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ブックマーク / michiaki.hatenablog.com (28)

  • イルカのことばに傾聴せよ - すべての夢のたび。

    「みんな命を奪っている──これが、和歌山県の仁坂吉伸知事が語る、毎年世界を憤慨させているイルカ追い込み漁に対する批判への日からの反論だ。そして、それは正しい」。WIRED.itが世界に問いかける、イルカをめぐる「根的な問題」。 なぜイタリアが? 枢軸国だったからかなー。イタリアが日のイルカ漁を擁護する記事を書いてくれました。 内容としては穏当ですね。日がいままで主張してたことと同じで、それを出るものはない。 文化の違い。ウシブタはってる。なぜイルカだけが特別なのか? なぜ自分たちのやっていることを棚に上げて日だけを批判するのか? 動物の権利。イルカは頭がいいのか? イルカは人間並みの権利を持つべきなのか? 根的な問題はここにある。わたしたちは毎年、太地町で起きていることを映像や写真を通じてたくさん見るけれど、ウシたちの身に起こっていることを見ることほとんどない。そもそも誰も、

    イルカのことばに傾聴せよ - すべての夢のたび。
  • 回ってる女性の画像のガイド付きバージョン - すべての夢のたび。

    こんなのあったんですね。 左は時計回り、右は反時計回り、では中央は? 左を見てから中央に視線を移すと同じように時計回りに見えます。 右を見てから中央に視線を移すと同じように反時計回りに見えます。 ここで面白いのは、左を注視してるときは全部そろって時計回りに見えてしまうことですね。反時計回りだったはずの右まで時計回りになってる。あれ?と思って右に視線を移すと、その瞬間から右の回転が逆転する。 うーむこれ考えた人すごいなー。そして人間の脳も、少ない手がかりからなんとか何が起きているのか組み立てようと頑張ってるのがわかってすごい。 ところでこの女性、軸足は右か左かどちらでしょうか? 実は時計回りの時は左足が軸、反時計回りの時は右足が軸なんですよね。そんなことが可能なんだろうか。当の人間にこのポーズ取らせてくるくる回して撮影してみたい。たぶん、シルエットにする時になんかの省略か修正を行う必要があ

    回ってる女性の画像のガイド付きバージョン - すべての夢のたび。
  • ラーメンとサヴァン(記憶はどのように記憶されているか) - すべての夢のたび。

    どうしても時々、あの店のラーメンべたくなってしまう。わざわざ電車に乗って出かけて、店の前で並んで、注文して席につく。ようやく出てきてひとくちべて、ああこれだよこれこれ、と思う。 この「なにかをべて『この味だ!』と分かるときの記憶の働き」を詳細に検討してみたいと思います。 実際には、ひとくちべて「この味だ!」と思う時もあれば、べて「あれ、なんか味変わった?」と思う時もあるわけです。実はここで起きていることは、想起ではなく照合なんですね。 ぼくらはべ物の味を"思い出す"ことはできないんです。どういう形でか脳内の奥にしまわれている「あの味」と、いまべている「この味」を照合して、一致しているかしていないかを判断し、「この味だ!」という気づきを得ている。記憶の働きを正確に再現すると、そのようになっていると考えられます。 脳のどこかに記憶された「あの味」の生データにぼくらは直接アクセス

    ラーメンとサヴァン(記憶はどのように記憶されているか) - すべての夢のたび。
    delayedresolve
    delayedresolve 2013/05/09
    『サヴァンは何かを失った代りに何かを得たのではなく記憶の抽象化回路が壊れており記憶の生dataへ直接アクセスが可能になっている。そこに人間の可能性を見出すのは誤り。そこを超えて進化しより複雑な事ことをし』
  • 「ぼく」は取り出せるのか - すべての夢のたび。

    @ubitwさんのツイートに刺激されて、ひさしぶりに考えてみた。リハビリですね。しかし鍵掛かってるからツイートの紹介はやめておこうw 人をコンピュータに例えてみる。脳の、考える部分はCPU、記憶の部分はHDDとします。残りの全ては、面倒なのでここでは肉体(人)・体(コンピュータ)と呼称します。 コンピュータで重要なのはなにかというと、HDDですよね。HDDに記録されているものが、そのコンピュータがどういう性質のものであるかを決めます。仕事用だったり、ゲーム用だったり、絵や音楽などの趣味PCだったり。体を新しくしても、HDDのなかのものは移行されるのがふつうです。 人においてもおなじでしょう。人がその人であることを決めるいちばん重要な要素は記憶だろう、とぼくは考えます。たぶん、記憶を移植することができれば、人はその人になる。その人として振る舞い始めるはずです。 さてまたコンピュータに戻

    「ぼく」は取り出せるのか - すべての夢のたび。
    delayedresolve
    delayedresolve 2013/02/12
    PCのCPUやHDDにたとえて考えた例。
  • 定言命法で語れ - すべての夢のたび。

    ぼくの嫌いな言い回しにこういうタイプのものがあります。いわく、「生活保護を批判する奴は、もし自分がそれを受けざるを得ない状況になったら、ということを考えていない」。 誰か「もし自分が生活保護を受けざるを得なくなったらどうするのか? 生活保護の基準引き下げには絶対に反対しなくてはならない」 ぼく「死にます」 誰か「え」 ぼく「生活保護を受けるような事態になったら、そんなの受けないで死にます」 誰か「」 ぼくはほんとうに、そんな事態になったらまー死ぬかーと考えているんですけど。別に理解される必要もないと思ってますけど。それはそれとして、ここで"誰か"の反応パターンを3通りぐらいぼくは想定します。 「そんなことあるわけがない。そうなったらあなただって生活保護を受けるに決まっている。だから基準引き下げには反対しなくてはならないのだ」 「あなたとは対話が成立しないようだ」(打ち切って他へ行く) 「そ

    定言命法で語れ - すべての夢のたび。
    delayedresolve
    delayedresolve 2013/02/06
    『「アフリカでは飢えている人がいるんだから給食を残しちゃいけません」「アフリカの人達が豊かになったら給食を残してもいいんですか?」 アフリカ全然関係ねえ、単に給食は残しちゃダメという事がハッキリした』
  • 『意識』スーザン・ブラックモア - すべての夢のたび。

    意識 (〈1冊でわかる〉シリーズ) 作者: スーザン・ブラックモア,筒井晴香,信原幸弘,西堤優出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2010/02/19メディア: 単行(ソフトカバー)購入: 7人 クリック: 68回この商品を含むブログ (13件) を見る 現代科学と哲学に残された最大の謎「意識」。リベットの実験を初めとするさまざまな科学的知見によって、意識に関する従来の考え方は近年大きな変更を迫られている。「意識」とは、われわれが必然的に抱いてしまう錯覚なのか? 脳科学・認知科学の最新成果を踏まえて「意識」や「自我」に関する基礎的・哲学的問題を平易に解説する。 著者スーザン・ブラックモアの名前を見て、持ってレジへ直行しました。以前に読んだ『「意識」を語る』が非常に良かったので。16人もの意識研究の大御所の科学者・哲学者・心理学者等にインタビューし、意識やらクオリアやら自由意志やらにつ

    『意識』スーザン・ブラックモア - すべての夢のたび。
  • 死についてまだ語られていないこと - すべての夢のたび。

    死後、完全に無になってしまうことを考えると、夜も眠れなくなる・・ : 放課後ガイドライン この手のまとめは時々出てきますがどれも読んでます。ぼくはぼくなりの答えを得てしまっているので、どちらかと言えば、ふつうの人が死について何を怖がっているのかを知るために読んでる。その恐怖を取り除くためには、どの辺りから攻めていけばいいのかの参考にしようと思って。 24 以下、VIPがお送りします 投稿日:2012/09/08(土) 21:28:52.93 ID:/OB/rHkZ0 >>16 生きている間は永遠に「死ぬ」という感覚を体験することはないから 生きている間死について考える必要もない 32 以下、VIPがお送りします 投稿日:2012/09/08(土) 21:30:22.96 ID:K/fO42BF0 >>24 必要があるとか、そういう話してないんだよね 必要がないのに考えて、恐ろしくなってしま

    死についてまだ語られていないこと - すべての夢のたび。
  • 「自由意志は存在しない派」として振る舞う - すべての夢のたび。

    脳はすすんでだまされたがる マジックが解き明かす錯覚の不思議 作者: スティーヴン・L・マクニック,スサナ・マルティネス=コンデ,サンドラ・ブレイクスリー,鍛原多惠子出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)発売日: 2012/03/28メディア: 単行 クリック: 55回この商品を含むブログを見る 静止した絵が動いて見えたり、曲線だと思ったら直線だったり、あなたが見ている現実の大部分は錯覚なのです―。脳は、なぜだまされてしまうのか。その謎を解くために、気鋭の神経科学者が実際にマジシャンに弟子入りし、マジックを通して認知科学実験を敢行!その奮闘ぶりと研究の成果を、ベストセラー『脳のなかの幽霊』の共著者がつぶさに綴る。錯覚の不思議をおもしろく解説した異色の脳科学ノンフィクション。 いまこのを読んでいる途中です。それほど期待してなかったんだけど実は非常に面白いでした。

    「自由意志は存在しない派」として振る舞う - すべての夢のたび。
  • では結局、自己とはなにか?の2 - すべての夢のたび。

    昨日の続き。 自己というものは「一元論的で非連続的で受動的なもの」です。……と言い切られても「?」ですよね。ここで問われるのは、「仮にそうだったとして、で、それって何の役にたつの?」ということだと思います。 役に立ちます、ちゃんと。いろんなテツガク的な問題は、この考え方ベースで説明でき、解答を与えることができる。 たとえば、"死とは何か"について。一般的に、死は怖いもの、ですよね。ぼくは死の恐怖は大別して2種類あると思ってます。1つは「愛するものとの別れ」で、もう1つが「自己の消滅」です。で、ぶっちゃけ1つ目のほうは、どうにもなりません(笑)。各人でなんとかしていただくしかない。そちらは置いといて、2つ目のほう。 自分(自己)がなくなる、と言ったとき、どういうことを想像するでしょうか。生きていまやっているようなこと。音楽を聴いたり、を読んだり、美しい景色を見たり、誰かに触れたり触れられた

    では結局、自己とはなにか?の2 - すべての夢のたび。
  • では結局、自己とはなにか? - すべての夢のたび。

    最近立て続けに読んだスーザン・ブラックモアの、その後読んだ(以前買ったものを読み返していた)前野隆司さんのによって、ぼくがずっと考え続けていた自分/自己/私とは何か?についてのイメージがいよいよまとまってきました。おそらく、これが最終的なものだと思う。 ただ、なぜそうなるのか?を説明するのはそれなりに面倒、なので、結論部分だけ語ってみます。おそらくそれでは中二病的な「設定」にしか見えない気もしますが(笑)。 自己とは、一元論的で非連続的で受動的なものです。一元論的とは、要するに自己は脳の働きに伴なって生まれるもので、物理的な脳を離れては存在し得ない(霊の類はない)ということです。非連続的とは、自己は常に存在しているものではないし、生まれ変わったりもしないということです。受動的とは、自己には自由意志はなく、起きていることをただ視るだけの存在であるということです。 つまりぼくが辿り着いた場

    では結局、自己とはなにか? - すべての夢のたび。
  • 偏見と共に生きる3 - すべての夢のたび。

    まだ続いたりします。 「アスペルガーは健常者より劣っている」という主張を、ぼくは偏見ではないと考えています(理由は以前のエントリに書きました)。一方、世間には「障害も個性である」という主張があります。ぼくはこれを「善なる嘘」と考えていますが、「世間的にそういうことにしておく必要のある、深く問うてはならないお約束の一つ」と考えている人もいるだろうし、中には単に「真実」である人(真実と考えている人ではなく、それを真実として(=障害も個性と心から信じきって)日常を生きている人)もいるでしょう。 「障害も個性である」という主張を守る・真とする場合、ぼくの考えは偏った・歪んだ見方と言えるので、つまり偏見だということになるでしょう。そんなふうに、あるものの見方が偏見であるかそうでないかというのは、立場によって異なったりするのだろうと思います。 ただ、「障害も個性である」という主張は、「差別は悪である」

    偏見と共に生きる3 - すべての夢のたび。
  • 偏見と共に生きる2 - すべての夢のたび。

    昨日の続き。ぼくのTwitterでの「首相はアスペルガーかなんかか。」というつぶやきに対し「根拠は?偏見じゃないかそりゃ?」というreplyが来て、さてそれはほんとうに偏見だったのだろうか?という話。昨日のエントリから一日経って、なんとなく構造が見えてきました。 「障害も個性である」という見方がありますが、ぼくはそれは「善なる嘘」だと思います。ぼくはアスペルガーの人を、精神面の一部において健常者より劣ったものと考えています。たとえばあなたが生まれ変わるとして、健常者かアスペルガーかを選択できると言われたら、後者を選ぶでしょうか? もし障害が個性であるならば、選ばれてもよいはずです。 つまり、ぼくという「『障害も個性である』という善なる嘘を拒否する人物」においては、「アスペルガーは健常者より劣っている」というのは、偏見ではなくて単なる事実です。ぼく自身はそう考えているということです。 そして

    偏見と共に生きる2 - すべての夢のたび。
    delayedresolve
    delayedresolve 2010/02/06
    『ぼくの"偏見"を正そうとする「アスペルガーはよくないものではない」としたい人物自身がアスペルガーをよくないものと考えている。つまりそれは他ならぬ彼自身も偏見を持っていてしかもそれに気付いていないと…』
  • なぜ人は音楽に心を動かされるのか? - すべての夢のたび。

    最初にイイワケをしておきますが、このエントリの内容は無保証です。その上、結論は身も蓋もないです。 なぜ人は、音楽を聞いて心が動くのか。それは以前からぼくの関心事項でした。映画小説で感動するのはわかります。(人は基的に)甘いものが好きで苦いものを好まないのか、その理由もわかる。暑い寒いとか疲れた気分悪いとか、そういう状況を嫌うのも、わかる。 音楽で心が動くと言ってもいろいろあって、たとえば歌い手が歌に込めた感情がダイレクトに伝わってくるとか、歌詞から情景が目に浮かぶとか、その歌が流行っていたときの自分を思い出してしまうとか、そういうのなら、わかるんです。そうではなく、ぼくがわからなかったのは、音楽の最もプリミティブな形態、コードになぜメジャーやらマイナーやらがあって、明るく晴れやかな印象や、暗く寂しげな印象を心に呼び起こせるのか、ただの音と音の組み合わせになんでそんな技が可能なのか、それ

    なぜ人は音楽に心を動かされるのか? - すべての夢のたび。
  • 我思う我書く、の2 - すべての夢のたび。

    昨日の続き。 デカルトは「我思うゆえに我あり」と言いました。なんでそれをぼくが知っているかというと、彼はそのことを『方法序説』というに著して世に問うたからです。彼は自分が考えて考えて辿りついたアイデアを、他人に伝えようとしたのです。それはなぜか? 黙って一人胸の内に秘めておくこともできたのに? ぼくは子供の頃、自分の行動範囲しか世界はないのではないか、というような妄想をしていたことがありました。なにかの理由があってここに連れてこられてきて、ずっと監視されていて、ぼくが行く可能性のあるところはしっかりと作られているけれど、例えば入る用事もないようなビルなんかは外側だけはちゃんと作ってるけど中身は張りぼて、更に、行く必要もないような遠いところなどは実際には存在しないのではないか? そのような妄想を、どういった話の経緯でそこに辿りついたのかは忘れましたが、ある時、知人も同じように昔持っていたこ

    我思う我書く、の2 - すべての夢のたび。
  • 我思う我書く - すべての夢のたび。

    「我思うゆえに我あり」とデカルトが言ったことについて、ちょっといろいろ考えていました。 全てを疑うことが可能だとしても、それを疑う"我"が存在することだけは絶対に疑い得ない、とデカルトは言いました(多分)。では"我"の存在が他の全てのものごとの起点になるのだろうか、と考えると、それは違うだろう、と思うのです。 ことばだけを見ると、「我思うゆえに我あり」は正しいことを言っているようにぼくには感じられます。しかし、そもそも"我"とはなんなのでしょうか。"我"という概念がぼくの頭のなかにあらかじめ存在していたからこそ、ぼくはデカルトのことばを理解できたわけです。 「"我"とは○○のことである」といったように、その概念の説明には別の言葉が必要になります。知らない言葉は辞書を引くことにしても、どこかで定義はループになってしまうので、輪の外側に足場がなくてはいけない。結局は、ぼくが"辞書など引かないで

    我思う我書く - すべての夢のたび。
  • 『面白い』社会は何の上に成り立つか - すべての夢のたび。

    損得ばかり考えていると当につまらない。何を生み出すか分からないものに全力で取り組み思いがけない成果生むときこそが最高に面白いときだということを我々は知っています。最近は目的を具体的に持ちそれに向かって努力して成果を得るといったことが当然のように行われています。目的をもって行動し結果を得ることは要するに先が見えていることしかやらないということです。 『想定外』よりも『想定内』が求められる世の中です。社会全体を想定内に納めてしまっては、灰色の『つまらない』社会になるのは当然です。『想定外』を許容して、より面白く生きるための努力を厭わない社会を社会全体で担保する。そんな社会こそ活気に溢れた『面白い』社会ではないでしょうか。 今朝、上のエントリがはてブの新着に上がってるのを見て「こんなことを今更言ってもブクマされちゃうんだ……」と思った。昔から何度となく言われてることで、誰だってもう解ってるけど

    『面白い』社会は何の上に成り立つか - すべての夢のたび。
    delayedresolve
    delayedresolve 2009/10/22
    『格差は肯定される。面白く生きる人の生を肯定するのなら。』
  • ある日、世界が腑に落ちる - すべての夢のたび。

    記憶 脳は「忘れる」ほど幸福になれる! 作者: 前野隆司出版社/メーカー: ビジネス社発売日: 2009/03/07メディア: 単行(ソフトカバー)購入: 1人 クリック: 20回この商品を含むブログ (5件) を見る 前野隆司さんのは、これ以前の3冊とも持っていますのでファンと言ってもいいかも(「脳はなぜ「心」を作ったのか―「私」の謎を解く受動意識仮説」「錯覚する脳―「おいしい」も「痛い」も幻想だった」「脳の中の「私」はなぜ見つからないのか? ~ロボティクス研究者が見た脳と心の思想史」)。最後のはまだ読みかけですが。今回のこれは、この3冊よりは一般向けに書かれているようで、脳の構造やら専門用語やらはあまりでてきません。 書のサブタイトルは"脳は「忘れる」ほど幸福になれる!"となっています。ぼく自身、記憶力が悪いことは自覚しており、よくあるなぐさめ「忘れてしまうようなことは大したこと

    ある日、世界が腑に落ちる - すべての夢のたび。
  • 過去の喪失 - すべての夢のたび。

    この9月の連休は部屋の片付けをすることに決めていて、まぁまだ終わってないのだけど、連休初日の夜に別居中の嫁から電話が来た。「明後日に家に業者呼んで部屋を片付けるから、必要なものは明日の内に持ち出せ」と。 彼女とは別居中だ。ぼくが出て行った。その時に身の回りのもの一揃いとPCくらいしか持ち出さなかったので、ほとんどの私物はまだ元の家にあった。別居する1年ほど前から仕事の忙しさと彼女との不和で半ば精神的に破綻していたぼくの部屋は荒れ放題の状況であり、いままでずっとそのままになっていた。一方で彼女も所謂片付けられない人なのでつまりは家中カオス状態だった。そして見かねた彼女の実家がゴミ屋敷片付け業者を呼ぶことにしたのだ。家の中のすべてのものを一旦処分する、という。 そんなわけで、自分の部屋を片そうと思ったらいきなり横やりの格好になったけれど、こういうことでもないと機会もないし、変な偶然もあるものだ

    過去の喪失 - すべての夢のたび。
  • 葬式はいらないしそもそも自分がいらない - すべての夢のたび。

    痛いニュース(ノ∀`) : 「葬式はいらない」という人が急増…「誰にも迷惑かけずに消えてなくなりたい」 死後のうんたらかんたらを信じないのなら、葬式はただ残された人のためのものだ。だから、「必要」はもちろん、「いらない」ですらしがらみに囚われていることには変わりない。 ぼくはぼくの葬式をするしないはどうでもいい。やりたければ勝手にやればいい。 (このようなことを書くと、残された人になにがしかの迷惑は掛けるんだからちょっとは考えろ、というタイプのツッコミがよく入るのですが、そんなの、生きているいまの時点ですら迷惑を掛けていることについて別に何も思わないのだから、言われてもしかたないのです。というか自殺前提で生きているので死体をどうすればいいかぐらいは考えてる) ……と、そういう同じ意見のレスはないかなー、と予想してからエントリを読んでみるのも楽しいものです。 65 : ノイズw(北海道):2

    葬式はいらないしそもそも自分がいらない - すべての夢のたび。
  • こっそりと - すべての夢のたび。

    さきほど被ブクマ6000超えでした。おめでとうございます>自分 ていうかもちろん読んでいただいてる皆様のおかげなんですが。ありがとうございます。いやこれは、よく「ファンの皆さんのおかげです」とかいうセリフを耳にするたび「うっそくせー」と思っていた自分ですら、あれはもしかして心からそう思って言っているのかもしれない……と思わせてしまうような事実ですね。ほんと、読んでくれる人がいなければ成り立たないものです。まぁちょっとは頑張ってますけどね、自分も。でもちょっとです。 それにしても。今日ブクマ伸びたエントリは「進化論に感じるきもちわるさの根はなにか」なんですけど、これ、2人にブクマされてそれっきりだったんでややガッカリ目だったんですが、その後丸1日以上経ってからid:kanoseの人にブクマされて、その後1日経たないうちに30users超えですよ。やっぱりすげえー、と思うとともに、そういう人た

    こっそりと - すべての夢のたび。