僕もそう思ったりします(笑)。 しかしです、期待してくれている奇特な方がまだ少しいらっしゃるんです。 だから恐れながら出させて頂きます(多分4月後半かと。) しかしまぁ今回は色々勉強させて頂きました。 一度しかない人生、八方破れになるのも年を取るにつれて大変なのであります。 だからといって「マンネリ」は何ごとに於いてもよくないのです。 だから創意工夫は必要なのです。 だから今夜も頑張るのです。 何が言いたいのか分からなくなってきました。 さて今回は、藤田野球の醍醐味でもあるあの「のびのび野球、するめ野球」ぐらいのびのび製作させて頂きました(まぁもっとも噛めば噛む程味が出るかどうかは分かりませんが(^^))。 なので、普段の作曲家業では絶対出来ないような音源と歌詞と歌い方に挑戦させて頂きまして、おおいなる内輪うけの旋風が巻き起こっております。あぁよかったよかった。 表題曲のコンセプトは「断末
僕の大学での専攻は「新聞学」である。 ジャーナリストになりたかったわけではない。 高校生の僕は、法律や経済などの専門性を持った学問を選択する決断ができなかったので、学際っぽい「新聞学」を選択した。 新聞学専攻なので、ジャーナリズムは必須科目だった。 と、いうか専門科目はジャーナリズムが中心である。 僕の友人もジャーナリスト志望者が多かったし、実際にジャーナリストになった友人も多い。 そのような環境にいたので、新聞というメディアに対する思い入れはある。 僕は子供の頃、大人になったら新聞の購読数を増やそうと思っていた。 朝、出社前にコーヒーを飲みながら新聞5紙を読む、という大人像に憧れていた。 でも、実際に新聞5紙を購読可能な今、僕は、新聞の購読そのものをやめようとしている。 「紙媒体の新聞」に価値を見いだせなくなったからだ。 僕にとってニュースソースとしての新聞は、かなり以前から価値を失って
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