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2008年12月24日のブックマーク (5件)

  • どこから来たのか - end-of-scan

    「どこから来たのか」「どこへ行くのか」という根源的な問いに対し、後者はよく問われるが前者はおざなりになる。特に近年その傾向が増しているのかも。主人公がやんごとなき人の末裔であることが途中でとってつけたように語られたり、ヒロインの行動原理がすべてトラウマに帰結したり。 物語にかかわらずリアルででも見られる。思いが大事ってな決断主義厨とか、マッチョな人とか。結局それでは相手に意思が伝わらない。コミュニケーションの機会は増えるかもしれないけど、コミュニケーションの能力は低いままだ。過去を亡霊として押し込めるという文法が、20世紀の呪縛として残っている。結果、総じて密度・質量がない。 日語が亡びようが亡びまいがどうでもいいのだけど、存在意義みたいなところから溢れ出る文体というものは確かに減っている、あるいはあっても軽くなっている。自分がスれてしまったからかな。一文一文を貪るように読む感覚が減って

    どこから来たのか - end-of-scan
  • 分裂した「われわれ」の戦争責任、あるいは天皇制廃止論- 過ぎ去ろうとしない過去

    3週間ほど前、ネトウヨの気が限りなく強いと個人的には思っている、ミスター・イースト元門下生としておなじみの某F氏とチャットで一晩話したのだが、彼は自分はネトウヨだと思っていないという。なぜかと問うと、「自分は日を憎んでいる」という。「アイヌを虐殺した*1日が憎い。(北海道出身である自分は)そう(日を憎めと)教育された」と。ぼくも北海道出身ではあるのだが、もちろんそんな教育は受けていないし、そんな教育をする教師など聞いたことがない。まあともあれ、彼の言っていることが事実であるとして、「アイヌを虐殺した日を憎む」ことを、すんなりと受け入れることができる彼の心性がぼくは不思議でならなかったのだった。 つまり、ぼくも恐らく彼も「血統的には」3代続いた日人の家系であるし、いやそれ以前にわれわれが今この時点で「日国民」であるのだから、いやおうなしに(それはパスポートを見るだけでわかる)「日

    分裂した「われわれ」の戦争責任、あるいは天皇制廃止論- 過ぎ去ろうとしない過去
  • フランスからの手紙―ある哲学研究者の東浩紀批判 - toremokoの日記

    フランスに留学中のサルトル研究者に東の劣化がひどいよと話してみたところ、メールが届いたので転載する。東批判は一通りなされた感があり、また、先日の常野さんの活躍によって東の小物振りが明らかになって、東の言説自体を取り上げることも少なくなってきていると思うけれど、サルトル研究者からみた東及び「ポストモダン」というのはこれで面白いと思う。 最初に断っておきたいが、知っての通り日語文献が揃えにくい状況にあるので、どっかのから引用する場合は、邦訳が存在する場合でも原書から俺が直接訳している。そのため、細心の注意は払うが、特にデリダのついては誤訳の可能性を否定しきれない。いずれにせよ、翻訳の責任は完全に俺に帰する。 東の発言について参照したブログの類は、お前から教えてもらったものがほとんど。 以下の通り。 http://d.hatena.ne.jp/toled/20081128 http://wa

    フランスからの手紙―ある哲学研究者の東浩紀批判 - toremokoの日記
  • 事実はSFよりも奇なり「操作される脳」

    「メタルギア・ソリッド」が、"近未来"でなくなっている件について。 がんばりすぎのスネークは別として、軍関係者の悩みのタネは、「ためらう兵士」だそうな。「発砲をためらう兵士たち(Men Against Fire,1947)」によると、実戦で発砲するのは15~20%にすぎないという。発砲率なら訓練で向上できるが、兵士といえど人だ、ストレスや疲労はエラーを招き、戦場でのエラーは死を招く。 死なない兵士はムリとしても、せめて、死ににくい兵士はできないだろうか?この発想をもとに、生物学的なパターンを改変して戦闘用にする研究がなされている。恐怖や痛みを感じずに突撃し、見聞きしたすべての情報を丸ごと記憶している。傷を受ければ即座に自己治癒し、睡眠べ物なしでも活動可能な兵士をつくりあげる。 リアルタイムに指示を伝えるヘッドセットはゲームより楽だ。なぜなら、どちらへ向かって進むかは自分で判断しなくても

    事実はSFよりも奇なり「操作される脳」
  • 決定(決断)不能性と決断(決定) - Living, Loving, Thinking, Again

    http://d.hatena.ne.jp/toremoko/20081219/1229682735(Via http://d.hatena.ne.jp/noharra/20081219#p2 ) この余白にデリダ『法の力』からの引用を書きつける。 ある決断が正義にかなうものでありかつ責任ある/応答可能なものであるためには、その決断はそれに固有な瞬間において――このような瞬間があるとして――、規制されながらも同時に規則なしにあるのでなければならないし、掟を維持するけれども同時にそれを破壊したり宙吊りにするのでなければならない。すなわち、それぞれのケースにおいて掟を再発明しなければならないほどに、それを正義にかなうようにし直さねばならないほどに、掟を破壊したり宙吊りにする必要がある。あるいは少なくとも、自由にそれにまったく新しい確証を与える、というかたちで掟を再発明せねばならなくなるほどに、

    決定(決断)不能性と決断(決定) - Living, Loving, Thinking, Again