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ブックマーク / shogipenclublog.com (12)

  • 「この観戦記は対局者としては不満である」

    観戦記を書く者として、自分自身への戒めも込めて。 将棋世界1987年12月号、内藤國雄九段の「自在流スラスラ上達塾」より。 昔は新聞将棋の切り抜きを毎日欠かさずにされている人が多かった。 中には全棋戦の切り抜きをする(勿論そのために沢山の新聞を購入する)プロ顔負けの熱心な人も少なくなかった。 今は、そういう統計があるわけではないが切り抜きに精出す人はうんと減ってしまったのではないかという気がしてならない。 情報は豊富になると有難味が薄れる。 専門誌が増えたほか、テレビ、週刊新聞将棋、一般週刊誌の中野将棋記事等至る所に将棋情報がある。 「この頃は新聞を切り抜く時の胸のわくわくするような楽しみが薄くなりましたね」という声をよく耳にする。 とはいえ毎朝掲載される新聞将棋には他には得られない独特の持ち味がある。 (中略) 新聞の観戦記は、将棋を全くご存知ない方も意外と読んでいる。ご婦人の読者がある

    「この観戦記は対局者としては不満である」
    daruyanagi
    daruyanagi 2019/08/06
    観戦記者も大変やな
  • 第66期王座戦第1局対局場「陣屋」

    中村太地王座に斎藤慎太郎七段が挑戦する王座戦、第1局は神奈川県秦野市の「陣屋」で行われる。 →中継 →AbemaTV将棋チャンネル →ニコニコ生放送 「陣屋」は鶴巻温泉にある名門旅館。 鎌倉時代は、侍所別当であった和田義盛の陣地だった。 非常に効果的なIT化により、週休3日、従業員の年収4割アップ(2009年比)を実現している。 [陣屋での昼実績] (事実績は将棋棋士の事とおやつによる) このブログの過去の記事を見ると、陣屋でのタイトル戦での羽生善治竜王の昼実績がまとめられている。 それほど、陣屋でのタイトル戦といえば羽生竜王が定番だったことになる。 羽生竜王の陣屋でのここ数年の事実績は次の通り(二日制タイトル戦は一日目、二日目の順) 2017年王位戦第7局で、冷やし天ぷらそば、カレーライス ◯ 2016年王位戦第6局で、陣屋特製豚漬け重、カレーライス ◯ 2014年王位戦第7局

    第66期王座戦第1局対局場「陣屋」
    daruyanagi
    daruyanagi 2018/09/04
    "非常に効果的なIT化により、週休3日、従業員の年収4割アップ(2009年比)を実現している"
  • 将棋世界編集部に考えられないような抗議の電話や投書が殺到した出来事

    将棋世界1985年9月号、野口益雄さんの「詰将棋サロン解答」より。 今回は詰将棋と無関係のことを書く。 私が誌を編集していたころ、各界の有名人愛棋家を編集部が訪問してお話を聞く欄があった。何回目かに参議院議員の山東昭子氏を訪問した。 すると発売日から抗議の電話や投書が殺到した。こんなこと初めての経験なので驚いた。お役人の気の弱い人だったらマッサオになるだろうと思った。 おおむね「選挙直前なのに政治家を公共の誌面に登場させるとは、けしからん」という趣旨であった。約1ヵ月その抗議は続いた。 ヘエー、政治に関することは採り上げないのがよさそうだ、とその時は思った。 しかし、今になって考えてみると―。 赤旗まつりの将棋会に私が取材に行って写真をのせたこともある。その日は宮書記長の昼会に思いがけず招かれたり、翌日のアカハタの第一面の片隅に私の名前ものっていたり。だが何ひとつ抗議や反響はなかった

    将棋世界編集部に考えられないような抗議の電話や投書が殺到した出来事
    daruyanagi
    daruyanagi 2017/10/07
    趣味の世界に政治が入ってきてほしくないのは体制側・反体制側に関わらず当然な気がするが……ましてや選挙直前なら
  • ニコニコ生放送の将棋番組の来場者数から現在を読み解く試み

    最近、ぼんやりと次のようなことが気になっていた。 藤井聡太四段の活躍に端を発する将棋ブーム、そのインパクトが数値的にどれほどの好影響を与えているのか。 AbemaTV将棋チャンネルの出現によって、ニコニコ生放送の将棋番組の来場者数は影響を受けているのかいないのか。 そこで、ニコニコ生放送の将棋番組の来場者数から、その2つを調べてみることにした。 あわせて、ニコニコ生放送の将棋番組の来場者数の推移から、何か見えてくるものがあるのかないのかも。 ————— ニコニコ生放送で過去に中継された対局(2017年9月14日まで)の来場者数を多い順に並べてみた。(ニコ生の検索機能から抽出)

    ニコニコ生放送の将棋番組の来場者数から現在を読み解く試み
    daruyanagi
    daruyanagi 2017/09/18
    ちょっと微妙な分析な気もするけど
  • 羽生善治竜王(当時)「この急戦形の将棋は、駒を引いたら負けなのです。前進あるのみ、なのです」

    昨日行われた棋聖戦第4局は、羽生善治棋聖が永瀬拓矢六段を破って2勝2敗となった。 羽生棋聖の猛攻が見事に決まった形だが、後手番の羽生棋聖が採用した戦型が、ネット中継で「前例は最も新しいものでも12年前で、その前は20年以上さかのぼる。その中には羽生の名前もあった。1990年3月に行なわれた全日プロトーナメント決勝三番勝負の第3局▲谷川浩司名人-△羽生善治竜王戦(肩書は当時)で、羽生が勝って棋戦優勝を果たした」と解説されているように、26年振りに指されたもの。 羽生棋聖はインタビューで、「同じような将棋を昔指したことがあったのですが、またやってみようかなと思いました」と語っている。 A図は昨日の第4局の序盤。26年前の対局でも同一局面が現れている。 今日は、その26年前の対局を振り返ってみたい。 将棋マガジン1990年6月号、第8回全日プロトーナメント決勝第3局〔谷川浩司名人-羽生善治

    羽生善治竜王(当時)「この急戦形の将棋は、駒を引いたら負けなのです。前進あるのみ、なのです」
  • 第41期棋王戦第1局対局場「大和屋本店」

    渡辺明棋王に佐藤天彦八段が挑戦する棋王戦第1局は、愛媛県松山市の「大和屋店」で行われる。→中継 大和屋店は慶応四年の創業で、平成8年8月8日に新築再創業をしている。 日の美と心を極めた旅館のもてなしとホテルのサービスの融合。 松山・道後の中心地、交通至便な道後温泉館から徒歩1分。大和屋店に一足踏み入れれば、観光客でにぎわう温泉街とはまたひとつ違った落ち着いた雰囲気を感じることができるという。 松山の伝統文化を継承したいという思いから、「道後能楽堂・千寿殿」も設けられている。 チェックイン・チェックアウトは共に12時で、1泊4を楽しむこともできる。 〔大和屋店の料理〕 夕、昼とも、日料理・西洋料理中国料理から選べるのが大きな特徴。朝はビュッフェ形式ではなく、和朝・洋朝のどちらかを選ぶことができる。 主な昼メニューは次の通り。 牛肉柳川鍋御膳 1,500円 河豚唐

    第41期棋王戦第1局対局場「大和屋本店」
    daruyanagi
    daruyanagi 2016/02/11
    大盤解説行きたかった……せっかく松山でやるのになー
  • 剱持松二九段逝去

    剱持松二九段が1月7日、心不全のため亡くなられた。享年81歳。 →訃報 剱持松二さん81歳=将棋棋士九段(毎日新聞) 剱持九段は、将棋会館建設、テレビ東京「早指し将棋選手権」創設の際などに大きな貢献をしている。 剱持門下の橋崇載八段は1月7日のB級1組順位戦で三浦弘行九段に勝っているが、師匠の新たな旅立ちを勝利で飾った形だ。 ——– 将棋世界1989年1月号、「C級1組順位戦レポート」より。 11月22日のC級1組6回戦。夕休過ぎの桂の間は例によって手あきの検討陣が進行中の棋譜を並べている。のぞくと、昇級候補達が揃って大苦戦の模様。 剱持-羽生戦は剱持が快調にとばして優勢の展開。 「どこまで持つかだな」「大善戦だよ」 検討陣は羽生の逆転勝ちを信じて疑わず、どうせ終盤で羽生マジックが出るだろうと見ていたが、一向にその気配がない。 迎えた1図、ここで▲6四歩と歩切れを解消した一手が好手で、羽

    剱持松二九段逝去
  • 「見落とし」と「見損じ」

    近代将棋1989年10月号、田辺忠幸さんの「将棋界 高みの見物」より。 A級順位戦の観戦記に「塚田、見損じの敗戦」という見出しがあったので、毎度のことながら、これはこれはと思った。なぜなら、将棋界ではあまり「見損じ」とはいわずに「見落とし」もしくは「見落ち」というからだ。 どちらでも似たようなものだから、一向に構わないわけだが、将棋にどっぷり漬かっている人間としては、「見損じ」は囲碁界の言葉という認識を消し難い。 将棋の記事に「見損じ」と書くのは、どうやら碁の強い人のようである。河口俊彦六段はれっきとした将棋指しなのに、碁もべらぼうに強いので、よく「見損じ」とお書きになる。 面白いもので、同じことを表現するのに、将棋界と囲碁界では違う場合がある。将棋は「泥仕合」で、囲碁は「闇仕合」。将棋は「対局」を多用するが、碁では「手合」が優勢である。従って「対局料」「手合料」となる。それでいて、試合の

    「見落とし」と「見損じ」
    daruyanagi
    daruyanagi 2015/12/12
    へぇ
  • 「縁の下の力持ち」の引退

    将棋世界1992年6月号、奥山紅樹さんの「棋士に関する12章 『引退』」より。 3月31日―。 一人の棋士が静かに棋界を去った。吉田利勝七段。八段昇段まであと6勝、59歳の誕生日を数ヶ月後に控えての引退である。 棋士(四段)になったのは1957年。いらい35年間にたたかった公式棋戦902局、389勝513敗、勝率4割3分1厘。 盤上でのはなばなしい活躍はなかった。1974年度第5回新人王戦で青野照市四段と新人王戦三番勝負をたたかい、敗れた。その翌年、第27期棋聖戦で、二上達也プロと挑戦者決定戦を争い、無念の涙を呑んだ。1970年、B級2組に昇級し22年間その座を守った。それくらいである。地味を絵にかいたような棋士人生であった。 「引退は4年前から考えていた・・・あと何勝で八段昇段だからそれまで頑張れと、先輩棋士から励ましの手紙をもらったが、八段に昇ることへの執着はまったくなかった・・・以前

    「縁の下の力持ち」の引退
    daruyanagi
    daruyanagi 2015/04/24
    とてもいい話だ
  • 藤井猛竜王(当時)絶妙の自陣歩の三手

    将棋世界2002年1月号、田丸昇八段(当時)の第14期竜王戦第2局〔藤井猛竜王-羽生善治四冠〕のポイント「最大の功労者は自陣歩の三手」より。 第2局の将棋は、形勢有利の藤井竜王が楽観から疑問手を出したため、終盤で羽生四冠に猛迫されて逆転の様相が見えました。最後は▲2八桂や▲3九銀など、次の一手のような妙手で勝利を収めました。しかし陰に隠れた最大の功労者は、観戦記の表題にもなった三手の歩でした。熱戦を振り返りながら、それを再現します。 A図は飛車の横利きを止める▲7八歩。 普通は▲6八歩ですが、飛車を7筋に呼び込めば、▲4五馬と引く手が飛車取りになったり、▲8二飛と打つ手が角取りになる仕掛けです。 A図から約10手後の局面のB図で、またも▲6九歩が受けの好手。 羽生の竜の横利きを二段目から外せば、自陣への脅威が緩和されます。△5八竜には6筋の歩の上に打った▲6八飛がまたも受けの好手でした。

    藤井猛竜王(当時)絶妙の自陣歩の三手
  • 羽生善治四冠の都道府県別タイトル戦勝敗を分析する

    昨日の、仙台市「茶寮宗園」で行われた王座戦第3局は、豊島将之七段が最後まで優劣の分からない中終盤の競り合いを制して、豊島七段の1勝2敗となった。 —– 羽生善治王座は、王座を初めて獲得した1992年以降、渡辺明二冠に奪取された2011年を除いて21期間王座を保持している。 その間の王座戦五番勝負での戦績は、昨日の第3局までで65勝17敗、勝率0.79。 この22年間で17敗しかしていないのだから圧倒的な戦績だが、私が個人的に気になったのは、この17敗のうちの少なくとも3敗が、私の故郷の仙台市での敗戦ということ。 仙台市が悪いわけではないけれども、仙台で生まれた私は何か申し訳ないような気持ちになってしまう。 そこで、調べてみた。 将棋棋士の事とおやつは、タイトル戦での事・おやつの履歴のみならず、対局場を一覧できる貴重なデータベース。 ここに収録されている2002年以降のデータを見てみると

    羽生善治四冠の都道府県別タイトル戦勝敗を分析する
  • 羽生善治王座の、控え室の誰もが思いもつかなかった恐ろしい着想

    近代将棋2004年10月号、中野隆義さんの第45期王位戦〔羽生善治王座-谷川浩司王位〕第3局観戦記「臨機応変、現場主義」より。 △3四歩(5図)が、谷川期待の反撃だ。▲同歩なら△4六角と飛び出して先手には角成を受ける形がなく、これはほとんどそれまでとなる。 羽生は▲4八金と応援を繰り出した。真っ直ぐ立ったのが不可思議な点で、並みの感覚なれば王様に近づける意味で▲5八金と上がりそうなところである。なぜ、あえて▲4八金なのか、いまだによく分からないのだが、この手が後に重大な意味を持ってくるのである。 次に▲4七金と上がる形を与えては先手陣が万全となり、後手はさばきの糸口を失ってしまう。 △3五歩▲同銀と引っ張り込んで△3四歩は、この一手の勝負手だそこで▲8六角(6図)とのぞいて銀に当てたのが羽生の勝負手。 互いに切り札を出し合い、局面は勝負所に突入した。 立会人の五十嵐豊一九段、副立会人の郷田

    羽生善治王座の、控え室の誰もが思いもつかなかった恐ろしい着想
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