100円均一ショップの草分けである「ダイソー」を展開する大創産業の創業者、矢野博丈(やの・ひろたけ)氏が12日午前9時50分、心不全のため広島県東広島市で死去した。80歳。家族葬を行った。後日、お別れの会を開く予定。 昭和18年、中国・北京生まれ。戦後、家族と共に広島に引き揚げた。中央大卒。ハマチ養殖業、百科事典の訪問販売やチリ紙交換など転職を重ねた後、47年に移動販売業の矢野商店を立ち上げ、後に100円均一販売を導入した。52年に大創産業として法人化し、社長に就任。平成3年に高松市に直営1号店開店を皮切りにダイソーのチェーン展開を本格化、業界首位に成長させた。30年に社長を次男の靖二氏に譲り会長、31年に退任した。 「会社は潰れるもの」「自己否定すること」など、ネガティブな発言を前面に出した独自の経営哲学で知られ、産経新聞で令和5年4月から「『100円の男』の哲学」を連載していた。