プチトエトワールは1958年5月末に競走馬としてデビューした。このレースは2頭立てで、対戦相手のクライス(後に短距離路線で活躍)に8馬身の 着差をつけられて敗れた。その後8月まで3戦し2勝を収めた後歩様に異常が見られるようになったため、陣営は年内の出走を見合せた。 1959年、プチトエトワールはイギリスのクラシック前哨戦の一つであるフリーハンデキャップステークスでレースに復帰。このレースを優勝すると、3番人気で臨んだ1000ギニーも優勝した。続いてイギリスクラシック牝馬三冠第2戦のオークスに出走。レース前には血統の面から距離が長すぎることが懸念されたが、レースでは4番手から直線で抜け出し2着馬に3馬身の着差をつけて優勝。イギリスクラシック牝馬二冠を達成した。なお、このレースでのプチトエトワールの走破タイムは前々日に行われたダービーステークスの優勝馬パーシアのタイムを上回るものであった。 オ