かつてぽろりっていうキャラがいたということ 今の若い人は知らないんだろうなあ ぽろりのこともっと知ってほしい
本家にしてもプラットフォーム変えた上にリメイクも出している。ナンバリングだけでも凄いけど、さらに派生作品も驚くほど多いな。その点で言えばドラクエやFFもそうなんだが、とにかく認知度としてポケモンは抜群だと思う ゲームだけに限っても 本家(赤緑金銀ピカチュークリスタル中略剣盾)ポケモンスナップ(64、Switch)不思議のダンジョンシリーズポケモンマスターズポケモンGo Let'd Goピカチュー/イーブイ もう数えたり調べるのも大変なくらいあるよね。他のゲームにキャラとしてコラボする例も多々ある上に、グッズ展開とか鬼かってくらいある。ポケカとかも歴史長いしポケモンという区切りだけで数えるのも厳しい。アニメ・映画もコナン並みだ。 なんていうか、ここまで派生があって本家も続いているってことは、それだけポケモンへの価値観って多様なんだろうなって思った。 昔はポケモン好きってテレビチャンピオンとか
インターネットでウケをねらおうとして、ちょっと斜に構えた気の利いたこと言って袋叩きにあうインテリおじさん見ると共感性羞恥が出てくる……出てこない? 職場やら研究室やらで同僚相手にやるぶんならオフレコとしてその場でウケるなりスベるなり以上にはならんのに、ちょっと色気出してネットでいいねでも貰おうと思ったばかりに総袋叩きされるのかなり悲しい風景だ。バズったって1円も貰えないのにうっかり滑って炎上なんかしたら精神的には大赤字だ。 バズりたがりの分別ついてない若者じゃなくてジジババがそういうことして盛大に滑ってるのまじで見てられない とにかく金も貰えないのにネットでバズろうとしたらだめだな。若者ならまだ若気の至りで住むけど中高年でそんなんしたら恥でしかない
ここ数年の将棋人気で誕生したabema将棋トーナメントの放送が毎週土曜日にあり、持ち時間5分、1手指すごとに5秒追加という、普段の対局だったらまずありえない持ち時間の短さに慌てふためくプロ棋士の様子を見て楽しんでいるのだが、いつもの対局での棋力に照らして、明らかに早指しだと弱くなる棋士がいることに気づいた。 将棋や囲碁のようなボードゲームで、子供の頃からやっている人と大きくなってから始めた人の差が一番出やすいのは、超早指し(持ち時間3分で使い切ったら負けとか)なんじゃないかと前から思っている。子供の頃からやっている人は、そもそも単純に経験値が多いし、持ち時間など関係なくバシバシ瞬発力で指す子供時代の記憶がどこかに残っていたりもするのか、直感が優れているし直感が効く範囲も広い気がする。他方大人になってから始めた人は、経験値が足りないのを理屈で補っているようなところがあるから、時間をかけて読み
最近『名探偵コナン』をHuluで追っている。 幼い頃にテレビ放送で全話逃さず見ていても、記憶は段々と薄れていくものだ。特に妃英理と毛利小五郎の関係性は、最近の赤井家フィーバーの最中では朧気になってしまう。 こうしてサブスプリクションによって、見たいと思ったタイミングで、ノータイムでアニメを振り返ることができる。良い時代になったと思う。 (一応、自分は熱心なコナンファンというよりは、結末が気になる一心で連載を追うライトファンである。 ガッツリと読み込みファンにとっては、妃英理と毛利小五郎の関係性は、新一と蘭の関係性と同等に重要であろうことは言うまでもない。) 改めて最初から原作を(そしてアニメを)追っていると、少しばかりからかいの目で以て彼らのストーリーを読んで(見て)しまうことがある。 これはライトファン故に、ディープファンにとってはやや失礼というか、無粋と一笑に付されてしまうかもしれない
スーパー増田ワールド 2021 開催派も賛成派も弱者男性も!底辺描き手だって退職エントリを書きたい、緊急事態宣言下の「うっせえわ」批判も自粛。プペルで睡眠改善しながら保育園でVTuberとテレワーク?試合自転車置き場で医療に協力したけどホテルに隔離されて暖房効率がヤバイ!飲食店と汚部屋とプログラミングスクールと全店員がマッチングアプリで彼女できない… 旧帝大の俺の実家がノンアル差別で地獄を見て見ぬふりしたからエンジニア人生よ、思っていた結婚生活が憎悪クリエイターのアラサー女子に絶望。はてな好きの高校生なら何回も生活保護申請してるけど、弱者マンション営業の年収は明石家さんまの3倍です!プログラマーが霞ヶ関を去ろうとコンビニで資産運用、Kindleの游ゴシック問題が理解できない?学校の勉強と筋トレなんかしなきゃよかったのに、35歳のSEが彼女いないと言い張りペアーズでコンサルとクソムカついて愚
無いぞ トイレにトイレットペーパーが補充されてなくて 仕方ないと思って引き戸開けてもそこにもなくてってレベル ○○が来たって触れ込みのお店なんだけどな 飲食店でドン引きした出来事リスト※ 食通では無いけど食べ歩きが好きなので1000店舗以上食べ歩いてるよ。毎回こんな目に合ってるワケじゃないよ 歌のパフォーマンスを提供する店でも店員との対話を楽しむ店でも無いのに店員が大声で歌ってる 誰がムカつくだの好きだのを客席に聞こえるレベルの大声で話している。お手頃なお店から客単価6千円オーバーの店まで経験有オーナーと常連でもなさそうな客が、別の客の悪口を言っている (食べログ高評価の観光客人気店)コースメニューの説明しない。店員にその理由を尋ねたところ『コースの説明が面倒くさかったから』(文字通りそう口にした)。客単価1万オーバーの店 身内と常連で大騒ぎを始める 。なぜ本日閉店とか貸切にして一般客を断
キャラを幼児化や赤ちゃん化して女の子に振り回されたりよちよちされたりするのが好きなのだが、なかなか理解がされないのかあまり見かけない。 それどころか幼児化気持ち悪いとかキャラ改変しすぎてキャラに対する愛を感じないとかオリジナルでやれとか悲しい言葉ばかり見かける気がする。 私だってキャラクターが好きだし原作にも課金してるし1人のファンであるのになんでそんな事を言われなければいけないのか。 キャラクターが好きだからこそ大好きな幼児化を掛け合わせているのに。これも好きという気持ちなんじゃないか。確かにそのキャラが言わないことやらないことをやらせているのは分かっているけど、見た目がキャラクターなんだし一人称も変えないんだからちゃんと好きなんだが。そしてエアプじゃなくちゃんとプレイしてキャラクター像を把握している。そして流行りに乗ってるわけじゃないから175じゃないしゴロでもないから愛があるの分かっ
私はどこの派閥にも属さないソロフェミ系で、身近な女性の友達が女性というだけで嫌な目に合うのは嫌だし、知らない人だろうが性別のせいで希望大学に入れないのは損失だと思ってる。その程度の緩さだ。 ある日女叩きしまくってるブクマカさんが目についた。普通なら避けるところだけど、性別関係ない記事だと納得できたり、自分にない視点持ってる人で、コメント読むと私視野が足りなかったかもしれないと反省する気になったりして、気付いたら女叩きブクマカさん探すようになった。 次第に探すのが面倒になったので、お気に入りに追加した。 見かけるたびに、スターつけまくった。 仕事中にブクマしてる不良社員なので、下手したら即スター連打で気持ち悪いぐらいだったと思う。 気付いたら女叩きブクマカさんが、滅多に女叩きしなくなった。 先日久しぶりに見かけたぐらいだ。 私が読んでないだけで、記事によっては書いてたのかもしれないけど、前の
アイテム番号:SCP-■■■■-JP オブジェクトクラス:Euclid 特別収容プロトコル:SCP-■■■■-JP-1がwebサイトなどで流通した場合は「公式サイトが既に存在しない未発売の乙女ゲームの主題歌」というカバーストーリーを流布し、加熱した出典探しを鎮静化してください。必要に応じてオークションサイトや中古販売サイトなどで偽の媒体を購入可能なように装ってください。財団ではその為に偽の媒体として偽装した雑誌及びその付録に偽装したCDメディアを用意しています。 SCP-■■■■-JP-1自体の削除は出典探しの過熱化に陰謀論を投入する結果となり、さらなる出典探しや、カバーストーリーによる偽の出典を信用しなくなる可能性がある為禁止します。 説明:SCP-■■■■-JP-1は「20■■年にアニメソング専門の有線放送で流れていた」とされる楽曲です。この楽曲自体に暴露しても人体に影響はありません。
ある事柄について、「わからない」人と「とてもわからない」と言っている人がいるとする。 僕は大抵の事柄において後者だ。前者をA,後者をBとする。 Aの人にとっての「わからない」はこうだ。 一通り求められている条件・要件には見合っている一定の根拠を持って作品が作れている プログラムだったらアーキテクチャの思想を理解した上でベストプラクティスに近い実装ができている 絵だったら色や構図が適切に使えて、表現したいものが全面に効果的に描かれている音楽だったら、コードや楽器のバランスが良い(違和感がない)・きちんと出来上がっている・聞ける状態になっている 要は、目的に対して手段が適切に使われていて、それが受け取れるくらいクオリティも高いということ その上で他の作品やすでに現場にあるものと比べ、自分なりの解釈があっているのかが「わからない」 でも「説明して」と言われたとき、一通り筋が通った説明ができるこれ
ティンホイル・ハット(tin foil hat, スズ箔の帽子) とは アルミ箔を数枚重ねてつくるヘッドギアの一種であり 電磁波やマインドコントロール、読心術から脳をシールドすることができるという考えや信念から身につける人がいる。 同じ目的で、頭部に装着する保護具の裏からアルミ箔が貼られることもある。 こうした自家製のヘッドギアで脳を保護することができるという考えは、非常にポピュラーなステレオタイプ的発想であり 偏執症や被害妄想にとらわれた人間の決まり文句でもある。 「思索をめぐらす頭を包む電気絶縁装置」に言及した本としては 1909年のノン・フィクション作品『アトムの覚醒』(Atomic Consciousness[2])が古い例として挙げられる
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