タグ

ブックマーク / dain.cocolog-nifty.com (38)

  • アグリカルチャーとアグリビジネスの間「食の終焉」

    」から斬ったグローバリゼーションの質。 にまつわる、生産、加工、流通、消費の巨大なサプライチェーンを「システム」と捉え、綿密な取材に基づき、それぞれの最前線で何が起きているか、互いにどう作用し、どこに向かっているかを分析する。激しく納得させられる一方で、厳しく反論したくなる、刺激的な一冊。 500頁超のボリュームと、農学、経済学、生物学、人類史、環境工学、遺伝子工学、マネジメントと分野を跨がるアプローチにたじろぐが、どの切口も「目的」が鮮やかで、スリリングだ。というのも、これは犯人探しミステリのように読めるから。 十億人が饑餓で苦しむいっぽう、十億人が肥満に悩んでいるのはなぜか?とても安全とはいえないものが品流通に入りこむのはなぜか?生産者から搾り取られた利益はどこに"消えて"いるのか?そもそも、なぜこんなに製品が安いのか? 槍玉になるのは、品総合商社、世界的な品メーカー

    アグリカルチャーとアグリビジネスの間「食の終焉」
  • ソクラテスは死ね、豚は転がれ―――プラトン「国家」

    質問には質問で返す。詭弁術を駆使し、言葉尻をとらえて後出しジャンケンする。「無知の知」とは、「知らないということを知っている」よりも、「僕は無知だから教えて」と先にジャンケン出させるための方便だ。論敵を排し、取り巻きを並べたら、後はずっと俺のターン。 騙されるな、ソクラテスは、とんでもないわせものだ。太ったソクラテスよりも、痩せたブタのほうがマシだ、ブタはえるが、ソクラテスはえない奴だから。 比喩でもって説明した後、その比喩が事実であるという前提で論を重ねる。反論もそう、極端な例外を持ってきて事足れりとみなし、一点突破全否定オッケーとするのは酷すぎる。さらに多重レトリックが汚い。AをBに、BをCに言い換えて、最後のCにだけ噛み付くオオカミの強弁だ。「詭弁のガイドライン」を参照し、どれを用いているか確認しながら読むと、良い(?)勉強になるだろう。 修飾語と関係代名詞が多用される文章は、

    ソクラテスは死ね、豚は転がれ―――プラトン「国家」
  • 「あずけて!時間銀行」はスゴ本

    キャラ、テーマ、プロットの全てが素晴らしい、ストライクのラノベ。萌えながら泣きながら読む。出し惜しみせず全2巻で完結しており、終わるのを惜しみながら読む。 もちろんミヒャエル・エンデの歌取りだが、さらに拡張して、「キャッシング」「口座振替」「利子」なんて概念がある。主人公は時間を「キャッシング」して、残りわずかな人生を引き伸ばすために、時間銀行員の助手のバイトをしている。バイト料は時間で支払われるから、文字どおり「時間稼ぎ」のバイトだ。 キャラからいこう。没個性な「灰色の男」とは対照的に、女のコがいい。無表情で敬語なので「長門さん?」と予断したら違ってた。時間銀行員という業務にマジメなのだ。だからスカートまくられたら怒るし恥ずかしがるし反応がいちいち初々しい。秘めた思いが暴されて顔真っ赤になるトコなんて、読んでるこっちがアツくなる。 他にもロリからグラマー、熱血レズから凶女までそろえてい

    「あずけて!時間銀行」はスゴ本
  • わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる : ついに「隣の家の少女」を超える劇薬を読む

    (このエントリには残酷な描写がありますよ) 怒り、恐れ、憎しみ、悲しみ…負の感情を与える小説を探してきた。特に読後感がサイアクの気分を味わえるような、そういう小説を探してきた。読むだけで嫌悪感、嘔吐感、恐怖感を掻き立てる、イヤ~な気分にさせる小説。「感動した!」「お涙ちょうだい」なんて糞喰らえ。読んだ記憶ごと抹消したくなる"劇薬"をよこせ。 …という企画「劇薬小説を探せ!」[参照]で、皆さまのオススメを片端から読んできた。一口に"劇薬"といってもカゼ薬からシアン化ナトリウムまでいろいろ。 「隣の家の少女」という劇薬 毒素の高いものランキングすると、こうなる こうなっていた。 1.隣の家の少女(ジャック・ケッチャム) 2.獣舎のスキャット(皆川博子) 3.暗い森の少女(ジョン・ソール) 4.ぼくはお城の王様だ(スーザン・ヒル) 5.砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない(桜庭一樹) 6.蝿

  • セカイ系の近未来SF「虐殺器官」

    スゴオフ@ミステリで惹かれて手にしてイッキ読み(カネヅカさんありがとうございます)。ガジェットとウィット満載で大いに楽む一方、マイノリティ・リポートとメタルギア・ソリッド(MGS)を足して割ったようなセカイにくたびれる。 延々続く「僕の語り」が特徴的で、過去と悪夢と現在を説明なしに並べてみせる。同じ脳内だから分け隔てしないよ、という手法は好きなんだが、骨子はかなり単純だ。個人認証による厳格な管理社会を突き進む「先進国」と、搾取と内戦と環境破壊が凄まじい「後進国」、キレイに分れた近未来。大量虐殺を引き起こす「虐殺の器官」を追う米軍特殊部隊のエリートが主人公で、徹頭徹尾、彼のモノローグに付き合わされる。 この「語り」が面白い。自分(の感情)をつき放して論理を積み上げる冷静さと、母の半生をうじうじ思い悩むマザコン根性が代わりばんこに浮かんできて妙にリアルだ。冷たいユーモアも笑える。屠殺した鯨や

    セカイ系の近未来SF「虐殺器官」
    crow_henmi
    crow_henmi 2011/01/03
    伊藤計劃をセカイ系と云ってしまうのは問題があって、むしろ自己の感覚世界が「外部」に徹底的に影響されている――セカイが自己へと否応なく侵入してくる逆セカイ系と呼ぶべき。という本人談があった。
  • 処女でない少女には、何が残るか?「聖少女」

    少女から処女を引いたら、「う」しか残らない。そしてその「う」は、嘘の「う」だ。少女とは、処女と嘘から成り立っていることを知らされる、倉橋由美子の傑作。 やはり、作品にはふさわしい「読むべき年頃」がある。フィクションにまつわる仕掛けに不慣れな人が読んだら、ガツンと犯られる。高校生ぐらいのウブ(?)なわたしに読ませてやりたいw、いわゆる美少女ゲーム(死語)慣れしているなら、「交通事故」「記憶喪失」「遺された手記」の設定だけで見抜くだろうね(むしろ、これこそギャルゲのご先祖様だッ)。とはいえ、描写はリアルだ。 あたしははずかしさのあまり身悶えしました。熱い樹液のようなものが脚から胴へ、それからパパに捕らえられている果実の尖端にまで、はげしい勢いでのぼってくるのを感じながら、あたしは首を反らせ、パパの顎の下に頭をもたせかけていました。パパハアタシの胸がマダカタクテ樹ノ幹ミタイダトイウノカシラ? 残

    処女でない少女には、何が残るか?「聖少女」
  • 恐竜の飼いかた教えます

    家庭用から軍関係まで、ニーズに合った恐竜を紹介し、入手方法や飼い方を解説する。 ヴィクトリア女王がいいことを言っている。「恐竜に飽きた人は、すでに人生に飽きている。なぜなら、恐竜には人生がもたらす全てが備わっているのだから」。"恐竜"と一口でくくっても、賢いもの、速いもの、芸達者なものと沢山ある。そんな中から、価値観や趣味・用途に応じて、最適なパートナーとなる種類を教えてくれる。 たとえば、初心者がマンションで飼うなら。コンピー(コンプソグナトゥス)が一番だという。ニワトリぐらいの小ささながら、順応性や耐寒性が高く、飼い主に従順だからだ。排泄のしつけも覚えられる知能もあり、キャットフードや残飯で育つ。なによりも子ども好きなところがいいそうな。 あるいは、収益性の高い牧場経営に向いているのが、リオハサウルスだという。パンパスに放し飼いにし、新興ハンバーガーチェーンに提供するわけだ。同時に、ス

    恐竜の飼いかた教えます
  • わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: 人体売買の告発書「ボディショッピング」

    もぎたてフレッシュ!角膜  $30,000 つみたてフレッシュ!肝臓  $130,000 とれたてフレッシュ!心臓  $150,000 あなたの生命          priceless 人の臓器や細胞、組織が売買されている。 赤ん坊から遺骨まで、あらゆる人体組織が商業目的で用いられている。肉体の商品化とマーケットの実体を明らかにしたレポートをいくつか読んできたが、書は類書と明確に一線を引いている。大勢が賛成もしくは条件付き容認している一方で、書は明確に反対の立場をとっている。すなわち、遺伝子や体内組織を加工し、販売して利益を得ることについて、警告し、抵抗することを目的としている。 たとえば、精子バンクと卵子バンク。別々に精子と卵子が選ばれてきたものを、まとめて選べるようになっただけだから、新たな倫理的問題が発生するわけではないという主張がある。これを、ワンストップショッピングだと断じ

    わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: 人体売買の告発書「ボディショッピング」
  • 小説家のバイブル「小説の技巧」

    小説は自由だ。何をどう読もうと勝手だ。 けれども、小説から快楽を得ようとするなら、その技巧を知ることは有意義だ。前立腺やGスポットの場所を知らなくてもセックスは可能だが、より快楽に貪欲になるのなら、知っておいて損はないのと一緒(訳者の柴田元幸はもっと上品に、「ショートカットキー」に喩えてた)。「ヤってるうち自然と身につく」という奴には、「愚者は経験に学ぶ」という箴言を渡す。快は無限だが、生は有限。読める数は限られている。 同時に、小説書きにとってはバイブル級。読者を快楽の絶頂へ導く手引きが解説されているのだから。プロットやキャラといったハウツーを超え、マジック・リアリズムや異化、多声性、メタフィクションといった質的なレベルで語られる。しかもサリンジャーやナボコフ、ジョイスといった練達者のテクストが俎上乗っている。心してかかれ。 ただし、いそいで付け加えなければならないのは、「知る」ことと

    小説家のバイブル「小説の技巧」
  • 「詩学」は原則本

    古典というより教典。小説、シナリオなど、創作にかかわる人は必読。 著者アリストテレスは、悲劇や叙事詩を念頭においているが、わたしはフィクション全般に読み替えた。フィクションを創造するにあたり、観客(読み手)に最も強力なインパクトを与え、感情を呼び起こすにはどうすればよいか?構成は?尺は?キャラクターは?描写は?「解」そのものがある。 これは、「現代にも通ずる古典」というのではない。二千年以上も前に答えは書かれていて、今に至るまでめんめんとコピーされてきたことに驚いた。書が古びていないのではなく、新しいものが創られていないんだね。 著者に言わせると、わたしたちヒトは、「再現」を好むのだという。この概念はミーメーシスといい、模倣とも再生とも翻訳される。現実そのものを見るのは不快で、その現実を模倣したもの――演劇だったり彫刻、絵画だったりする――を見るのを喜ぶのだという。彫刻や舞台を用いること

    「詩学」は原則本
  • ガツンときたスゴ本「パレスチナ」

    アメリカ人のジャーナリストから見た「パレスチナ」が迫る。 書を稀有なものにしているのは、「マンガ」なところ。画き手はジョー・サッコというマンガ家。フォト・ジャーナリストではなくコミック・ジャーナリスト、つまりマンガでパレスチナ問題に斬りこんでいるのだ。著者は1991年にヨルダン川西岸地区とガザ地区を訪れ、専ら占領地区のパレスチナ人にインタビューをする。そのときの感情、状況、境遇をつつみ隠さず、あまさず描きつくす。下手な物語化なぞせず、自分自身が登場し、一人称で語る。 いわゆる「マンガで分かる」ものではないことに注意。「分かりやすさ」なんぞ、これっぽっちも無い。入り組んだ主義・信条・身の上話をそのまま画き下す。「アラブ対ユダヤ」あるいは「イスラーム対イスラエル」といった対立構図を見ることも可能だが、さらに相対化され、「そうした構図で見ている人」として画かれている。 この相対化というか、取材

    ガツンときたスゴ本「パレスチナ」
  • 「ロリータ」はスゴ本

    ロリータという幻肢。 かつて読んだはずなのだが、「見た」だけだった。ストーリーをなぞり、会話を拾い、あらすじと結末が言えるようになることを、「読む」と信じていたことが、痛いくらいわかった。 というのも、先日読了した「小説のストラテジー」[レビュー]によって、新しい目を手に入れたからだ。この感覚のおかげで、プルーストのコメントがようやく理解できた。曰く、「当の発見の旅とは、新しい景色を探すことではない。 新しい目を持つことなのだ」。次から次へと、とっかえひっかえ読んでいても、「発見」はある。それは、かつて読了した記憶への反応であって、当の発見にはほど遠い。 じゃ、「当の発見」とは何ぞや? 今回の読書で発見したもの――それは、濃度と速度。 「文章を味わう」といった自分でも説明できない言い方ではなく、物語や描写の濃度と速度そのものから快感を得る。アクセルを踏んでスピードがぐっとあがるときに

    「ロリータ」はスゴ本
  • スキとかキライとか、最初に言い出したのは、誰なのかしら→今からそいつを、これからそいつを、殴りにいこうか→「神のみぞ知るセカイ」

    スキとかキライとか、最初に言い出したのは、誰なのかしら→今からそいつを、これからそいつを、殴りにいこうか→「神のみぞ知るセカイ」 あらゆるギャルゲーを極め、「現実なんてクソゲーだ」と、断じる主人公は正しい。 空から降ってきた小悪魔が主人公に課す試練。それは、「女の子の心のスキマを恋で埋める」こと。そのために、ターゲットとなったオンナの子を攻略し、キスをすることが必要となる。ところが問題が。主人公の男の子はコアなギャルゲーマー、つまり3Dの少女には興味がないのだ。 あいや、待たれい。設定がギャルゲだからといって、ギャルゲーマー御用達だけとは限らないぞ。攻略対象を分析し、自分の現在位置を把握する。そのギャップを埋めるための施策を、実績あるパターンから取捨選択し、最も効果的な手法からステップを踏んで適用する――カッコイイ言い方していいなら、コンサルタントの Fit and Gap Analysi

    スキとかキライとか、最初に言い出したのは、誰なのかしら→今からそいつを、これからそいつを、殴りにいこうか→「神のみぞ知るセカイ」
  • 形而上の快楽「小説のストラテジー」

    快楽の装置としての小説論。 「なぜ小説を読むと気持ちいいのか」が腑に落ちた。この「読み」は佐藤亜紀自身の読みなのだが、わたしのような門外漢でも参考になる。自覚的にこの快楽を享受できるか、次からは意識して読むつもり。 経験として、わたしは知っている。ある描写のスピード感が心地よいことを。あるいは、物語に鼻先をつかまれて、ひきまわされる悦び(?)を。鳥瞰的なカメラがぐっと近づいていく速度や、二転三転ドンデン返しの遠心力を愉しむ――こんな散文的にしか書けない「小説の快楽」、その仕組みを、綿密に説明している。 キーワードは「運動」。記述の対象が移りかわる運動によって「快」がもたらされるといい、アイキュロスのアガメムノーンにおける炎に着目する。炎は描写としてのかがり火だったり、憎悪や情炎の象徴だったり、戦火そのものだったりするが、その炎が時間・空間を渡っていく運動を感じ取ることで、そこに「快」を感じ

    形而上の快楽「小説のストラテジー」
    crow_henmi
    crow_henmi 2009/01/30
    ジャンル小説読みには挑戦的読書ができないみたいな揶揄をされたりするので困る。
  • 人類を救うためのトリアージ「五〇〇億ドルでできること」

    ヒステリックな学者や、不安を煽るだけのマスコミに読ませたい一冊。 「待ったなし」と表現される問題がある。地球環境、水資源や糧の枯渇、飢餓と貧困、感染症の拡大などがそうだろう。しかし、「待ったなし」と言われてから、いったい何年、何十年経過しているだろうか? いや、こうした問題に取りくむ人々や組織・機関がサボってたわけではない。割り当てられた資源のなかでやりくりしながらそれぞれの責務を果たしてきたはずだ。では、どうしてこうした問題の解決が遅々としているのだろうか? 資源が足りない?足りないのはどの問題も同じ。むしろ、問題に応じて割り当てられていないため、効果的に活用されていないのではないか。そのときの風潮を受け、場当たり的に資源の逐次的投入をしてきたためではないか──書を読むと、そう考えるようになる。 世界のためにあと500億ドル使えるとしたら、どの問題から解決するべきか?一流の経済学者た

    人類を救うためのトリアージ「五〇〇億ドルでできること」
  • 事実はSFよりも奇なり「操作される脳」

    「メタルギア・ソリッド」が、"近未来"でなくなっている件について。 がんばりすぎのスネークは別として、軍関係者の悩みのタネは、「ためらう兵士」だそうな。「発砲をためらう兵士たち(Men Against Fire,1947)」によると、実戦で発砲するのは15~20%にすぎないという。発砲率なら訓練で向上できるが、兵士といえど人だ、ストレスや疲労はエラーを招き、戦場でのエラーは死を招く。 死なない兵士はムリとしても、せめて、死ににくい兵士はできないだろうか?この発想をもとに、生物学的なパターンを改変して戦闘用にする研究がなされている。恐怖や痛みを感じずに突撃し、見聞きしたすべての情報を丸ごと記憶している。傷を受ければ即座に自己治癒し、睡眠べ物なしでも活動可能な兵士をつくりあげる。 リアルタイムに指示を伝えるヘッドセットはゲームより楽だ。なぜなら、どちらへ向かって進むかは自分で判断しなくても

    事実はSFよりも奇なり「操作される脳」
  • 祖国とは国語である「完本・文語文」

    国語としての日語を考えるなら、夏彦翁に訊け。 山夏彦にいわせると、明治の日人は文語を捨てたんだそうな。平安時代から千年かけて洗練された日語を手放し、西洋語の翻訳を「日語」としてあらたに発明したのが、いまの国語となっている。 文明開化は東洋を捨てて西洋を学ぼうとして、皮相だけを学んで根に及ばなかったから私たちはその両方を失ったのである。 そして、文語を捨てたことにより、詩は朗誦にたえなくなり、読者を失ったという。じっさいの終焉は御維新ではなく、新聞の社説が文語から口語に変わった大正十年まで続いたんだと(詩が全部口語自由詩になったのもこのころ)。 わたしの場合、さいしょから無い世界で呼吸してきたからピンとこない。だが、少し引いてみるならば、千年の言語を捨ててから百年経ったのが、いま、なんだろうね。生きてきた数十年だけで日語が終わったとか語るのは、わたしにとって、百年早いのかも。

    祖国とは国語である「完本・文語文」
  • 平凡なわたしが非凡な文章を書くために「不良のための文章術」

    小飼弾氏の文が非凡なのは、弾氏が非凡だから。では、平凡なわたしは凡庸な文しか書けないのか? それは違う、やり方しだい。 その「やり方」を教えてくれるのが書。 おっと、いそいで注釈を入れなければならないのは、この「非凡な文」について。「非凡な文」とは、読み手の心を動かすもので、納得・共感だけでなく、反発・批判も含まれる。感情のベクトルは関係なく、スカラーが大なるものこそ「非凡な文」なの。 そして書、「不良のための」とは、要するにカネになる文章だということ。出版社が原稿料を払う気になる文章であり、読者がカネ出して買う気になる雑誌やに載っている文章のこと。弾氏の文章もこれにあたる。 座右にしたい書の目玉は、「凡庸な文が非凡な文に仕立て上げられていくプロセス」がこと細かに解説されているところ。最初は、箸にも棒にもかからない「書評」や「グルメガイド」の例文が出てくる。そいつを徹底的に調理しつ

    平凡なわたしが非凡な文章を書くために「不良のための文章術」
  • 「服従の心理」はスゴ本

    他人を服従させるマジックワードは、「責任はとるから」。 この一言で、善良な市民が信じられない残虐なことをする。良心の呵責に耐えきれなくなると、記憶の改変を行う。「自分はまちがってない、あいつが悪いからだ」と平気で人をおとしめる。信じられるか? わたしは信じられなかった … 最初は。 たとえば簡単なバイトを思いうかべて欲しい。心理実験のバイトだ。 実験室に入ると、いかにも研究者然とした人が指示してくる。あなたは先生の役で、一連のテストを行うんだ。で、生徒役の人がまちがえると、罰として、電気ショックをあたえるのがあなたの仕事だ。 そして、何回もまちがえると、そのたびに電撃は強くなってゆき、最後には耐え難いほどの強いショックを与えることになる。生徒は叫び声をあげてやめてくれやめてくれと懇願する。あなたは心配そうに研究者を見やるが、彼は「あなたの仕事を続けてください、責任はわたしが取りますから」と

    「服従の心理」はスゴ本
  • なぜ最近の老人はキレやすいのか?

    キレやすくなっているのは老人であり、若者ではない。 もう一度いう、大人として成熟できず、我慢のなんたるかを知らず、ついカッとなって暴走するのは、20代ではなく、60代以上の年齢層において激増している。このエントリでは、事象の裏づけと、なぜ最近の高齢者がキレやすくなっているかについて考察する。なお、「高齢者」「老人」とは、60歳以上の日男女を指している。 最初に断っておくが、安易な結論「高齢化社会になったから」ではない。確かに高齢者は増えているが、老人の犯罪者はそれをはるかに上回るスピードで蔓延っている。もっとも、老人が老人に襲い掛かる老老犯罪が増えている文脈で「高齢化社会」を語るならまだ分かる。しかし、そもそもキレやすい老人が増えている事実を糊塗して「高齢化社会になったから」と、したり顔で全部説明した気になっているマスコミ、コメンテーター逝ってよし! 目次は次のとおり、長いデ。 激増す

    なぜ最近の老人はキレやすいのか?