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下記のリンク内容に賛同します。日本のメディアは当然として、個人についても、出来るだけ早く、広く対応するべきだと考えます。 「イスラム国」という名称の変更を希望します 日本のメディアにおいて「イスラム国」と称されている過激派組織の行いは、イスラームの教えとはまったく異なるものです。イスラームにおいて、テロ行為や不当な殺人、迫害は禁じられており、また女性や子どもの権利は尊重されなければなりません。エジプトにあるイスラームスンニ派最高権威のアズハルからは、昨年9月、この過激派組織に「イスラム国」の名称を使用するのは不適切であり、イスラームとムスリムに対して不当であるとの声明が発表され、海外のメディアに「イスラム国」の名称を用いないよう要請がありました。 しかし、日本のメディアでは、この要請が実現されておらず、国際社会が国家と認めていないただのテロ集団に対して「イスラム国」の名称が使用され続けてい
こんなツイートを見かけました。 一般には知られていない事実。それは以前どこの教室にもテレビがあり、教育テレビも見られれば、デジカメやビデオをテレビにつなげて自由に授業ができた。ところが今はどこの教室にもテレビがない。NHKが1台ごとの視聴料を請求したからだ。学校での視聴は無料と文科省が動けば済んだのに。怠慢。https://twitter.com/naka8952/status/509672439509303296 言うまでもなくこれは純度100%の単なるデマでして、学校や社会福祉施設などの機関は受信料免除対象なので、「NHKが1台ごとの視聴料を請求」などという事態が発生する訳はありませんし、それによってテレビが教室から撤去されるということも起こり得ません。 1 全額免除 (学校) (2) 別表2に掲げる学校において、児童、生徒または幼児の専用に供するため、その管理者が受信機を設置して締結
いやーこれはテレビ朝日様の為にも宣伝に協力しないとなー。 テレビ朝日:みんながカメラマン 「自分が撮ったスクープ映像をテレビ朝日に送って、テレビに流してもらおう!これで君もジャーナリストだね!やったね!まあ無償だけどね!」みたいなコンセプトなんだと思います。 スクープのアウトソースを図るって報道局としてどうなの、という話もないではないですが、まあそれは今までも、youtubeの動画をパクってそのまま流しているだけの番組とか色々あった訳ですし、今更のことと考えて問題ないだろうとは思います。 ただ、 投稿者は、本サイトに投稿データを投稿するにあたり、本規約の全文をお読みいただき、本規約に同意いただく必要があります。と謳っている割に、絶妙な感じでデフォルト非表示になっている規約については色々と興味深いです。 テレビ朝日様の説明の手間を省くために、重要そうなところを幾つか確認してみましょう。 4.
「ジョジョの奇妙な冒険」の話。多分既出なのだろうがまあいいや。 言うまでもなく、「ジョジョの奇妙な冒険」はとても面白い超有名少年漫画であり、ファンもアット―的に多い作品である。そして、皆様よくご存じの通り、ジョジョはストーリー毎に幾つかのブロックに分かれている。 第一部「ファントムブラッド」は、ジョナサン・ジョースターが主人公の、全ての始まりとなるお話。私連載開始当初読んでいたが、まさか序盤のあの展開が後にあんな怒涛の展開になるとは思いませんでしたよ。 第二部「戦闘潮流」は、ジョナサンの孫であるジョセフ・ジョースターが主人公の、「柱の男」たちとの戦いのお話。 第三部「スターダストクルセイダース」は、 空条承太郎が主人公の、「スタンド」をメインのギミックとした戦いのお話。 以下、第四部「ダイヤモンドは砕けない」第五部「黄金の風」第六部「ストーンオーシャン」にSTEEL BALL RUNと、ど
帰り際に次女が深く寝入ったので、奥様が次女を寝かしつけている間に、私が長男6歳・長女2歳をお風呂に入れた。わしゃわしゃと体を洗わせ、わしゃわしゃと頭を洗い、容赦なくざばーーっと流した後湯船に放り込むだけの簡単なお仕事である。 その時長男と話した内容が、妙に刺さったというか、えらく真剣に聞いていたので、割と適したたとえ話だったかなーと思い、記録代わりに会話のログを残しておく。 発端は、太陽や木星の大きさについて話していたことだった。 息子「ねーパパ、もくせいって一番大きいの?太陽より大きいの?」 私「地球よりずっと大きいけど、太陽程は大きくないよ。太陽は、太陽系で一番大きい」 息子「太陽は木星の何倍くらい大きいの?千倍くらい?」 私「んーー、球の大きさ(半径のつもりで言っている)だけなら10倍とかそれくらいじゃないのかな?重さはもっとずっと太陽の方が重いけど」 息子「大きいのと重いのは違うの
子どもにゲームを買ってあげると何がまずいかなー、と考えるわけです。 で、例えば 「ゲームに夢中になって、お友達や親とのコミュニケーション不全になる」とか、 「ゲームをやり過ぎて目が悪くなる」とか、 「ゲームをやり過ぎて勉強時間や運動の時間が足りなくなる」とか、 そういう話がよく出るわけですよね。 その度に思うのが、いや、そこは叱れよと。やり過ぎだったら止めろよ、と。 確かにいますよね。ファミレスでとか、食事中とか、本来なら家族でコミュニケーションをとるべきタイミングで、ずーっとゲームしてる子とか。私自身も、そりゃないんじゃないの、と思うことはあります。 別にゲームに限った話じゃないんですが、子どもは楽しいことだったら当然夢中になりますよね。ちょっと夢中になると、自分では歯止めなんてききゃあしないわけです。 けど、同じくゲームに限らず、「今はそれをやるべきタイミングじゃない」というのは当然あ
スクールカウンセラー時代に身に着けたスキルかなんかなんだろうか。 長男(6歳)は本が大好きで、最近は自分一人でも読むが、昔から読み聞かせをねだることが多い。「この本読んでーー」と持ってきて、こちらが何をしていようとお構いなく太ももにどすんと座ってくる。最近は、下の双子も「ちゃー」とか「ぴゃー」とか言いながら絵本を持ってきては、なんだか分からない言語で読み聞かせを要求するようになった。 本が好きなのはいいことだと思うので、読み聞かせをねだられたら、可能な限り腰をすえて読んであげるようにしている。この頃は、「だれも知らない小さな国」のような、ある程度長い児童小説も、ちょっとずつ辛抱強く聞けるようになってきた。私がいるときは私がねだられることが多いが、奥様が読み聞かせをすることも結構ある。 で、今日、奥様が「星からおちた小さな人」を読み聞かせをしているのを横で聞いていて、色々凄いと思った。(飽く
ガンナー始めました。 私は基本的に不器用なので、まともに扱えるのは大剣くらいで、あとはハンマーがちょぼちょぼという感じなのだが、各シリーズ大体一度は飛び道具に手を出す。P3及び3Gでは弓だった。が、今回勾配がある場所でのエイミングに慣れる気が全くしなかったので、今まであまり手を出してこなかったヘビィボウガンに手を出してみた。 始めて思ったのだが、面白い。大剣や弓とはまたぜんぜん違った面白さである。上手くクリティカル距離に陣取って、スコープ越しに相手を狙い打つ面白さ。STGの感覚にも近いものがある。 ただ、当たり前のことだが、根本的なところではやってることは同じだなーと。 ・攻撃機会の選定 ・攻撃 ・回避・防御に移るかどうかの判断 ・必要なら回避・防御 以上4手順。これは多分、どの武器でも変わらない。ただ、攻撃して回避に移るまでのリードタイムと、回避用不要判断の基準が違うだけ。 ヘビィボウガ
最初に書きたいことをまとめると、 A.難しい課題を苦労して解決して、自分の腕前を上げたり装備を強くしていくのを面白いと感じるかどうか B.オンラインプレイに親和性があるかどうか、いい協力相手がいるか、またはいい協力相手に巡り合えたか モンハンを楽しくプレイする為には、上記二つの条件の内どちらかを満たしている必要があると思います。言い方を変えると、上記条件のどちらか片方だけでも満たせればモンハンは楽しめるし、その為のインフラを開発者さん達が頑張って整えたからこそ、本来好みが超分かれるゲームの筈なのにこんなにマスに売れたんじゃないかなあ、と、そんな風に思うわけです。 で、Bの条件は周囲に左右されまくるんですが、Aの条件があればモンハンはソロ専でもとても楽しいので、上級者の人が初心者の人を誘う時は、その楽しみを味わえることを意識してあげるといいんじゃないかなー、と思いますですよ。 -------
ロマサガ2の話だが、先に断っておくとヨタ話である。 今更いちいち言うまでもなく、ロマサガ2はスクエニの代表的RPGシリーズの一角であり、帝国の歴史をなぞるという広大なスケールの世界設定を背景に、高い完成度を誇った名作である。 このゲームにおいて、プレイヤーはバレンヌ帝国の「皇帝」を操り、自ら各地を巡って、帝国の敵を打ち倒したり、よそ様の内政問題に首を突っ込んで半強制的に問題を解決したり、ルドン高原で行方不明になったり、人魚と駆け落ちしたりする。 最終的にはバレンヌ帝国は、西はアバロンから東はヤウダまで、(ゲームの進め方にもよるが)かつての繁栄以上の広大な版図を治めることになる訳であって、その国家戦略・拡張戦略には学ぶべきことが多そうだ。 本記事では、バレンヌ帝国の国家戦略を分析することを通して、現代を生き抜く為の英知を抽出することを目的としてみたい。 三つのテーマに分けて考えてみる。 ・バ
長男(幼稚園年中)と話していた際、ふと気付いたこと。よく考えてみればごく当然のことだったのだが、今まではっきりと認識出来ていなかったので、ちょっと書きとめておきたくなった。 子供たちや奥様と一緒に、風呂に入った時の話である。 我が家の風呂は、比較的早風呂である。とはいえ、風呂に入りながらも色々と話す。 息子さんとばしゃばしゃお湯をいじりながら、私はなんとはなしに、「今日、幼稚園で何があったー?」と聞いた。この時、彼は「もう、そんなにいろいろ聞かないでよー」という嫌がり方をしたのである。 ん、色々? 私が聞いたのは、「幼稚園でどんなことが起きたか」という一点だけであり、別に「色々な質問」をした訳ではない。そして、この質問をする前にしていた話は、お風呂で遊ぶおもちゃについての話であり、特段何か質問をした訳でもない。 実は、この質問に対して息子さんが難色を示すのは、初めてのことではない。いつもは
おさるのジョージについての話題を拝見しました。おさるのジョージは、土曜朝8:35からNHK教育で放映されている、おさるが主人公のアニメです。 やまもといちろうBLOG:『おさるのジョージ』の黄色い帽子のおじさんの心の広さは異常 NHK:おさるのジョージ おさるのジョージ、面白いですよね。うちの息子も、土曜午前に用事がない時は欠かさず見てます。まあ、その後大体9時半からのぶらり途中下車の旅まで観たがるんで、どっかを犠牲にして朝ごはん食べさせるんですけど。 ところで、おさるのジョージの直後の9:00から、もう一つ、クレイアニメ風の番組が放映されています。「ひつじのショーン」です。息子はそこまでテレビ好きではないのですが、こちらも好きでよく観ています。 ひつじのショーン このひつじのショーンも、おさるのジョージと同様、「動物とその飼い主である大人が主軸のコメディ」なんですけど、この対称性が物凄い
ドミニオン 自宅に、以前@decoymakerさんに譲って頂いた「ドミニオン」「ドミニオン陰謀」「ドミニオン海辺」が置いてあった。 「ミイラのたからもの」や「ネコノス」以降アナログゲームづいている息子さんは、ドミニオンの箱の中にカードがたくさん入っているのを見て大興奮して、「パパやりたいー教えてーー」といい始めた。ドミニオンの対象年齢は8歳以上。大丈夫なんかいな、と思わないでもなかったが、まあ本人がやりたがるなら、ということで教えてみることにした。 以下は、ドミニオンに触れ始めるようになってから現在までの、息子さんレベルアップの記録である。 ・取り敢えず基本セットをやらせてみた 「firstgame」をやらせてあげようと思ったのだが、どんなサプライだったか私がよく覚えていなかったので適当。 セットは「礼拝堂、地下貯蔵庫、村、鍛冶屋、改築、民兵、鉱山、研究所、市場、祝祭」。 最初は本当に基本
まず最初に、@daichiさんのこのツイートがある。 読書感想文なんかより要約やらせたほうがよほど国語力伸びる気がする。書いてあることを書いてあるとおりに読めない人がちゃんと書けると考えるのなかなか難しい。要約が大事というのは全くおっしゃる通りであるし、書く前にまず読解から、という点にも異論はない。「今の学校教育における読書感想文」を対象にすれば、@daichiさんの言うことは実に正しいと思う。 ただ、私は本来「読書感想文には読書感想文にしか出来ないことがある」筈だし、もっと教育としてやりようがあるだろう、要約は要約で勿論必要だけど、「読書感想文なんか」と言わせてしまうのはいくらなんでも勿体ないだろう、という意見をもっている。 ちょっとこのエントリーではそれについて書いてみたい。 昔話から始める。 小学校の頃、それなりに気合の入った読書感想文を書いたことがある。確か、クラスの課題図書は、ケ
形を変えた「チャレンジャー」なのではないか、などと思うわけなのである。 実は、私にとってはドラえもんはライバルである。私は、ファミコンにおけるハドソンの三大名作は「迷宮組曲、ボンバーマン、サラダの国のトマト姫」だと考えており、かつその中でもトップは迷宮組曲だと考えており、迷宮組曲がハドソンゲーでありながら当時あまりピックアップされなかった理由は、「高橋名人の冒険島(1986年9月12日)」と「ドラえもん(1986年12月12日)」という二大ミリオンセラーに挟まれていたからではないか、と思い込んでいるからである。 とはいえ、勿論ファミコン初期におけるハドソンの存在は巨大であり、後々「ドラえもんゲーに外れなし」と一部のファミコンゲーマーに言わしめるに至った、そのスタート地点である本作の存在は、やはり無視出来るものではない。 「ドラえもん」。アクションゲーム・シューティングゲーム。1986年12
○Webでは「不幸なテキスト」が目立つよなあ、という話 以前も似たようなことを書いたが、特にWebにおいて、「幸せ」というものは「不幸」に比べて可視化されにくい。 理由は多分幾つかあって、 ・幸せは人を充足させるので、「それについて誰かと共有したい」という新しい欲求を生みにくい。 ・「幸せであること」を主張するのは「自慢」と取られ勝ちであり、自慢は反感を買いやすいという意識がある。一方自虐は主張しやすい。 ・「他人の幸せ」よりも「他人の不幸」の方がコンテンツとして面白いことが多い。その為、後者を可視化した方が承認を得られやすい。 ・上記に関連することだが、「他人の不幸」には、助言、提案、上から目線からの罵倒など、様々な反応を寄せやすい。一方、「他人の幸福」には、極端な話「良かったですね」という以外の反応を寄せにくい。 ・「幸せであること」を主張すると、「○○は不幸なのにそんな話をするなんて
ちょっと取りとめもない話をする。 職場の近くでの出来事だ。 私の職場はお台場の一角で、いわゆる観光地に近しい。職場の向かいではフジテレビ本社ビルのなんか丸い物体がキラキラと光っており、近隣の駅では年二回漫画のお祭りが開かれる、そんな立地である。 私にとっては見慣れた風景を、喜んで写真に撮っている外国人の観光客らしき人がいた。 その光景を遠めに観て、「こんな景色何が珍しいのかねえ」と、やや蔑んだ口調で言った会社員の人がいた。 私の普段の心象は、正直に言えば後者に近しい。おそらくその会社員の人もそうだったのではないかと思うのだが、こういう時私の感情の主たるものは、恐らく優越感だと思う。自分が見慣れているものが、相手にとっては珍しいものである、という優越感。相手が貴重とみなしているものが、自分にとっては大したものではない、という優越感。 これは勝手な想像なのだが、「観光客に対する地元民の優越感」
こんな記事を読んだのだが。 【今週の人柱】800円!初代FFのAndroid移植版が不親切過ぎて、ある意味ゲームの進歩を感じた件 はてなブックマーク: 【今週の人柱】800円!初代FFのAndroid移植版が不親... 思うに、この記事を読んだ「昔からのゲーム好き」は、余りに簡単に優越感を煽られ過ぎだと思う。 「チュートリアルがなけりゃゲームも遊べねーのかよ」と嘲笑するのは簡単だし、ゲームレビューとして考えるとお粗末なのも確かだし、これはもしかすると炎上マーケティングなのかも知れないが、それでも「ただ嘲笑する」よりは建設的な読み方、というものがあるのではないか。 この記事が純粋な「架空のプレイヤー」のネタ記事である、という可能性を考えず、敢えて額面通りに読んでみる。 チュートリアルが無い!操作がわからない! 左下にうっすらと浮かび上がっているマークが十字キー替わりなのですが、初見では意味が
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