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大東亜戦争に関するdenki5150jpのブックマーク (2)

  • 「死の行進」写真ではなかった、65年ぶり訂正 : 国際 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    【ニューヨーク=吉形祐司】第2次世界大戦中の1942年4月、フィリピン・ルソン島のバターン半島を攻略した日軍が、米軍やフィリピン軍の捕虜を炎天下で100キロ歩かせて多数の死者を出したとされる「バターン死の行進」の写真について、配信元のAP通信は、数週間後の遺体埋葬の写真だったとして65年ぶりに写真説明を訂正した。 写真は米軍が日軍から押収し、45年に「『バターン死の行進』で同僚の捕虜に運ばれる死傷者」との写真説明で配信された。歴史的な1枚として繰り返し使用されてきたが、ニューメキシコ州に住む生存者の元米兵が昨年8月、地元紙に掲載された写真を見て間違いを指摘。AP通信が国立公文書館の資料などと照合した結果、捕虜収容所で撮影された写真だとわかった。 AP通信は、写真説明を「『バターン死の行進』後に捕虜収容所で行われた埋葬の模様」と訂正した。通信社が、歴史的な写真について訂正を出すのは異例だ

  • 田母神俊雄前空幕長の論文問題は、大東亜戦争/太平洋戦争の「密教化/顕教化言論」問題[絵文録ことのは]2008/11/17

    田母神俊雄前航空幕僚長の論文「日は侵略国家であったのか」が物議を醸している。(「日は侵略国家であったのか」全文) この問題について、その発言が正当であるか否かという問題はひとまず措くとして、「なぜそのような発言が出てくるのか」「そして、なぜそのような発言が問題視されるのか」という点が重要だと思う。 この問題を考えるにあたって、平成10年度戦史研究発表会にて作家・保阪正康氏の特別講演「大東亜戦争・太平洋戦争はいかに語られてきたか」の内容が非常に参考になる。この講演は、先の大戦(応仁の乱ではない)を「太平洋戦争」と呼称する「顕教的な言説」と、「大東亜戦争」と呼称する「密教的な言説」が存在しているということを述べたものであった。 田母神前航空幕僚長の発言は、まさに密教的な言説そのものを代弁するものであった。そして、日政府は自民党政権であっても「密教的な言説」を表立っては支持せず、「顕教的な

    denki5150jp
    denki5150jp 2008/11/17
    顕教化言論は崩壊している。 密教化言論も訴求力が弱い。 弱さ=本当に戦争目的を正確に理解し得たのか? 戦争目的について、明確に「なぜ戦うのか」という問いかけがなかった。→戦死者に対して行なえる歴史的な責
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