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2ちゃんねるに2日前に松岡農相の自殺を予見していた書き込みが!? 2ch専用ブラウザで抽出 対象スレ: 【自民党】緑資源談合、工事受注14業者が松岡農相に献金…献金しない業者と落札率に差 http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1180177975/ キーワード: jZXCmtYB0 56 名前:名無しさん@七周年[] 投稿日:2007/05/26(土) 20:53:36 ID:jZXCmtYB0 松岡 逮捕は99%。 安部政権はその時点で、空中分解の死に体。 参議院は大敗。 そこまでは確実。 問題は、政界再編成だ。 自民が混乱状況なので、この場合、 小沢は自民の一部をひきぬく。つまり旧宏池会がまるごと民主となる。 自民は過半数を割る。総選挙なしで、新政権ができる。 あるいは新党をつくらせ連合政権を樹立する。 要するに、旧福田派以外は全部自
http://anond.hatelabo.jp/20070224194128 逆にさ、人に教えてもらって成功したり能力を発揮できて本当に楽しいかって考えたことがある? もちろんあります。いや、違うかもしれません。本当の意味で考えたことはなかったのかもしれません。 当時の私が陥っていた思考の罠は、 「人に教えてもらうことは、所詮はお情けに頼ること。自分では何もできないということを認めること。これは屈辱だ」 というものでした。ここで思考停止してしまっていました。 ある意味では正しいのかもしれません。でも、当時わかっていなかったことがあります。「自分ではなにもできない」というのが紛れもない事実だったことです。これを認める勇気がなかったことが全ての敗因です。 私見ですが、研究者として必要な能力は二つあります。「何を(what)するか」と、「どうやって(how)するか」の双方です。 このうち、wh
「何でこんなことやってるんだろうなあ。」 もう書くことは決まっている雑務の中の雑務をやりながら思った。 窓口に並ぶ老人、それに応対する同僚、それを見て考える。 こいつらは人生満足しているのかなあって。 昔は、3年前までは、とても輝いていた。 世間的にはとても頭がいいとされる分野で、俺は、とても優秀だった。 同学年ではダントツでナンバー1、テスト前はみんなから頼られた学部時代。 先輩達からは「後輩とは思えない。」、教授達からは「是非とも博士に。」、そう言われ続けた修士時代。 天狗になれた。 それはもう自分は頭がいいと思えたし、他の理系の分野を見て「こいつらのやってることは配管工と同じ。」と見下していたし、まさに大天狗だった。 しかし、井の中の蛙だった。 所詮は地方国立の中の出来事。 その後博士課程で研究室の意向に反る形で、俺はその分野では日本で一番優秀な大学の博士課程に進学した。 何の躊躇も
http://anond.hatelabo.jp/20070223172044 自分は東大ではないけど、近藤さんの出身大学で院生をしている。 ストレートで上がったし留年もしてないし、たぶんそこそこ良くできるし、 頭の回転も悪くないほうだと思う。 じゃあそれで天狗になれるかっつーと、そんなことはまったくない。上には上がいる。限りなく。 ひたすら青天井である。 同じ大学の友達は飛び級を繰り返した挙句、助教授になったし、 東大の友達は海外出張を繰り返してるなと思ったら 驚くほどの本数の論文を出して、外国の研究所にいってしまった。 院でやっていくのに大事なのは、ぺしゃんこにならないこと、である。 研究発表でどんなに叩かれても、同期がどんなにスピード出世しても ぜったいにへこんで立ち止まったりしないということである。 ぺしゃんこにならずに、自分の研究に向き合える人が、残るんだと思う。 昨年やっとそれ
http://anond.hatelabo.jp/20070224094417 頭のよさを隠して目立たないようにする処世術なんて足枷以外の何物でもないんだよ。それに思い当たったときは愕然としたね。目立つのが嫌だったし、「頭がおよろしいことで」って言われるのが癪だったから、余計な口出しはしないように、しないように十何年も暮らしてきた。その行動は全くの無駄だった。俺はもっと傲慢に、頭のよさを安全に剥き出しにする訓練こそを積むべきだったんだ。 痛いほどわかる。こういうところを早めに悟れるかどうかが、結果を出せるかどうかの境目だと思う。頭が良くてもそれを示せない奴より、多少自信過剰な奴の方がよっぽど使える。それが現実だ。 私は旧帝大の大学院を出た。元々研究者志望だったし、それなりの努力も積み重ねてきた。優秀な奴ばかりが揃っている大学だけれど、研究室に入った頃はホープ的存在だと思われていたらしい。少
「最近、儲かってしょうがないんだよ」 とある有限会社を経営している友人と 久々に会って飲んだときの話だ。 その時の話を要約したのが上の一言。 3時間以上話をしたが、主旨はこれだけだった。 なんでもここ2,3年、アシで情報を稼ぐ人が 大幅に減ったらしく、超がつくくらい簡単に 人脈を構築できるようになったらしい。 そのツテでどんどん仕事を受注して、 元々仕事はできるやつだったから評判も良くなり、 新たな、もっと儲かる仕事がくるようになる。 好循環のお手本みたいなケースになっているそうだ。 「ネットの普及のおかげで、外に出て人脈を作ろうとする 積極性のある人が減ったんだろう」と彼は予想している。 「とある企業の社長が、『メールだけでアポを取ろうとする、 自分ではなく相手にリスクを負わせる人が多いんだよ』 って、この前こぼしていたよ」 という話も補足として聞くことができた。 「お前も勝ち組になりた
旧帝大出です。 小学校の頃から頭はよかったから、やっかみは飽きるほど受けてきたし、頭のよさを謙遜する処世術も自然と身に付いてた。そういう技術は親戚の家でメシを食うときとか、飲み会の席なんかでは有効だと思う。 でも、社会に出て仕事するようになってから気づいたよ。そんな謙遜なんてクソの役にも立たない。学歴に意味なんかない。仕事はできるか、できないかの二択しかない。頭のよさを隠して目立たないようにする処世術なんて足枷以外の何物でもないんだよ。それに思い当たったときは愕然としたね。目立つのが嫌だったし、「頭がおよろしいことで」って言われるのが癪だったから、余計な口出しはしないように、しないように十何年も暮らしてきた。その行動は全くの無駄だった。俺はもっと傲慢に、頭のよさを安全に剥き出しにする訓練こそを積むべきだったんだ。 仕事を始めて三年目くらいから、俺の態度は目に見えて傲慢になったと思う。「どう
「頭の良さ」ってのは物凄い関心ごとらしい。学コン(かってに略称:がっこん)関係で今日もすげー理不尽にイライラさせられた。もうね、はっきり言って、被害者ですよ。ほんと。 派遣のバイト先で、よしゃーいいものをある学生がシューショクとかの話を始めたわけですよ。周りはフリーターだとか東海大とか東京なんたら大だとかでね、シューカツも大変ですよーとか言ってるわけ。で私も、別の話の流れで自分が学生だってことを明かしちゃってたもんだから(いま考えれば「普段何してんの?」に「いやーバイトばっかですよー」くらい答えとけばよかった。その後の神展開の予想なんてつくわけなかったけれども)、しつこく「どこの大学なの?いいじゃんおしえてよー」とか聞かれるわけ。お前ナンパかなんかと勘違いしてんじゃないのってくらいに。 そいつはマーチなんだそうだ。マーチって明治 青学 立教 中央 法政の総称ね。でもってほかのひとたちが「あ
anond:20070128230427 俺も高専卒の理系。だけど、最近国語が面白くって仕方が無い。読書が趣味になったのだって、二十歳を過ぎてから。ブログが活発になってきてからは、社会学も面白そうだなって気がしてきたし、著作権問題が騒がれるようになってから、法学も面白いんじゃないかって気がしてきた。 特にさ、理系の人たちが結構苦手なコミュニケーション能力って、読書で磨かれる面もちったああると思うよ。小説読んだりすると、客観的に普通の大人がどういう事を考えているのかってのが感じ取れるようになる下地が出来てくるし、どういう事をすると/されると人は好意を持ったり、悪意を持ったりするのかが分かるようになってくる気がする。 もちろん、実地でのコミュニケーションが一番大事なのは当たり前だけど。コミュニケーションの取り方が分からなくて、にっちもさっちも行かないような状態になっている人には、読書って結構お
誰も期待してないけど翻訳したので第二弾です。 第一弾は「天候問題は待ってくれるが、健康問題は待ってくれない」 http://anond.hatelabo.jp/20070124161750 映画観た人の感想を聞きたいな。 「アル・ゴアに不都合な真実」ビョルン・ロンボルグhttp://www.project-syndicate.org/commentary/lomborg6 元アメリカ副大統領アル・ゴアによる地球温暖化について描いた映画が、まもなくあちこちの映画館が公開されます。映画「不都合な真実」は米欧で絶賛を受けており、これから世界中で大くの観客を集めるでしょう。しかしこの映画は感情とプロパガンダに満ちており、展開に筋が通っていません。 「不都合な真実」は三点を指摘します。地球温暖化は本当だ。将来は壊滅的な状況になるぞ。それについて考えるのが私達の最優先事項になるんだ。しかし映画のプロデ
中学生だと女子は皆グループで行動するが、そのグループは大体似たような者同士で構成されていた。 おしゃれでかわいい、流行好きのグループ。 オタクのグループ。 目立たず大人しいグループ。 お笑い好きなグループ。 秀才のグループ。 いろいろ合ったが、私は目立たず大人しい、しかも男子にいじめられているグループにいた。 目立つようなことをすれば、たちまちそのことを責められからかわれる。 だからなるべく目立たないように、ひっそりと暮らしていた。 目立つと特に困るのは恋愛関係の話題だった。 ひどい責められ方をしたし、その好きになってしまった男子にも迷惑がかかる。 だから、私には恋愛する資格がないと恋を捨てた。 恋もしないと決意した。 好きな人のことで騒いだり、男子と付き合うことが出来るのは「おしゃれでかわいい、流行好きのグループ」にしか許されないとも考えた。 それから10年以上経ったが、未だにその考えを
わざわざ人を区分けして、「なんとか文化圏」とか「なんとか派」とか言ってる人、全然関係ないところから急に「まとめてみた」とか記事を書く人って、結局自己がしっかりと確立してないんだと思う。 たいていそういう分類をしたがる人は、自分が属するグループを優れてるほうにする。あるいは「こんな低レベルな争いには自分は加わらない」ことを「まとめ」というメタ視点に立つことで気取っている。他者と区別することでしか自分を認識することができない。他者を見下すことでしか自分の存在意義を見出せない。そもそも、大声で叫んで誰かに話を聞いてもらわないと、自分がここにいるのかどうかすら不安になる。 そういう「おこちゃま」には確かにインターネット・ブログって福音だ。特にはてなは、はてブという、ブックマークされる側にはブクマ数、ブックマークする側にはお気に入り登録の数という、自尊心を刺激する仕組みが整っているので、承認欲求を満
僕はどうしても好きになれません。こんな研究して何になるんですか?何のためにやってるんですか?1年かけてやる価値が分かりません。 自分は今岐路に立っている。この研究さえ終わらせれば、大学卒業して内定をもらっている会社に就職して、おそらく今よりもずっと楽しい生活が待っている。反対に、この研究が終わらなければ卒業もできず、お金も無いので大学辞めるしかなくて、就職も何も無くなって、今より苦しい、というか絶望的な生活が待っているんだ。 でもそんなのは最初からわかってたんだよ。でもできないんだよ。面白くないんだもん。ちっとも楽しくない。 確かに何かを成し遂げることは重要なことだ。途中で放棄するやつよりもやり切るやつの方が素晴らしい。かっこいい。というより人としてそれは当たり前なことであって、放棄してしまってはまともな社会人になれないし、いわゆる社会不適合者なんだと思う。 そうだ、僕は社会不適合者なのか
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