくて「利益確保」でしょう。 (写真上)夜は電力が余っているんじゃなかったんですか? (写真下)原発がないとコアラは呼べな

    政府広報ってなんだ: 天野祐吉のあんころじい
    cranehills
    cranehills 2011/07/11
    細かいようだけど、最初の「電気事業連合会」は政府公報ではないのでは。
  • メディアを叩く優れた方法(UKバージョン)。

    ではあまり話題にもなってないけど、ちょっと気になったのでメモ。 ことの発端(といえるかどうかは分からないけど)この記事。 http://www.guardian.co.uk/uk/2011/jul/04/milly-dowler-voicemail-hacked-news-of-world ルパート・マードック帝国配下のNews of the Worldていうイギリスのタブロイド紙が2002年の3月に失踪(結果は誘拐殺人)した13歳のミリー・ドウラーっていう少女の捜査を邪魔したというハナシ。何かと言うとNews of the Worldに雇われた探偵が彼女の携帯のボイスメッセージを聞けるようにハックして、その内容をゲットした。ところが、ボイスメッセージがイッパイになったので途中で消しちゃったと。それで、家族は彼女が生きててそれを自分で消したと思ってしまった、という顛末。結果的には捜査の

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    cranehills 2011/07/11
    「雇われた探偵が彼女の携帯のボイスメッセージを聞けるようにハック」まずこの時点で日本ではありえない。
  • 「トレインスポッティング」の意味についての正しい理解 - *The Best of Both Worlds*

    1990年代のイギリス映画を代表する作品に『トレインスポッティング』があります。これはスコットランドのエディンバラに暮らす薬物中毒やアルコール中毒といったろくでもない老若男女の日常をスタイリッシュに切り取った物語です。主演はユアン・マクレガー、あとは僕の愛するロバート・カーライルなど。監督はダニー・ボイル、原作はアーヴィン・ウェルシュ。ここに挙げた四名すべてスコットランド人。そんな素敵な映画です。 ところでこの「トレインスポッティング」というタイトルはしばしば謎を呼んできました。いったいどんな意味なのか、外国人である日人だけではなく、当のイングランド人やスコットランド人にもよくわからない。当然、もっともらしく書かれている日語のネット上のソースも、全て間違っているか、もしくは間違ってはいないけど正しくもない、そんなものしか見つかりません。 まず、大前提として、トレインスポッティングの辞書

    「トレインスポッティング」の意味についての正しい理解 - *The Best of Both Worlds*
    cranehills
    cranehills 2011/07/11
    ひとつ謎が解けた。
  • Hadoop 第2版

    「象」の名前で親しまれる『Hadoop』の改訂版です。 Hadoopの基礎から応用までを包括的に解説する初版の充実をそのままに、Pig、HBase、Hive、Sqoop、Avroなどサブプロジェクトセキュリティについても大幅に加筆、より実務に対応できる内容になりました。Hadoop 0.1系に加え、0.2系に関する情報も併記。日語版では「NTTデータの実証事業におけるHadoop活用のポイント」を付録として掲載しています。Hadoopの全体像を網羅し、かつ実践的なトピックを盛り込んだ書は、Hadoopに関心あるすべての人に必携の一冊です。 序文 訳者まえがき はじめに 1章 Hadoop事始め 1.1 データ! 1.2 データの保管と分析 1.3 他のシステムとの比較 1.3.1 RDBMS 1.3.2 グリッドコンピューティング 1.3.3 ボランティアコンピューティング 1.4

    Hadoop 第2版
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    cranehills 2011/07/11
    オライリーの象本に2版が出るのか。
  • 白菜と豚肉の蒸しスープ:履き違えている言論の自由、何をか言わんやですが: godmotherの料理レシピ日記

    今日も白菜料理で、張り切っていますよー。小規模な家族や独り者で、一個の白菜を旬でべきるというのは、努力でもなんでもないです。料理方法や献立がはっきりしていると、丸ごと買って来ることに躊躇しませんし、1個買いの方が経済的ですね。と、いうお話しは、毎年言っているような気がします。 白菜と豚肉を交互に挟んで、塩と胡椒だけの白菜の蒸しスープは最高に贅沢です。山のようにあるかと思う白菜が、じっくり蒸すことで、1/3程の嵩になってしまうほど水分が出てしまいます。これにじっくり時間をかけている間に、ほかのおかずを作ることもいいと思います。簡単ですし、手間はかかりませんので「短時間料理」のカテゴリーです。 かく言う私は、蒸している間に、他所様のブログへ徘徊していました。そこでちょっと気になったことです。ここで私が呟くような内容とは全く違う、学者や識者の方が話す様な、学術的な内容や社会派的なブログによく有

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    cranehills 2011/07/11
    このスープ美味しそう。ブログの書き方も重層構造。
  • ほぼ日刊イトイ新聞 - おとなの小論文教室。

    Lesson539 おかんの昼ごはん 連休、 ふるさとに帰ってみると、 おかんが「老いて」いた。 一緒に、夕飯のしたくをしながら、 あぜんとした。 おかんは自分から始めようとしない。 私にやらせようと、 指示ばかりしている。 「きゅうりを切って」とか、 「うなぎを温めて」とか、 私が言われたことをやっていると、 そばにひっついてばかりいる。 じっと見ていたり、 無駄話したり、 私の切り方に注文をつけたり、 いっしょに切ろうとしたり。 分担というか、分業が、いっこうにはかどらない。 「おかあちゃん、卵を焼いたら?」 私は、分業をうながした。 どう考えたって、 手分けしたほうが早い。 おかんは、そろそろと、ボウルをもってきて、 私のほうへ向けて言った。 「ほんなら、ここへ、 卵をわって、いれてェ。」 わたしは、苛立つような、哀しいような、 泣きたいような気分になって、つい声をあらげた。 「おか

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    cranehills 2011/07/11
    老いるとは。
  • 「地域振興」という美名の下で - 一本足の蛸

    最近、なんとなくぼんやりと考えていることを、あまりまとまりもないままに適当に書き飛ばすことにした。読みにくいかもしれないので予め謝っておく。ごめんなさい。 さて、「地域振興」だ。括弧に入れたのは、この語を使用(use)するのではなく、言及(mention)しているということを表すためだが、だからといって字面に拘るつもりはない。別に「地域再生」でも「地域活性化」でもいいし、「地域」を含まない「まちづくり」や「むらおこし」でも構わない。それぞれ少しずつニュアンスが違うことばだが、ここではそのような細部には立ち入らない。以下、これらの語を「地域振興」で代表させることにする。 「地域振興」を声高に主張する人々がいる。役所やその外郭団体に多いが、商工会や観光協会などの民間団体の中にもいる。「地域振興」はよいことであり、それは是非とも推進しなければならないことだ、と考えられている。そのような人々の活動

    「地域振興」という美名の下で - 一本足の蛸
    cranehills
    cranehills 2011/07/11
    地域振興が錦の御旗として通用してしまう背景には、「過疎化は回避すべき」という共通認識があると考えられているからだろう。振興なき過疎化回避はありえるのだろうか。