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歴史となるほどに関するdameganoのブックマーク (8)

  • 明智光秀は本能寺に行かなかった?家臣が実行、古文書に(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース

    戦国武将の織田信長(1534~82)が、配下の明智光秀(1528?~82)に討たれた能寺の変(1582年)をめぐり、光秀は能寺(京都市中京区)の現場には行かず、部下に実行させていたとする学説が出てきた。能寺の変に参加した家臣から聞いた情報として、事件から87年後にまとめられた古文書に記録されていた。これまで映画やドラマなどでは光秀人が寺を襲ったように描かれてきたが、それを裏付ける史料はなく、研究者の間でも議論されてきた。 【写真】1行目に「光秀ハ鳥羽ニヒカエタリ」。明智軍が能寺を急襲し、信長が武器を取って戦う様子も記されている 古文書は江戸時代前期に、加賀藩(現在の石川県と富山県の一部)の兵学者、関屋政春(せきやまさはる)が書いた「乙夜之書物(いつやのかきもの)」(金沢市立玉川図書館近世史料館所蔵、3巻)。史料の存在は一部で知られていたが、主に加賀藩に関わる部分が注目されてきた

    明智光秀は本能寺に行かなかった?家臣が実行、古文書に(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース
    damegano
    damegano 2021/01/04
    なるほどと思いながら読み進めて、最後に出てきた名前にずっこけた。もうこの人は研究者じゃなくて文化人タレント枠の人だからさぁ……専門の時代とも違うしなぜ彼に聞いた。せめて小和田先生とかに
  • やっぱり弱かった!? 実は意外と強かった!? 室町将軍たちの真実に迫る!【レポート】 | アルトネ

    「室町時代は、NHK大河ドラマの題材になることも少なく、初代将軍の足利尊氏を主人公にした『太平記』、応仁の乱を描いた『花の乱』くらいで、非常にマイナーな時代。皆さんにとってはあまり馴染みのない時代だと思います」と呉座さん。「そんな中、“室町将軍”と題して、15代を紹介する展覧会は前代未聞。私は室町時代が専門なので非常にうれしいです。これを機に室町時代に興味を持っていただければ」と題へ。 「やはり、室町将軍は“弱い”というイメージでしょうか。盤石な武家政権の江戸幕府、承久の乱など戦のイメージが強い鎌倉幕府。それに比べて室町幕府はなんとなく弱く感じますね。金閣寺を作った3代将軍・義満は例外として、将軍が守護大名の力を抑えられていないイメージでしょうか」 司馬遼太郎の小説「箱根の坂」には「国王(=将軍)というには、所領がすくなすぎた」「初代将軍・尊氏は気前が良く、家来に土地を分け与えていた」と

    やっぱり弱かった!? 実は意外と強かった!? 室町将軍たちの真実に迫る!【レポート】 | アルトネ
    damegano
    damegano 2019/08/30
    室町幕府の特徴として「常に敵がいる」として、VS南朝の尊氏~義満(前期)、VS鎌倉府の義持~義尚(中期)、VSもう一人の将軍の義稙~義昭(後期)という分類になるほど。敵が居るからこそ実は意外と強かったのでは?
  • 八幡氏への忠告② 人生経験は歴史研究に益するか

    八幡氏は 呉座さんが分かってないと思うのは、自分が文献資料の分析だけのプロだということだ。だから、資料の発見とか整理や評価はプロのはずだが、解釈能力があるかどうかは別だ。解釈は森羅万象についての知識、推理能力、人生経験などがものをいうから、文献史家がプロとしての優位性をもっているとは言い切れない と述べる。 こういう誤解をしている歴史愛好家は非常に多い。私が大学院生の頃、定年退職して大学の聴講生として日史学研究室に出入りしている方がいた。その人は「歴史なんてものは若い人には分からない。人生経験を積んでこそ分かるのだ」と主張されていた。だがもちろん、大学院生の方がその方より史料が読めるし知識もあるので、みんなで色々と指導するのだが、自分の息子や娘より年下の若造たちに指図されるのが癪に障ったようで、そのうち姿を見せなくなった。 当時の私は「困ったお年寄りだな」と思っていた。けれども今にして思

    八幡氏への忠告② 人生経験は歴史研究に益するか
    damegano
    damegano 2019/03/26
    「一人の人間が一生で経験できることなんて多寡が知れているからこそ、私たちは本を読み、歴史を学ぶのである。」歴史を学ぶ意味はまさにここだよなぁ。巨人の肩に乗ることで新たな視点を得られる
  • 肉食の社会史 中澤克昭著 「禁欲」が「禁忌」となる道すじ - 日本経済新聞

    人が獣の肉をべ始めたのは明治時代になってからで、それまでは仏教の影響で人々は肉を避けてきた――。日中世史研究に携わる著者によると、そんなイメージは時代や地域、人々の階層差を無視した、かなり乱暴な説である。平安時代までの天皇は野で狩った鹿やイノシシの肉を正月の膳でべるのが習わしだったし、摂関家のような高位の貴族はタカ狩りで得たキジの肉を焼き物や吸い物にして味わっていた。武士が腕を磨い

    肉食の社会史 中澤克昭著 「禁欲」が「禁忌」となる道すじ - 日本経済新聞
    damegano
    damegano 2018/10/13
    「武士が腕を磨いた技芸には狩猟が欠かせず、イヌを食べることも珍しくなかった。」言われてみれば犬追物で獲物になった犬をそのあとどうしたかを考えれば、無駄にせず食べたと考えるのが自然だよなぁ。
  • 〈鋼鉄の処女〉が鎮座する「拷問博物館」で、先人の知恵に触れる(齋藤 海仁) | 現代ビジネス | 講談社(1/3)

    拷問——なんともいやな言葉だ。この拷問に関する資料を豊富にそろえた博物館が東京のど真ん中にある。江戸時代の拷問「石抱」の石や、さらし首、磔〈はりつけ〉の台、ヨーロッパの拷問具「ニュルンベルグの鉄の処女」、処刑台「ギロチン」など、おどろおどろしいものが陳列されているが、そこから見えてくるのは、残酷という言葉だけでは片付けられない、先人たちの知恵の積み重ねだった。 江戸の犯人逮捕は”できるだけ殺さず生け捕り” 「拷問博物館」と呼ぶ人もいるーー「明治大学博物館」は、明治大学駿河台キャンパスの地階にあった。 エスカレーターで地下1階に降り、さらに暗い階段をおそるおそる下りて地下2階へ。真っ先に目に飛び込んだのは——来たあ! 皮剥ぎの刑を受ける血塗られた恐怖の蝋人形――なんてことはまったくなくて、由緒正しき古文書だった。 それもそのはず、明治大学の前身は明治法律学校。ここはもともと学生に法学の歴史

    〈鋼鉄の処女〉が鎮座する「拷問博物館」で、先人の知恵に触れる(齋藤 海仁) | 現代ビジネス | 講談社(1/3)
    damegano
    damegano 2018/10/06
    死刑制度の残存する日本を人権派は蔑むけど、日本は江戸時代から下手人をその場で殺すこと無く、きちんとお白州で法の裁きとして処刑している。テロリストの「疑い」で射殺する方が野蛮だなと思ってしまった。
  • 大坂の陣の講和は、家康の陰謀だったのか?(フレデリック・クレインス) | 現代新書 | 講談社(1/3)

    英雄ではなく、民衆を主語として、白村江の戦い、応仁の乱、大坂の陣、禁門の変など日史上の戦乱を論じた『戦乱と民衆』。刊行を記念した特別エッセイの第4弾は、国際日文化研究センター准教授のフレデリック・クレインス氏。民衆のあいだに流れていた噂とは? 大坂の陣の講和は陰謀だったのか?平戸オランダ商館文書をもちいて、大坂の陣を読み解く。 ◆『戦乱と民衆』公開記念 ◆ 第一弾 呉座勇一氏エッセイ「一揆はほんとうに「進歩的な勢力」が担っていたのか?」 第二弾 倉一宏氏エッセイ「いつの世にも、戦争を喜ぶ民衆はいるんです」 第三弾 井上章一氏エッセイ「亡命者を出さなかった明治維新」 滅亡に追い込まれた豊臣氏 徳川家康は方広寺鐘銘事件を大義名分として、慶長19(1614)年に全国の大名に出陣の命令を出して、20万人の大軍で豊臣秀吉の継嗣・秀頼のいる大坂城を攻めた。いわゆる「大坂冬の陣」である。 圧倒的に

    大坂の陣の講和は、家康の陰謀だったのか?(フレデリック・クレインス) | 現代新書 | 講談社(1/3)
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    damegano 2018/09/21
    巷間に伝わるような狸親父家康が手練手管を用いて豊臣家を滅ぼそうとした、という話ではなく、先に秀頼が約束を違えたので夏の陣が起こったと史料からは読めるのか。「真田丸」でも家康は穏健策、秀忠が強攻策だった
  • 【歴史の転換期 Vol.7】理想と策略の相まみえる中国政治の面白さ|記事|ヒストリスト[Historist]−歴史と教科書の山川出版社の情報メディア−

    リーダシップは十人十色。また、どんなリーダーに惹かれるかも十人十色。時代に関係なく、理想を実現するために必要なことの1つには、潮流を見極める力や柔軟に対応する発想力と行動力などが求められるのかもしれません。今回は、ヨーロッパでアドリアノープルの戦い(詳しくは、【歴史の転換期 Vol.6】古代の移民問題をご覧ください。)が起きた378年、中国はどのような状況だったのか、その時のリーダーはどんな理念を持ち、どんな行動をおこしていたのかを見ていきます。 中国の378年 北方には、並び立つ遊牧系民族による小国を併呑した覇者たる氐族の秦(前秦)がおり、江南には漢族の東晋が古代帝国秩序を何とか継続させていました。この両者が中国のちょうど南北を分かつ淮河を挟んで向かい合う状況でした。淮河は黄河や長江ほど大きな川ではありませんが、この川の南と北では気候も言語も生活もことなります。地政学的に越えにくい一線

    【歴史の転換期 Vol.7】理想と策略の相まみえる中国政治の面白さ|記事|ヒストリスト[Historist]−歴史と教科書の山川出版社の情報メディア−
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    damegano 2018/09/11
    「リーダーとは平和主義・徳治主義を貫くだけではだめで、理想と現実の狭間で、手綱さばき1つで人の心がつかめなくてはならないのです。」民主党政権が崩壊したのはまさにこれ。
  • インパール作戦を立案・指示した「陸軍最悪のコンビ」の深層心理(広中 一成) @gendai_biz

    不祥事の「責任」は誰にあるのか? 昨年から今年にかけて、日では組織内で何らかの不祥事が起きたとき、誰がどのように責任を取るのかという問題が注目を集めた。 そのひとつが、いわゆる森友学園問題である。これは、学校法人森友学園が小学校新設に際し、不当に安い価格で国有地を手に入れたことに端を発する。政界を巻き込む大スキャンダルとなり、最終的に問題に関わっていた財務省側の局長クラスの幹部らが懲戒処分を受けた。 もうひとつ、私たちの記憶に新しいのが、日大学アメフト部悪質タックル問題である。今年5月6日に開かれたアメフトの試合で、日大選手が故意に相手選手にタックルし負傷させた。その後、日大選手にタックルするよう命じた監督とコーチからが責任を取って辞任した。 しかし、どちらの問題も責任者の処罰だけで終わらせてよいのかという声が今でも根強い。 組織の誰かが不祥事の責任を取って終幕を図るというやり方は、今

    インパール作戦を立案・指示した「陸軍最悪のコンビ」の深層心理(広中 一成) @gendai_biz
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    damegano 2018/08/17
    "本来であれば、インパール作戦の敗北の批判は、牟田口だけでなく、河辺らにも向けられなければならなかったはずだった。"わかりやすい責任者ひとりをつるし上げるのでは無く、問題全体を見渡すことが大事、と。
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