3時間00分 旧かなについては、私の世代の者(50歳になる)でも、「うひゃあ」という反応が一般的だと思う。初対面の人間がいきなり和装で現れた感じ。あるいは、訪問したお宅のトイレが和式の、しかも汲み取り便所だった時に感じるみたいな緊張感。今の言葉で言うと「ドン引き」ですね。私自身も同じだ。読んで読めないことはないのだが、やっぱり骨が折れる。まして、生身の文章を旧かなで書かれたりすると、正直、ムッとする。 ……と、以上が、本書を読む前に私が抱いていた旧かなづかいに対する「偏見」だ。もう少し言うと、当方は、旧かなを使う人々について、「偏屈者」「復古主義者」「国粋鉄砲玉」「気取り屋」「ざあます文化人」「封建人格」ぐらいな感じを抱いていたわけだ。 撤回する。私は間違っていた。いくつかの偏ったサンプルをもとに、この国の古い言葉づかいと、それを使う人々について誤った認識を抱いていた。申し訳ない。 本を読
本書を読み終えて、現時点では渡辺明(23歳)という若き竜王だけが、「コンピュータと戦う」それも「一度限りではなく、コンピュータをも真剣に将棋を戦う相手と認識した上で、長期間、お互いに切磋琢磨しながら戦い続ける」という未来を、自分の人生におけるきわめて重要な問題として、本気で自分の問題として考え抜いている棋士なのだ、ということを痛感した。ボナンザとの真剣勝負を終えて、渡辺はそういう時代に生まれた宿命を受け入れ、コンピュータと最後まで戦う決意を固めたように思える。上の世代の棋士にはない切迫感と責任感が、本書の渡辺の言葉の端々から感じられるのだ。 第三章に収録された「ボナンザ開発者・保木と渡辺明との対談」はかなりの緊張感をはらんだものだ。ドキリとしたのはまずはこの部分。保木がこぼした本音 保木 おそらくタイトルホルダーの竜王や名人より北陸先端科学技術大学院大学の飯田先生(弘之・プロ棋士六段)にコ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く