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ブックマーク / www.warewaredan.com (4)

  • 戦争は遠いアフガンやイラクではなく、他ならぬこの日本国内で起きている ・ 外山恒一

    戦争が、始まっている。 この戦争を、ブッシュやラムズフェルドといった人たちは、「まったく新しい戦争」と呼んでいる。 「まったく新しい戦争」は、どこがどのように「まったく新しい」のか? 9・11直後、アメリカのアフガン攻撃の最中に書かれた『文明の内なる衝突』で、大澤真幸は次のように分析している。 (アメリカのテロリストへの、あるいはタリバンへの反撃は、そもそも戦争と呼べるのか否か、ということが盛んに議論されたが)戦争なのか、それとも戦争ではないのか、という見解が大きく分裂するのは、どうしてなのか? その理由ははっきりしている。この戦いにおいては、軍隊が警察として振る舞っているからである。普通、戦争とは、主権国家と主権国家の間の戦闘――外戦――である。だが、9・11テロが引き起こした「戦争」においては、当面の敵として措定されている主権国家らしきもの――タリバン政権――は偽装的なものであっ

    denken
    denken 2007/10/24
    「この戦争に反対する人々が展開する「反戦運動」は、冷戦下のそれと変わらない、旧態依然たる感覚と論理に支配されている。彼らは、かつてベトナム戦争に反対したのと同じ言葉とノリで、今回の戦争に反対している」
  • 政治活動入門・外山恒一

    政治活動とは何か 政治活動とは何でしょうか。 多くの人は、政治活動と聞いてまず選挙などを思い浮かべるでしょうが、もちろん政治活動と選挙運動とはイコールではありません。 選挙に関係すること(有権者の一人として投票することや、特定の政党や候補者への支援活動をする こと、あるいは自ら立候補することなど)も政治活動の一種ではありますが、実は政治活動の中でもかなり特殊なジャンル(?)にすぎません。 あるいは、政治活動とは、何かの主張や要求を掲げて署名を集めたり、集会を開いたり、街頭演説や、ビラまきや、デモなどをおこなうことだとイメージする人もいるでしょう。 しかしこの答えも、選挙運動しか思い浮かべられない人よりはいくらかマシですが、まだまだ正解とは云えません。 基的なことから考えてみましょう。 ほとんどすべての人は、生きていく上で、何らかの不満や苛立ち、怒りや焦りや、周囲への違和感といっ

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    denken 2007/10/24
    こういう書き方をされるとコロっとイってしまう
  • 不定愁訴! (我々団(九州ファシスト党) 告知用ブログ)

    いや違った不当判決!! すでにご存じの諸君もあるかと思うが、素晴らしすぎる判決が出た。 詳細は、今その渦中である観劇ツアー期間終了後に改めてアップすることにして、今日のところは結論だけ報告しておく。 判決は、「罰金12万円」であった。 求刑が同1万5千円だったから、なんと8倍である。 検察官の求刑を上回る判決自体がごく稀であるのに、「8倍」というのはあるいは前代未聞なのでは? 判決にはいくつか但し書きがあり、まず「未決算入を1日5千円換算で10日分」。これは判決が出るまでの間に拘束された期間のうち、裁判官の裁量で「すでに刑罰を受けたも同然」ということでいくらか差っ引くもの。私は今回、30日間にわたり獄中にあったわけだが、このうち10日分を1日5千円換算で、つまり計5万円分の刑罰をすでに受けたに等しいと考え、罰金は実質残り7万円となる。 で、その残り7万円を、何らかの理由で払えない・払わない

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    denken 2007/10/03
    罰金15000円の求刑だったのに判決は罰金12万円
  • まったく新しい左右対立──イデオロギーX──・ 外山恒一

    右とか左とか、いまどき古臭いと言うバカがたくさんいる。 そんなことを言う奴が、では具体的にどんな主張をするのかと耳を傾けると、現状に何の不満もないというのなら別だが、そうでなければ実はこれまでの右や左の主張とそっくり同じである場合「しか」ないから、バカだと断定してよいのである。 現状に何の不満もない人間が、そもそも右とか左が云々なんて話をわざわざ論じたがるはずもないから、結局、奴らは単に自覚がないだけの右か左のどちらかであって、その自覚がないぶんバカだというのである。 右と左の対立は、市民革命(ピューリタン革命や名誉革命やアメリカ独立革命やフランス革命や明治維新やその他もろもろ)を経た近代社会の成立とともに発生したもので、現在も依然その近代社会の枠組みの中にある以上、右と左の対立もまた厳然として継続しているのである。 右と左の対立は今もあるのだという当然の事実を前提として、しかし新

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