伊予国分寺(いよこくぶんじ)は、愛媛県今治市国分に位置する真言律宗の寺院。金光山(こんごうざん)、最勝院(さいしょういん)と号す。本尊は薬師瑠璃光如来(薬師如来)。四国八十八箇所第五十九番札所。伊予府中十三石仏霊場の第7番霊場。札所寺院としては、単に「国分寺」と称するのが通例である。 本尊真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか ご詠歌:守護のため建ててあがむる国分寺 いよいよめぐむ薬師なりけり 天平13年(741年)、聖武天皇が発した国分寺建立の詔によって建立された諸国国分寺の一つである。国分寺は『金光明最勝王経』による国家鎮護の寺であり、当寺もそれから山号・院号がつけられている。寺伝では聖武天皇の勅願により行基が開創し、第三世・智法律師のとき、空海(弘法大師)が逗留し五大明王の画像を、その後、真如は法華経を奉納したとされる。 史実としては、具体的な創建年は定かでないが、『続日本紀
白衣観音図 観音菩薩(かんのん ぼさつ、梵: Avalokiteśvara)は、仏教の菩薩の一尊。観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)、観自在菩薩(かんじざいぼさつ)、救世菩薩(くせぼさつ・ぐせぼさつ)など多数の別名がある。一般的に「観音さま」とも呼ばれる。 観音菩薩の起源や性別には定説がない。 友松圓諦は『般若心経講話』(1956年)の中で、「どこか、観自在菩薩の信仰のつよい地方、また、密教の呪文が珍重されていた地方」に起源を求めた。 岩本裕はインド土着の女神が仏教に取り入れられた可能性を示唆しており[3]、エローラ石窟群、サールナートなどインドの仏教遺跡においても観音菩薩像と思しき仏像が発掘されている。 ゾロアスター教においてアフラ・マズダーの娘とされる女神アナーヒターやスプンタ・アールマティとの関連も指摘されている[4]。 梵名のアヴァローキテーシュヴァラのイシューヴァラは自在天のこと、つ
薬師如来が説かれている代表的な経典は、永徽元年(650年)の玄奘訳『薬師瑠璃光如来本願功徳経』(薬師経)と、景竜元年(707年)の義浄訳『薬師瑠璃光七佛本願功徳経』(七仏薬師経)であるが、そのほかに建武〜永昌年間(317〜322年)の帛尸梨蜜多羅訳、大明元年(457年)の慧簡訳、大業11年(615年)の達磨笈多訳が知られている。 薬師本願功徳経では、薬師如来は東方浄瑠璃世界(瑠璃光浄土とも称される)の教主で、菩薩の時に12の大願を発し、この世門における衆生の疾病を治癒して寿命を延べ、災禍を消去し、衣食などを満足せしめ、かつ仏行を行じては無上菩提の妙果を証らしめんと誓い仏と成ったと説かれる。瑠璃光を以て衆生の病苦を救うとされている。無明の病を直す法薬を与える医薬の仏として、如来には珍しく現世利益信仰を集める。 密教経典としては「薬師瑠璃光如来消災除難念誦儀軌」「薬師七仏供養儀軌如意王経」等が
石手寺の衛門三郎 石手寺(いしてじ)は、愛媛県松山市にある真言宗豊山派の寺院。熊野山(くまのざん)、虚空蔵院(こくぞういん)と号す。本尊は薬師如来。四国八十八箇所第五十一番札所。遍路の元祖とされる衛門三郎の再来伝説ゆかりの寺でもある。 初詣・厄除詣の参詣者数は県内随一であり、道後温泉から近いため、遍路の他にも、観光客で賑わうことが多く、2009年3月、ミシュランガイド(観光地)日本編において1つ星に選定された。 本尊真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか 御詠歌:西方をよそとは見まじ安養(あんよう)の 寺に詣りて受くる十楽(じゅうらく) 納経印:本尊、奥之院石鉄寺、衛門三郎再生大師 寺伝によれば、神亀5年(728年)に伊予国の太守、越智玉純(おちのたまずみ)が夢によってこの地を霊地と悟り熊野十二社権現を祀った。これは聖武天皇の勅願所となり、天平元年(729年)に行基が薬師如来を刻ん
圓明寺(えんみょうじ)は、愛媛県松山市和気町にある真言宗智山派の寺院。須賀山(すがざん)、正智院(しょうちいん)と号す。本尊は阿弥陀如来。四国八十八箇所第五十三番札所。近年は円明寺と表記されることが多い[1]。 本尊真言:おん あみりた ていぜい からうん ご詠歌:来迎の弥陀の光の圓明寺 照りそふ影は夜な夜なの月 納経印:当寺本尊、奥之院十一面観音、四国十三仏霊場勢至菩薩 寺伝によれば天平勝宝元年(749年)聖武天皇の勅願を受けて行基が本尊阿弥陀如来、脇侍に観世音菩薩、勢至菩薩を刻んで開基した。当初は現在地より北西約2.5 kmの和気浜の西山という海岸にあり「海岸山圓明密寺」と称する七堂伽藍を備えた大寺であったという。後に空海(弘法大師)がこの地を巡錫し荒廃した伽藍を整備したという。 鎌倉時代以降に幾度か兵火によって荒廃、元和年間(1615年 – 1624年)に現在地に移転。寛永10年(1
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "空海" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2021年4月) 善通寺(香川県善通寺市) 宝亀5年(774年)[注釈 1]、讃岐国多度郡屏風浦(現在の香川県)で生まれたという説がある。父は郡司・佐伯田公、母は安斗智徳の娘の玉依御前[注釈 2]。幼名は眞魚。真言宗の伝承では空海の誕生日を6月15日[注釈 3]と云われているが[注釈 4]、正確には不詳である[注釈 5]。 延暦7年(788年)、平城京に上る。上京後は、中央佐伯氏の佐伯今毛人が建てた氏寺の佐伯院に滞在した[9]。 延暦8年(789年)、15歳で桓武天皇の皇子伊予親王
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く