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ブックマーク / note.com/noyasuyukio (5)

  • 野安の電子遊戯工房 ~「ゲンロン8」を巡る事実誤認の指摘と、それに対する対応について~|野安ゆきお|note

    なんとも残念な結果です。 「ゲンロン8 ゲームの時代」という書籍内の、ゲーム歴史について数十ページにわたって語られている記事には、あまりにも事実誤認が多く、各方面からの激しい指摘が飛び、大きな話題を呼んでしまったことをご記憶の方も多いでしょう。 でもって、電ファミニコユーザーさんが一肌脱いで、60ページほどの記事内にある、200箇所を越える問題点の指摘を著者の方々に提示したのですが、それに対する書籍サイドからの返答がこちらになるわけです。 『ゲンロン8』共同討議へのご指摘に対する返答 うん。ここまで真摯じゃない返答は、めったに見られるものじゃありません。昭和の時代の役所のようだ。 かくして、この騒動は、各方面にダメージだけを残し、結果としてみんなが損をしてしまうという最悪の方向に着地することになりそうです。なんとも残念な結末だなぁ。 この騒動で、もっともダメージを受けるのは、アカデミズム

    野安の電子遊戯工房 ~「ゲンロン8」を巡る事実誤認の指摘と、それに対する対応について~|野安ゆきお|note
    dark
    dark 2018/10/03
    この件、電ファミ側を批判する声も見かけたけど、あれは無償での校閲作業だと考えると、捉え方も変わるんじゃないかなと思う
  • 野安の電子遊戯工房 ~話題の「ゲンロン8 ゲームの時代」を読んでみた・その2~|野安ゆきお

    昨日に引き続き、いまネットで話題の「ゲンロン8 ゲームの時代」について、思うところを書いてみます。 たくさん発見できる事実誤認についても、いろいろと書きたいことはあるのですが、それらはいったん横に置くとして、ここではゲームを捉えるときの全体的な視点に関する違和感について書いておきます。 ものすごく気になったのは、テレビゲームというコンテンツを、かなり偏った視点から取り扱っていることです。まるで小説映画のように個人がテクストと対峙する形式のコンテンツと同じように、テレビゲームという文化を捉えようとしているといいますか。 そこには、モニターの前に複数のプレイヤーが集い、ゲームを楽しむという光景への洞察が希薄です。テレビゲームが持つ、みんなが楽しむパーティーグッズ的な側面は、ばっさりと切り捨てられている。そちらに注ぎ込まれた開発者たちの労力は無視されている。 これが、個人的なゲーム評であるとい

    野安の電子遊戯工房 ~話題の「ゲンロン8 ゲームの時代」を読んでみた・その2~|野安ゆきお
    dark
    dark 2018/06/23
    野安氏のゲンロン8評の続編
  • 野安の電子遊戯工房 ~話題の「ゲンロン8 ゲームの時代」を読んでみた~|野安ゆきお

    ネット上で話題になっていた「ゲンロン8 ゲームの時代」を読んでみました。なるほど、これはネット上で嘲笑の声が出まくって当然、というでした。 わたしが気付いただけでも、事実誤認がたくさんありました。 とはいえ、ゲームを語るときに事実誤認があることは、たいした問題ではない――ということは、まず明言しておきましょう。このが、ゲームに関わっている人たちの怒りを呼び、また呆れさせている根的な要因は、そういうところにあるのではないのです。 (前略)単にコンピュータゲームの盛衰を社会現象として辿るというものではなく、かといってゲームプレイの魅力を個人の経験に基づいて語るというものでもなく、ゲームという新しい技術あるいはメディアの登場がいかに二一世紀を生きる私たちの生と認識を規定しているか、その連関を探る~(後略) [P.006] というスタンスからゲームの話題を取り扱うと宣言しているところに、じつ

    野安の電子遊戯工房 ~話題の「ゲンロン8 ゲームの時代」を読んでみた~|野安ゆきお
    dark
    dark 2018/06/22
    野安氏のゲンロン8評。スプラトゥーンは同じ部分を自分でも引っかかっていたので、言語化してくれて嬉しい
  • 野安の電子遊戯工房 ~テレビゲームとスポーツは、似ているようで、ちょっとだけ違う(その4・完結編)~|野安ゆきお

    テレビゲームとスポーツは、似ているように見えて、ちょっとだけ違うんだよ——という話の完結編です。 テレビゲームとスポーツでは、「公平さ」の意味が違います。 すべての参加者に、同じルールを適応するのが「スポーツにおける公平さ」です。それに対し、いやいや参加者によって実力が違うんだから、実力に合わせて違う体験をさせてもかまわないし、そうすることでみんなに等しく満足してもらおうとするのが「テレビゲームにおける公平さ」なのですね。 ただし、テレビゲームと呼ばれる商品の中には、スポーツと同様に「全員に同じルールを適応する」というものもあるので、一概には言えないんですけどね。 ——というのが、これまで3回のコラムで書いてきた概略でございます。 これを図にすると、こうなります。 「テレビゲーム」という大きな括りの中に、「スポーツのように、全員に同じルールを適応するソフト群」が含まれる、という形になるわけ

    野安の電子遊戯工房 ~テレビゲームとスポーツは、似ているようで、ちょっとだけ違う(その4・完結編)~|野安ゆきお
    dark
    dark 2018/03/26
    所々気になる部分があるけど(ドラクエとかゲーム害悪論者の話など)概ね同意。直接関係無いけど、この種の論争にスプラトゥーン甲子園が出てこないのは何でかなと
  • Nintendo Switchはヒットする! と断言することにした――という話|野安ゆきお

    発表されたNintendo Switchを体験してみて、わたしは「Nintendo Switchはヒットする!」と断言することに決めました。 そう考えるに至った理由はいろいろありますし、ロジカルに説明することもできるのですが、それらは仕事として書く(可能性がある)ため、詳しくは書きません。ここでは、そう決断する決め手になった出来事について書くことにします。 「あ~。脇腹が痛いよ~」 それはNintendo Switch体験会、1月14日の一般人向けの会場で耳にしたセリフでした。このセリフを聞いたとき、あ、これはヒットする! と断言していいんだと腹をくくりました。 『ARMS』という格闘ゲームの試遊コーナーでのことです。わたしは「子供がプレイしている姿」だけを、ひたすらチェックし続けました。子供たちの反応こそが、ゲームの面白さを判断するための最良の取材対象だ! というのが、わたしのポリシーで

    Nintendo Switchはヒットする! と断言することにした――という話|野安ゆきお
    dark
    dark 2017/01/19
    体験会は人が多くて大変だったけど、熱気が凄かった事は確か。なので、自分もヒットするんじゃないかと思ってる
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