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芸術・表現に関するdelayedresolveのブックマーク (50)

  • 「作者の気持ち」は作品の評価に必要か - 指揮者だって人間だ

    2013-12-28 「作者の気持ち」は作品の評価に必要か 考え方 映画の解釈の議論の中で「それは違う、作者はこう発言しているのだからそれは◯◯のメタファーだ」などと主張をする人がいます。 「作者はこう思っていたんだ」という情報はその作品の評価に果たして必要なのでしょうか。 作品は作品単体で評価されるべきだと、私は思うのです。 「作者の気持ち」は無視すべきです。 ねこのきもちカレンダー2014 ([カレンダー]) 出版社/メーカー: ベネッセコーポレーション 発売日: 2013/09/14 メディア: カレンダー この商品を含むブログを見る ラヴェルの有名な作品に「ボレロ」という舞曲があります。 この曲は単一の主題をずっと同じテンポで12分間繰り返し続けます。 シンプルなメロディーと構成でありながら音色の博覧会のようにオーケストレーションが鮮やかに変わっていくことでも有名で、ミニマルの

    「作者の気持ち」は作品の評価に必要か - 指揮者だって人間だ
  • 人間の主観を客観的に理解できるか - 数学屋のメガネ

    主観と客観は対立するものとして現前する。主観は、ある個人の頭の中に存在するもので、その個人を離れて外に飛び出すものではない。それに対して、客観と呼ばれるものは、個人との結びつきを断ち切って、個人とは独立に存在するものとして対象化される。だからこそ、個人の単なる思い込みではなく、誰もがそれを同じように対象として認識できるので、その属性を誰もが認めうるような一般性を獲得することが出来る。 個人の好き・嫌いに関する感情は、客観性をまったく持たない主観だけの範囲で語られてもかまわないものだ。好き・嫌いという感情は、そのこと自体が悪いというような価値判断は出来ない。その感情が生まれてくるのはある意味では仕方のないものとして受け止めなければならない。 例えば、ある芸術作品が自分の好みに合っているという、好きという感情は自分の主観である限りでは、誰も間違えるということはないだろう。この、好みの感情は、個

    人間の主観を客観的に理解できるか - 数学屋のメガネ
  • 美的センスにおける主観的見解とトートロジー - novtan別館

    面白い事になっている。主にうんこ味のカレーカレー味のうんこという点で。 時系列で。 西村清和『プラスチックの木でなにが悪いのか』:だらしない印象論と詰めの甘い議論によるトートロジーしかない - 山形浩生の「経済のトリセツ」 2012-01-20 「カテゴリー」を持ち出しても話は変わらない:西村「プラスチックの木……」書評への批判を受けて。 - 山形浩生の「経済のトリセツ」 2012-01-21 芸術(や美的感覚)の絶対的な部分を論理的に説明するのは非常に難しい。というのも、こういうものは主観の寄せ集めと刷り込みの産物であるから、黄金分割のようななぜか普遍的な感覚を除けば理由を述べるとトートロジー(つまり、良いものは良い)で終わってしまうことは多い。 だから、美的感覚を中心に据えた意見についてトートロジーだろそれって批判はちょっと野暮で、とはいえ、ソレ以外になんかねーの?みたいに思ってし

    美的センスにおける主観的見解とトートロジー - novtan別館
    delayedresolve
    delayedresolve 2013/01/24
    『芸術や美的感覚を論理的に説明するのは非常に難しい…主観の寄せ集めと刷り込みの産物であるからトートロジー(良いものは良い)で終わってしまう…だからトートロジーだろそれって批判はちょっと野暮で…』
  • アウトプットを見せるのとインプットを見せるの - 世界は称賛に値する

    ▼▼心情や感情を想起させよう操作しよう、と企んでみるなら、同じ感情を見せても駄目駄目なのさ、って言えるかな。現象Xに行き会って「怖く」なった時に、アウトプットである「怖い」を強調してみせても「怖がらせる」ことはできなくて、つまりインプットである「現象X」を緻密に語ってみせるほうが、余程「怖がらせる」ことができる。みたいなことかな? 説明と描写をこう理解しておくと活用できそうかなー、と思った。

    アウトプットを見せるのとインプットを見せるの - 世界は称賛に値する
    delayedresolve
    delayedresolve 2009/11/12
    なるほどと思った。みんなそうなんだなって。しかしその緻密に語られたものから現象Xを想像することができない自分は、怖いと言ってもらわなければわからないというなさばなorz
  • 学校で教えてくれない、芸術を評価するための6つの視点 - 技術教師ブログ

    僕はどちらかというと産業技術の評価を教える立場なので技術の視点からしか芸術を語れないのだが、ダンスの経験や芸術教育科の教授に教えてもらったこともあるので少し整理するために書き出してみたい。 まず「芸術」は何を含むか。もとのとしては主として絵画、音楽、文学、演劇、舞踏、映画を指している。しかし一定の精度を超えた技術も芸術と呼ばれるにはふさわしいし、現に呼ばれる場面もしばしば見受けるだろう。いったい何が芸術なのか、その評価方法を考えてみたいし、共有しておいて損はないはずだ。 まず踏まえておきたいことは芸術の価値を数値で表すと市場価値とモノ自体の価値がある。その芸術というモノの価値について考え直してみたい。 1.芸術とは文化の継承である これは学校で教わることができるだろう。いわゆる表現手法というのは古代から現代に至るまで基礎は同じである(と多くの場合解釈されている)。絵画表現に於いてまっすぐの

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  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    実は若者と出かけた坂龍一展 satomiconcon.hatenablog.jp 坂龍一展に言った記録はもうすでに書いているのだが、実はこの展示に若者と一緒に行ったという稀なことが起きた。 時を戻すこと今年の1月。わたしは月に数回ジムに通っているのだが、私がお世話になっているジムのトレーナーが美術鑑賞…

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    delayedresolve
    delayedresolve 2009/10/25
    文章・芸術などを理解できないまま生きてきた人間として耳が痛い話。そういう子たちがいたんだろうなというのを最近になって漸く考えられるようになった。理解できない人たちを許してあげてほしいと彼らに望む。
  • ■ - いーぐる後藤のジャズ日記

    think.27 ジャズの楽しさ面白さ、そして感動を感じ取れる人とそうでない人がいる。このことを敷衍すれば、アート、芸術、美、と言われるような対象を理解できる人と、そうでない人がいる。この事実は私たちの周囲を見渡せば、経験的に理解できるだろう。 ここで大切なことは、アート一般を享受、理解できることが、エラいことでも優れたことでもないという、冷静な態度ではないだろうか。そもそも生活の中にそうしたものを求めていない人もいるだろう。そういう人たちのことを非難するいわれはないと思う。 私自身はジャズが好きだし、折に触れ絵を見たりもする。しかしそうした自分の趣向は、釣りを楽しんだりゴルフに興じる人たち、あるいはアニメに没頭するマニアと等価であると考える。 なぜ、わわざわざそんなことを言うかというと、世間には「芸術」に関心を持つことが何か「高尚」なことであるかのような思い込みがあるからだ。そしてその(

    ■ - いーぐる後藤のジャズ日記
  • 絵を描けない人、文章を書けない人、なに言ってるかわからない人 - よそ行きの妄想

    何の脈絡もないが、ふと、絵を描けない人や、文章を書けない人、なに言ってるかわからない人には、共通点があるように思った。 それは端的に言えば、ものごとを正確に理解しようという意識が弱いということ。対象を正確に把握しないままに、それを絵に描いたり、文章にしたり、喋ったりするから、相手に上手に伝わらないのだ。 ある対象についてのことを伝えるには、まずはその対象を自らがきちんと理解する必要がある。脳内に描くイメージ以上に正確なものをアウトプットできるはずがないのだ。例えば、誰か他人の似顔絵を描くというのはなかなか難しい作業だが、その理由は要はその人の顔を覚えていないからだ。かわいいとかキレイとかそういう感想の類いでもなければ、その人と他の人とを区別するためのテクニカルなポイントでもなく、その人の正確な顔である。輪郭や髪型、肌の色つや、目や鼻の位置やそれぞれのつくりなど、つまりは普段我々が目で見てい

    絵を描けない人、文章を書けない人、なに言ってるかわからない人 - よそ行きの妄想
    delayedresolve
    delayedresolve 2009/09/23
    意識というより理解するとか考えるっていう概念自体が身についてないというか、そういうことを学ばずに育って気がついた頃にはどうしたらいいかわからないと。そんな人間を育てたうちらの親はもっと強烈。
  • 現代音楽に対峙する気まずさと場違いな思い - いいんちょさんのありゃあブログ

    先日季節の歯車がまた回り始めただとかなんだとうそぶいて風流や雅の分かる人間を気取っていた者ですが、存外すぐには涼しくならないもんですね(毎年のことか)。だれが考えたんだか「残暑」という巧い言葉がありますが、一度は去った振りしてまだ向こうの木陰でこちらの様子を伺っている少女の眼差しのように、秋口に居残った夏はジトッと僕のうなじに汗をかかせるのです。 さて、夏になれば僕は自動機械のごとく「夏がく〜れば思い出す〜♪」を口ずさんでしまうほどに文部省唱歌に毒されている人間なのだけれど、尾瀬なんて行ったことないので思い出すことなんて不可能なのである。 だからなんだといいますのも、日は音楽の話でして。 今日の夕方に『爆笑問題のニッポンの教養』坂龍一の回の再放送をやっていた。坂龍一といえば、言わずとしれたYMOのメンバーであるとともに、東京藝大を主席で入ったとか出ただとかどっちか忘れたけれど、とにか

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  • 小説のルール - 深町秋生の序二段日記

    ある短編小説の新人賞の下読みをした。 50読んだのだけれど、総じて文章のリズムはうまい。けれど小説をちょっと誤解したまま書いた作品が少なくなかった。 小説は、書き手の妄想や欲望を自由に描ける個のメディアであり(共作の人もいるけれど)、自由であればあるほどすばらしいとは思うけれど、基的な原則はやっぱりある。一見、椅子や机が飛び交うプロレスがアナーキーかつフリーダムに見えても、万国共通でヘッドロックは必ず左脇でかけるというルール(追記。メキシコは逆)があるように、ある程度の原則を踏まえていないと小説と呼ぶにはちょっと厳しい出来になってしまうのである。 最近のテレビドラマや映画の影響もあるのかもしれないが、キャラの心情がいやにストレートすぎたりする。たとえばある日映画で土砂降りの雨のなかでキャラクターが佇んでいるというシーンがあった。つまり大量の雨を降らせることでキャラの悲しみを描いたつも

    小説のルール - 深町秋生の序二段日記
    delayedresolve
    delayedresolve 2009/08/05
    プロレスなど見たいともやりたいとも思わない。ストレートが悪くて遠回しがいいと信じ込んでることが理解できない。突き詰めていくとルールとか型なんてないと思う。
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    分断された世界 湯西川ダムの堤頂から下流の眺めを、注意深く撮影してみた。すると、まったく異なる二枚の写真を横に並べたように見えるではないか。水面と地面の対比に加えて、同流壁に沿ってスパッと切られた施設の屋根が、不可思議さを伴ってその印象を強化している。近年は世界中…

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    delayedresolve 2009/07/12
    『自分のブログを自分なりに面白くさせている人たちは単に話し上手、書き上手なのではなく、本当はおそらく自分の話せること書けることに関して迷い上手なのである。』
  • “241543903”で画像検索したらわけのわからない写真がいっぱい出てくる件

    tumblr をうろうろしていて見つけたんだけど、 Google 画像検索や flickr で “241543903” を検索すると 冷凍庫に頭を突っ込んだ人の写真がいっぱい出てくる。 いまやってみたら Google で 3,920件、flickr で343件出てきた。 241543903 – Google 画像検索 Flickr: Search どうやらこれ、Davidz Horvitz という人が仕掛けた 壮大なネタらしい。 これ。 http://davidhorvitz.tumblr.com/post/93729208 この訴えかけに乗っかって、 何千人だか何万人だかの人がこの奇行に及んだわけですな。 単なるおふざけだと言えばそれで終わりなんだけど、 これもアートの一形態だという気もする。 「なんだこりゃ」と思わせてくれるものはみなアートだと思っているので。 思えばインターネットとい

    “241543903”で画像検索したらわけのわからない写真がいっぱい出てくる件
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    あの犬は友ですか敵なんですか おばさん何も知らんのですか 飼い犬タロになっているつもりで詠む「犬短歌」、2025年上半期の歌です。暑くなるとタロの歌心は減退するようです。気に入ってる歌の最後には*マークをつけてます(/サキコとあるのは私名義の歌)。俳句も少し混じってます。 ◆ 一月 あの犬は友ですか敵なんですか お…

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    delayedresolve 2009/06/13
    『でも2つの欺瞞を前に、僕はある選択をしたんだ…おれであり、俺であり、ぼくであり、僕であり、わたしであるところの私を、ここに載せるということだった。きどってんじゃねえよって声に、従いたい気がしたんだ』
  • 文章うまくなるうんぬんの話 - 花見川の日記

    http://d.hatena.ne.jp/nakamurabashi/20090425/1240669223 テキストサイト周辺の文章をよく読んでた頃、GAMIANというサイトでゲームの批評文を読んだときに、文章の巧さとか言葉の選びだけでなく、物事における「その人が気付いたこと」を前面に押し出してて「ゲームの事を、ここまでうまく書けるものなのか」と感動したと同時に、「うまい文章は書けないけど、論や構造とかの『気付いたこと』なら俺にも書ける」と思ったのがネットで文章書くきっかけになったなあ。 ただ、小学校入る前ぐらいから算数大好きで高校生ぐらいまで偏った意味での理系で、読書がそれほど好きでも無い上に作文はマジで嫌いで、上のような経緯を辿った人間としては「文章うまくなるためには文章書いたり、をたくさん読め」っていう話は納得いく部分もあるけど、かなり腑に落ちない部分もあるのだよな。重要なのは

    文章うまくなるうんぬんの話 - 花見川の日記
    delayedresolve
    delayedresolve 2009/05/02
    『「文章うまくなるためには文章書いたり、本をたくさん読め」っていう話は納得いく部分もあるけど、かなり腑に落ちない部分もあるのだよな。重要なのは「論」とか「感覚そのもののトレース」であって…』
  • MUTO a wall-painted animation by BLU

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  • 彼女がスケッチ大会で「特選」を獲った絵 - 琥珀色の戯言

    才能のない子にどうやって美術への進路を思いとどまらせるか(はてな匿名ダイアリー) ↑のエントリを読んで、ちょっとモヤモヤしていたことなど。 最近ある女性に聞いた話。 彼女は子どものころから絵を描くのが好きで、学校のスケッチ大会では、いつも賞をもらっていたそうだ。 でも、彼女の絵は、「入選」どまりがほとんど。写実的に、その場にあるものをあるがままにリアルに描くという彼女の「作風」は、学校の先生たちにあまりウケがよくなかったらしい。同級生たちには、「Aちゃんの絵はあんなに上手いのに、なんで特選にならないんだろうね」といつも言われていたとのこと。 そんな彼女の絵が、一度だけ「特選」に輝いたことがあった。 スケッチ大会の日、彼女はお城の風景を描いていたのだが、途中でとりかえしがつかないミスをして、修正液で間違ったところを消そうとした。 ところが、その「修正」した部位には、上から絵の具がうまく乗らな

    彼女がスケッチ大会で「特選」を獲った絵 - 琥珀色の戯言
    delayedresolve
    delayedresolve 2009/04/16
    『どうも、子どもの作品というのは、「子どもらしさ」とか「自由な発想」というような、「大人が押し付けた、あるべき子供像」みたいなもので評価されがちな傾向があるらしい。』
  • オオカミとブタ -Stop Motion with Wolf and Pig-

    At first I photographed stop motion animation. And I displayed the photographs in my room and photographed it again. Enjoy a connection with the world of the room and the world in the photograph. Thanks for watching.Some musicians add music on my video and reupload it. Thank you very much. オオカミとブタのコマ撮り写真を撮って、それを部屋に置いていく様子を再びコマ撮りにしました。2重コマ撮り。写真と部屋、2次元と3次元が織りなす、次元ハイブリッドコマドリエクスタシーー!!!!!!

    オオカミとブタ -Stop Motion with Wolf and Pig-
  • ひとつめの杭 - 空中キャンプ

    音楽家のヤン富田氏は著書のなかで、かつて試したある作曲法について書いている。まずはレコード屋さんへいき、もっともかっこいいジャケットデザインのレコードを買ってくる。しかし、レコードを聴いてはならない。ジャケットを眺めながら「このレコードに収録されているのはいったいどういう音楽か」を想像し、作曲をするのだ。 この手法はさまざまなジャンルに応用できそうな気がする。たとえば洋服のデザインをする人が、ある特定の人物をおもい浮かべながら「あの人に着せたらすごく似合うであろう服」を製作をする、といったしかたである。想像力を喚起するなにかをまずはひとつ設定しておき、方向性を絞ったうえで製作にとりかかる。 おもうに、表現ではスタート地点においては360度どこへでも向かうことができるから、逆に一歩目を踏みだすのがむずかしいようにおもうのである。表現という行為はあまりに自由すぎるために、なにかしらのとっかかり

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    delayedresolve 2009/04/14
    表現について『仮にひとつめの杭を打ち込むことができれば、そこから道筋がつけられる/その杭はあらゆるところに散在しているのであり、それらをどう活用するかは、われわれがどこに視点を置くかにかかっている』
  • 音楽の「本当の良さ」はライブ?:レコ―デッドミュージックは砕けない - P2Pとかその辺のお話@はてな

    音楽質はライブだ、を言う人をたまに見かけるのだけれど、個人的には全く賛同しかねる。すばらしい「風景写真/風景画」が撮られた/描かれた「場所」に行き同じ構図で見たからといって、必ずしもそれ以上の感動を覚えるわけではない。美しい「場所」を撮った/描いた「風景写真/風景画」が必ずしも、その場所の持つ来の美しさを表現しきっているわけでもない。 もちろん、ライブの良さを否定するわけではない。ライブそのもののダイナミズムはものすごく魅力的で、ライブだからこそのエクスペリエンスは存在している。たとえば、Eric ClaptonのいたCreamや、Jimi Hendrixのライブ音源を聞いていると、そのインプロビゼーションに鳥肌が立つくらいに痺れるし、それをひき出しているその「場」を作り出すこともまたライブの魅力だとも思う。実際、ライブに行ったときもそれを感じる。 では、レコ―デッドミュージック(録

    音楽の「本当の良さ」はライブ?:レコ―デッドミュージックは砕けない - P2Pとかその辺のお話@はてな
    delayedresolve
    delayedresolve 2009/04/14
    音楽というものが身近すぎて、「音楽」という言葉を聞いてイメージしているものは、あくまでも「自分にとっての音楽」だということに気づきにくいのかなと思った。
  • バスカッシュ!がいいこといってた - 関内関外日記

    アニメ『バスカッシュ!』。メカニックのじいさん。なんかすごい技術があるようだ。ほかの企業がスパイに来た。それを見つける。見つけて、堂々と写真撮っていけと言う。なぜか。「テクノロジーはみなに共有されてこそ。ただ、テクニックは個人のものだ」、と(大意)。 で、俺は誰かのつくり出したテクノロジーの恩恵を受けて生きているだけで、自らがテクノロジーそのものを対象として何かをしているわけじゃあないんだけれども、これはいいな、これはいい言葉だと思った。 たとえば、テクニックといっても、決して科学技術だけのことじゃなくて、そう、たとえばアートの世界であるとか、そういう面での技法とか、そういうの。ある技法が広まって、模倣されて、マニュアル化していく(テクノロジー、と呼んでいいのかどうか)。でも、テクニックは、たとえ誰かがスーラみたいに点を打っても、スーラはスーラだし、スーラの作品はテクノロジーとテクニックと

    バスカッシュ!がいいこといってた - 関内関外日記
    delayedresolve
    delayedresolve 2009/04/11
    『「テクノロジーはみなに共有されてこそ。ただ、テクニックは個人のものだ」/絵だって音楽だって、文学だって、テクニックとテクノロジーがあって…どっちがどっちというのではなしに、そこんところせめぎ合い…』