序文 このエントリーは、主にTRPGというジャンルにおける意思決定と倫理について先にupしたコヴェントリー・ジレンマから考えるTRPGの遊戯としての可能性の続編であり、AGSの「傷だらけの偉大な負け組に捧ぐ:「役割演技式競技」における「ヒーロー」とは何者であろうか?」及び、「戦略の迷走:『空の境界』と『キラーエンジェルズ』の場合」への補論として書かれたものである。 このエントリーにおいては、主にTRPGにおけるプレイヤーの意思決定について語っているが、その方向性は人間一般の意思決定に関わる倫理にもある程度敷衍しうることを織り込んでいる。TRPGというジャンルについてご存じない方も、ある種の意思決定に対しての倫理性を語ったエントリとして読んでいただければ幸甚である。 本文 意思決定の時間性、あるいは限定性の回避について まずは、人間の意思決定というものがどのような時間性に縛られているかについ