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愛に関するcrowserpentのブックマーク (65)

  • 地球上の誰かが、ふと思った - wHite_caKe

    恋人選びは『好意』ではなく『セックス』で決まる。ゆえにすべての恋愛論は、『愛情論』ではなく『欲望論』である。 という記事の中でMasaoさんは、 異性の好意を受け入れるということは、その異性とセックスする可能性が高まるということです。これは女性にとって、「妊娠させられる可能性が高まること」とイコールなのです。 ゆえに女性は、男性の好意に対して簡単に好意を返すわけにはいかない。慎重に「好意を返して構わない男性」 を選別する必要がある。これは恐らく生物学的に女性の能に組み込まれている機能で、「嫌いな男」からの恋愛的アプローチに対し、女性はそれこそ心の底か ら生理的嫌悪感が沸いてくるのです。 とおっしゃいました。 そして私は「へー……リスクって妊娠だけかよ? そんでそれゆえの生物学的能による恐怖? なんだか平和な発想」と思いました。 ええとですねえ。 私が嫌いな男からの恋愛アプローチを嫌悪す

    地球上の誰かが、ふと思った - wHite_caKe
    crowserpent
    crowserpent 2006/06/24
    恋愛感情を向けられることのリスク。「愛と憎悪は、同じコインの表と裏」。少し関連:http://d.hatena.ne.jp/sivad/20060731#p2
  • みやきち日記 [雑記]「愛があればセックスするはず」のウソ

    セックスをしたがらない女性に対する「愛*1があればセックスするはず」とか「セックスに応じない女はひどい」とかいう物言いはなんか変だとずっと思っていて、考えがまとまったので、メモ。ポイントは、これらの発言は「恋愛感情があるなら、一対一の関係でセックスするのが当然」という発想を前提にしていて、しかもその発想は間違っているってことです。 恋愛とセックスは関係がない 人類発生が正確に何百万年前なのかは知りませんが、とにかくその日から今日まで、人間はずーっとセックスし続けてきたわけです。つまりセックスの歴史は少なくとも数百万年。かたや、今日で流通してるような「恋愛」の観念は、ルネサンス時代のヨーロッパで発明されたものだから、こちらはたかだか数百年の歴史しかもっていません。もし恋愛感情がセックスの大前提なら、「恋愛」が発明される以前の何百万年もの間、人類はいったいどうやってセックスしてたっていうんで

    みやきち日記 [雑記]「愛があればセックスするはず」のウソ
  • 実践的愛され研究その1 - wHite_caKe

    とか言いつつ、研究というほどのものではないんですが。 あと最初に言っておきますが、これからここに書くことは、大学で習った心理学の知識(しかも忘れかけ)と、周囲の人間の経験などをつなぎ合わせて何となく思った内容であって、私自身は恋愛経験がトシのわりには貧弱であるため、多少は机上の空論的だろうなあとは思いますよ。 では題。 ピアノ・ファイア−非モテ非モテと言うけれど 「愛に見返りを求めてはならない」 「愛は求めるものではなくて、与えたり、感じ取ったりするもの」 という世間知を真摯に受け止めるだけで、どうでも良くなる問題ですよね、と。モテないってこと自体は。 という記事を読み、その後その記事についているコメントやブクマコメントに目を通してふと思ったことを書いてみます。 世間知が世間知として認識されるに至るには、実はそれなりの根拠があるんじゃないってことで。 私は幼い頃『ペリーヌ物語』というアニ

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  • macska dot org >> Blog Archive >> 「完璧な愛」が隠蔽する国際養子制度の帝国主義的歴史

    ここのところ林道義氏とのくだらないやり取りが続いてしまって、以前からの読者が離れてしまったのではないかと心配になってきたのだけれど、今回以前別ブログで少し触れたところリクエストがあった「国際養子縁組問題」について取り上げる。とはいえ、日は国内の子どもを海外に送り出すことも海外の子どもを養子として引き受けることもほとんどしていないのであまりピンと来ないかも知れないので、ハリウッド女優アンジェリーナ・ジョリーの話からはじめてみたい。以下は、少し古いのだけれど映画情報サイトの「FLIX ムービーサイト」に掲載されたジョリーの半生についての記事から引用。 【知性 国連大使としての、知性あふれる横顔】 『トゥームレイダー』の撮影で、海外ロケに行ったアンジーは、さまざまな海外の情勢に目を向けるようになります。特に彼女が興味を持ったのは、撮影でも行ったカンボジアの地。 2001年に、彼女は国連難民事務

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  • DV被害者支援を志す人はマツウラマムコ著「『二次被害』は終わらない」に絶望せよ

    サブカル路線に走った軽い記事に混じって「女性学年報」第26号に掲載されたマツウラマムコ氏の論文「『二次被害』は終わらない 『支援者』による被害者への暴力」を読む。マツウラ氏はこのブログにもたまにコメントをくださっている方で、性暴力やドメスティックバイオレンス(DV)への取り組みにおける「支援者の暴力」の問題に関してわたしと似たアプローチを取っているのだけれど、わたしが常々問題としているような「DVシェルターにおける権力構造」みたいなある意味社会設計によって解決可能な問題よりさらに奥にある解決不可能な構造的問題まで射程を伸ばしている点で評価できる。 わたしの「支援者」批判の論理は大きく2つに分けられる。1つはDVシェルターをはじめとするフェミニズム系の団体にありがちな構造上の問題であり、もう1つはそれを支えるフェミニズム発祥のイデオロギーというか「気分」だ。前者について詳しく言うと、例えばシ

    DV被害者支援を志す人はマツウラマムコ著「『二次被害』は終わらない」に絶望せよ