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では結局、自己とはなにか?の2 - すべての夢のたび。
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では結局、自己とはなにか?の2 - すべての夢のたび。
昨日の続き。 自己というものは「一元論的で非連続的で受動的なもの」です。……と言い切られても「?」で... 昨日の続き。 自己というものは「一元論的で非連続的で受動的なもの」です。……と言い切られても「?」ですよね。ここで問われるのは、「仮にそうだったとして、で、それって何の役にたつの?」ということだと思います。 役に立ちます、ちゃんと。いろんなテツガク的な問題は、この考え方ベースで説明でき、解答を与えることができる。 たとえば、"死とは何か"について。一般的に、死は怖いもの、ですよね。ぼくは死の恐怖は大別して2種類あると思ってます。1つは「愛するものとの別れ」で、もう1つが「自己の消滅」です。で、ぶっちゃけ1つ目のほうは、どうにもなりません(笑)。各人でなんとかしていただくしかない。そちらは置いといて、2つ目のほう。 自分(自己)がなくなる、と言ったとき、どういうことを想像するでしょうか。生きていまやっているようなこと。音楽を聴いたり、本を読んだり、美しい景色を見たり、誰かに触れたり触れられた