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ブックマーク / hajic.hatenadiary.org (6)

  • かんたんキリスト教のしくみ - はじめてのC お試し版

    キリスト教が旧約・新約の二冊の聖書を元にした宗教なのは有名です。例によって主観でごく乱暴にまとめると、前者は「猛烈に腹をたてた神さまが人間をバコバコ殴る」お話で、後者は「人間がそれなりに反省したっぽいので許してやっかー」というお話。 旧約の時代には、神さまはわりとせっせとお告げを人間に伝えさせて、人間の性根をまっとうにしようと頑張っていたのですが、いくらお灸をすえても人間のへそ曲がりは直らないので、むかついてノア以外皆殺しにしちゃいます。例の洪水で。 いちおう「お前の子孫はもう皆殺しになんかしないよ!」って言って、綺麗な虹を見せるサービスなんかもしてくれたんですが、そのうちやっぱり人間が言うことを聞かなくなるのでユダヤ人たちをまとめて奴隷にしてみたりする。約束は守るあたりさすが神さま。 一方、新約の時代。新約というからには新しい約束です。預言者に伝えさせているんじゃラチがあかねえと感じた神

    かんたんキリスト教のしくみ - はじめてのC お試し版
    crow_henmi
    crow_henmi 2010/05/27
    だいたいあってる
  • 第七日 深夜課 - はじめてのC お試し版

    先日、記事の中で『ソフィーの世界』を提案したけれど、個人的に、まおゆうの読者に強く手に取ることをお勧めしたいのもう一冊、『薔薇の名前』を紹介しておきたい。イタリアの記号論者、ウンベルト・エーコ博士の記した、前世紀を代表することになろう傑作の一冊である。 13世紀イタリア北部山岳地帯、アルプスを背後に控えた山深い修道院で起こった連続殺人事件。折しも異端裁判の舞台となろうとしていた修道院側からの依頼により、見習い修道士である主人公は、師ウィリアム修道士に従って、その真相に迫っていくのだが・・・。 中々に難解なではある。特に序盤のイミフさは一般の読者をうんざりさせるには十分な力を持つのだけれど、騙されたと思って前巻を半分まで読み進めて、むしろ読み飛ばしてみてほしい。『ひぐらし』的な加速度を持って、物語はすぐ、その真の姿を見せてくれる。 以下は、作中のさる修道士の語る台詞の抜粋である。彼の語る

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  • God bless Sakurada Famiglia 僕のローゼンメイデン - はじめてのC お試し版

    総じて名作と誉れの高い?『ローゼンメイデン』。とは言え、やはり若干の瑕疵を持つと指摘される。例えば「蒼星石の存在意義が見あたらない」「水銀燈は確かに悪さをしたが、あの最期はあんまりだ」「真紅は秘密を知っていたのに、あんなに酷く罵ったなんて」「アリスゲームって何? そもそも“お父様”が悪の根源では」etc...。 これらへの疑問を通して、僕なりの『ローゼンメイデン』の答えを探してみたい。なお、まだ見たことがない人には、これはちょっとした名作なので第一部を見ることは少なくとも損にはならないと思う、くらいは言っていいのではないかしら。しかし、まあ、無駄に生理的社会的嫌悪感を煽る作品ではある。一種のタブーのような…。 →これまでのローゼンメイデン記事はこちら →ローゼンメイデンキャラクター紹介はこちら ■The Second Fiddles, 扱いの酷い蒼星石 彼女の扱いがぞんざいだった、という指

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  •  RozenMaidenキャラ紹介 Uncyclopedia風 - はじめてのC お試し版

    !若干ネタバレ――SpoilerAlert! ・翠星石 左翼。丁寧語さえつければどんな暴言もいちおう敬語になることを実践する前衛。 尊敬語や謙譲語はその定義や意義に論議を呼ぶため使用を推奨されない。国語審議会『これからの敬語』を愛読。 ・蒼星石 小六病。作中最も存在意義の疑われる一人。 シリーズを通して事態をややこしくするために登場し、武器を奪われるためだけに戦闘に参加する。 ・雛苺 『Rozen Maiden』に注がれるおたく社会の無知と偏見の根的要因。 翠星石の引き立て役になるか床に落書きする以外に出番がなく、稼働原理は設定への疑念を無闇に煽る。 ・水銀燈 人形。お腹に穴があいているジャンク。乳酸菌不足。セルロイド製のためよく燃える。 高圧水銀燈と低圧水銀燈に大別され、通常水銀燈と呼ぶときは前者を指す。また後者内部に蛍光物質を塗布すると蛍光燈となる。 ・ジュン 人形。胸に穴があいてい

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  •  奇跡と世界と――ひぐらし、S=Rから - はじめてのC お試し版

    端的に言ってしまえば、「願いは叶う」という主張を巡って『ひぐらしのなく頃に』と『シンフォニック=レイン』は対称的な位置にある。前者があくまで純粋な叶う派であるのに対し、後者は悪質といってもよい偽装をもってそれを否定する。なにせ叶ったと見えたのは奇跡ではなく、むしろ妄執なのである。しかも繰り返しになるが、一見願いが叶っているのだ。これは怖い。 誰にだって譲れない線がある。物語に絡めて明確にそれを語るのは北村薫『六の宮の姫君』。『往生絵巻』において信念の人に正しい報いを主張した芥川に対し、『首縊り上人』で菊池は死の間際まで逃げ惑う寝穢い人間に極楽を与えるのである。興味深いのはどちらも事が起こるのは死後に限られていること、彼らの主張は正反対に見えて、どちらも死にゆく人の顛末という点で共通する。 歴史において芥川は自ら命を絶ち、菊池は同業に陰口を叩かれながらも大衆化路線で生き延びる。芥川は自らの死

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  • はじめてのC お試し版 -after the Rain- :: GUNSLINGER GIRL: id:genesisさんの日記への脊髄反射

    この物語の主体は〈救済されえない男たち〉の方ではないか 博物誌 12月27日付け記事より http://d.hatena.ne.jp/genesis/20051227/p1 主体という言葉に若干の語弊はあったとしても、私はこれに同意します。可哀想ですが少女たちの人生は既に終わってしまっていて(第六巻・アレッサンドロ「彼女の魂はどこへいくんでしょうね」)、残ったのはもっと可哀想な、むくわれないおやじ共の人生の落としどころ探し、という雰囲気であります。ことにジャン・ジョゼ兄弟のそれへの焦点が徐々に合わせられつつあって、救われ無さはいよいよ加速する気配が濃厚。 しかし、共通するものが”自らの結末探し”だとして、問題の「おやじ共」にとっての「彼女たち」の意味とは何なのでしょう。なぜなら彼女たちは落としどころを探すおやじ共の拠り所ではありますが、単純にそれだけのものではないように見えます。ある者は恋

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