はてなブックマークコメントも含めて、あまりにも面白い↓ので便乗する [私家版(超有名作家なのに)好きな女性には愛読してほしくない作家ベスト5] ──つもりで書いたのに、かなり極悪なリストになってしまったので、18禁と。後半は、嫁子に読んでほしくないというよりも、人として読むべきでないリスト。もちろん、わたしは大好きなので、明らかにおかしい。興味本位は止めておけ、性差ツッコミは無駄無駄無駄ァ、むしろこいつを超える作品があれば激しく募集する。 では始める。 バタイユもサドも潤一郎も、淫蕩モノとして好きだー、けど嫁さんに言わせると「無駄にエロい」らしい。激・し・く・同・意。むしろ乱歩やヤプーが何でないんだろうね。まぁ、エロ特性は人それぞれということで。 また、半強制的にハルヒや名雪(京アニ)を観せてるので、嫁さんはわたしの趣味を知っている。かつ、エロ倉庫は既に発見されているので、今さら隠すものも
どこかで収集しているかな? 実は・・・銀英伝が判りません http://d.hatena.ne.jp/kim-peace/20070813/p2 銀英伝を読んでいない話。 ライトノベル読みなのにこの作品を読み逃がしているなんて、それは人生の損失でしょ。 http://d.hatena.ne.jp/kaien/20070816/p2 文中では、銀英伝がラノベとは、言っていない。見落としていなければ。キャラクター小説とは形容されている。 銀英伝とライトノベル 創元SF文庫版銀英伝3巻の細谷正充の解説では、銀英伝以後のスペースオペラとしていくつかのタイトルが挙げられています。吉岡平『宇宙一の無責任男』シリーズ、荻野目悠樹『星書』シリーズ、羅門祐人『星間興亡史』『星間軍龍伝』、森岡浩之『星界』シリーズ、鷹見一幸『でたまか』シリーズなどですが、これらについて銀英伝の影響を感じるとされています(もっと
またの名を「PSI九段下ニセ科学研究所」とか「PSI九段下総研」とか 『ポピュラーサイエンス日本版』から『家電批評』『MONOQLO』と渡り歩く「ニセ科学研究所」のBLOG 今朝、TAKESANさんちでアララなエントリを読む。 ケータイ小説(2007年8月12日) http://seisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_2244.html 元ネタはアメーバニュースのこの辺とか痛いニュースのこの辺とか。 【註】むろんTAKESANさんがアララなのではなくて、元ネタの論旨がアララなのだ。 かつて紙で同じようなことをやっていた身として、思わずコメントを残しつつ、夜になって「踊る新聞屋ー。」さんで関連エントリに遭遇。こちらではウケケと変な快感。 [media]コンテンツは技術に規定される。ではこの先は?(2007年8月12日)
世に「文章読本」はたくさんある。全部読んだら文章の達人になるのだろうか?あるいは、優れた小説や評論を書けるようになるのだろうか?斎藤美奈子のメッタ斬りを見てると期待できそうにないので、吉行淳之介の編んだ「文章読本」を読む。 本書には、文章読本のエッセンスがギュッと濃縮されている。ずばり「文章とは何か」「文体とは」「優れた文章を書くコツは」との問いにそのまま答えているものばかり。文筆を生業とする書き手たちの「姿勢」がよく見える。このラインナップはスゴい。 文章の上達法(谷崎潤一郎) 谷崎潤一郎の文章(伊藤整) 僕の文章道(萩原朔太郎) 「が」「そして」「しかし」(井伏鱒二) 文章を書くコツ(宇野千代) 自分の文章(中野重治) わたしの文章作法(佐多稲子) センテンスの長短(川端康成) 質疑応答(三島由紀夫) 口語文の改革(中村真一郎) 文章を書くこと(野間宏) 削ることが文章をつくる(島尾敏
冲方丁・神山健治 東浩紀・イシイジロウ 大槻ケンヂ・劇団ひとり 森本晃司・仲俣暁生 寺田克也・吉田健一 デザインミーティング エージェンシーミーティング ストアミーティング レポート インフォメーション 脚本家・佐藤大プロデュースの鼎談企画。様々なジャンルで活躍するクリエイターたちを招き、「文庫」をテーマにトークしました。 2007年5月創刊の少年向けエンタテインメントノベル文庫です。現在「第2回小学館ライトノベル大賞」にて新しい作品を募集しています。 佐藤:前回はアニメとライトノベルの関係をベースに話を進めましたが、今回はもうひとつの潮流、美少女ゲームやテキスト・アドベンチャーゲームからはじまったライトノベルについての話ができればと思ってます。というわけで、評論家としてライトノベルの外側から内側を見ている東浩紀さん、テキスト・アドベンチャーゲームを制作されているイシイさん、よろしくお願い
───────────────────────────────────── 観客を動員できる作品ほど質が低いという日本映画バブルの逆説に抗うヒントを、 自主映画『蛆虫が飛ぶとき』と韓国映画『鰐』における「叙事への熱情」に見る。 ───────────────────────────────────── 【質の低下による日本映画バブル】 ■周知のように日本映画大バブルだ。商業映画はDVDオンリーも含めて1000本近く作られ、年間100人の新人監督がデビューする。7年前に水戸映像祭の審査員になった頃、才能ある自主映画監督を商業映画の世界にどうつなげるかを画策していたことが懷かしい。 ■現在必要なのは無数の商業映画を「売れているけどいい」「売れているけどダメ」「売れてないけどいい」と宣言する仕組みだ。ヨーロッパの映画祭は元々そういうものだ。売れる売れないに関係なく、いい映画にお墨付きを与える。日
僕はめったに行かない池袋に、その古書店はありました。 んー、通い慣れた神保町の書店たちとはすこし雰囲気違うかなー、などと思いながら店内を探索。 目指すその本は、すぐに見つかりました。 『幻視の文学1985』幻想文学出版局 こ、これかっ。 手に取り、目次を見てみます。収録作の一つ、「少女のための鏖殺作法」。 うん、間違いない。 購入。2100円。あんまり高くもなかったですね……。 mixiのコミュで知ったイベント、 対談:建石修志×高原英理「ゴシックと廃墟の相互作用」 に行ってまいりました。 さて対談後、そのままのメンバー(15名くらい)で飲み会へ。正直言うと僕は飲み会とかすごく苦手なんですけど、この機を逃す手はないです。 幸いにも(?)たまたま横に並んだ男子2名も「僕たちお酒飲めませーん」とか言って3人並んでウーロン茶(^^;) 高原先生と建石先生を前にして、いろいろお話を聞かせていただき
田山花袋 一 山手線の朝の七時二十分の上り汽車が、代々木(よよぎ)の電車停留場の崖下(がけした)を地響きさせて通るころ、千駄谷(せんだがや)の田畝(たんぼ)をてくてくと歩いていく男がある。この男の通らぬことはいかな日にもないので、雨の日には泥濘(でいねい)の深い田畝道(たんぼみち)に古い長靴(ながぐつ)を引きずっていくし、風の吹く朝には帽子を阿弥陀(あみだ)にかぶって塵埃(じんあい)を避けるようにして通るし、沿道の家々の人は、遠くからその姿を見知って、もうあの人が通ったから、あなたお役所が遅(おそ)くなりますなどと春眠いぎたなき主人を揺り起こす軍人の細君もあるくらいだ。 この男の姿のこの田畝道にあらわれ出したのは、今からふた月ほど前、近郊の地が開けて、新しい家作がかなたの森の角(かど)、こなたの丘の上にでき上がって、某少将の邸宅、某会社重役の邸宅などの大きな構えが、武蔵野のなごり
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