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社会とマンガに関するcrow_henmiのブックマーク (2)

  • こうの史代氏への違和感 | 日々の雑感

    8月も終わりに近づく。 こうの史代『夕凪の街 桜の国』 『この世界の片隅に(全三巻)』 (いずれも双葉社)を再読する。 繊細で深い描写に感嘆しつつ (作画においても、背景にスクリーントーンを使わず、 すべて、青木雄二氏のように手描き)、 どうしようもない違和感を、私はぬぐえない。 戦時中の広島・呉を舞台にしていて、 なんで在日朝鮮人に関する描写がないんやろ? 特に「夕凪の街」の主人公が暮らす 「スラム」には、多くの朝鮮人が彼女のそばに、 まちがいなくいたはずやのに・・・・ 中沢啓治氏の『はだしのゲン』には、 朝鮮人被爆者が、リアルに描かれていた。 こうの氏の作品群は、傑作である。 淡々と語りつつ、深く胸に迫る力は、この作家ならではのもの。 それゆえ、私は恐れる。 彼女の巧みな絵と語りが読み手に、 「原爆被害」「戦争被害」を、「日人だけの被害」 として受け止めさせる後押しをするのではないか

    こうの史代氏への違和感 | 日々の雑感
  • ゼロ年代の想像力雑感――主体性とレイプファンタジーについて―― - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)跡地

    宇野常寛「ゼロ年代の想像力」の提示した問題のフレームは確かに興味深いのだが、同時にさまざまな異論をあげたくなるような強引な部分が存在する。それについて、少しばかりメモしておきたい。 主体性の素朴な扱い 宇野常寛の議論にひとつだけ異を唱えろといわれたなら、迷わず彼の「主体」に対する執着をあげる。これは彼の議論の根幹である動員ゲーム論から、細部であるレイプファンタジー批判にまで応用できる。彼は主体が能動的決定者であるように単純化して取り扱うが、実際のところ、主体というのは「われあり」という根源的な部分と、それが世界と向き合うことで発生する「われかくあり」という倫理=表現的部分とに分かれる。そして人間は後者の主体性を生きている、といえる。 このような主体性は、世界と自己との関係性――すなわちコンテクストの中での暫定的なものでしかないにもかかわらず、再帰的に強化されていくという性質を持つ。これを宇

    ゼロ年代の想像力雑感――主体性とレイプファンタジーについて―― - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)跡地
    crow_henmi
    crow_henmi 2009/06/05
    宇野常寛の「主体性」概念の扱いやレイプファンタジーの議論について。
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