18:15 | 来日中のid:umedamochioとの対談のため、茂木健一郎 クオリア日記の茂木健一郎さんがはてなに来社されました。茂木さんにオフィスを案内している様子の動画をアップします。(写真を撮っているのはカメラマン、じゃなくて昨日デジイチを買ったばかりのid:naoyaです。)ちらっと聞いただけですが、ウェブと脳の構造が似てきているということからウェブと人間の進化に関わる議論などが長時間に渡って展開されていたようです。担当の編集さんによると、対談の模様は今年の5月に刊行予定とのこと。ウェブに住んでいる梅田さんと脳科学者の茂木さんの対談ということで、また刺激的な内容が期待できそうです。
ああ、昔はよかったなあ! まったく、今はなってないよ。とになくなってない。 と思っている。さんざん、そう語る人を馬鹿にしてきたのだが。いや、何がって言えばおっぱいの話ですよ。もう消費尽くした感ばりばりのOZMA問題だが、女の裸が出てきただけで抗議がんがん。しかもそれはボディースーツなのだから、どこまでも果てしなくしょっぱい話である。 しかしまあ確かに紅白は、一応歴史と品格のあるプログラム(アメリカのスーパーボウルに匹敵する……というか、あっちはジャネットの黒乳首がポロっといって大騒動になったものだが)という幻想が世間の間にはあるので、ある程度の騒動になるのは必然だとは思う。くだらないけどね。 で、腹が立つのは民放である。また例によって「いかがなものか」調でNHK叩きをしているが、「何言ってやがる。こねやろ」って感じだ。ついこの間まで、あんたらはリアルおっぱいをがんがん人様のお茶の間に届けて
世界システム論のウォーラーステインによる社会科学批判と、志向すべき方向性の提示。興味深い指摘も幾つかあったけれど、既に今日ではこういった指摘はある程度一般化してしまっている嫌いがある。しかしだからこそ、正に社会科学は自己変革の必要性に迫られているとも言えるのだろう。より一層のタコツボ化が進む日本の社会科学への一つの警鐘とも捉えることができるのかもしれない。 まず第1章で18世紀から1945年までの社会科学の流れを追っている。19世紀も知の歴史を特徴づけているのは知識の学問分野化と専門職業化であり、それらは新知識の生産と知識生産者の再生産をするよう設計された恒久的な組織でもあった(p24-25)。現在見られるような社会科学の学問別多様化の構造が(ヨーロッパの)主要大学で公式に認められるようになったのは1850年から1914年の間くらいであって、それ以前はこういった学問分野別構造など存在してい
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