2014年9月14日のブックマーク (2件)

  • 現実と向き合ったって

    現実と向き合う、という言葉に影響を受けて、少し現実と向き合ってみた。 自分の欲求について書きだしてみたのだけれど、もちろんそれは自分の欲求であることは確かなのだけれども、 なんだか、こう、みればみるほど、考えれば考えるほど、実現可能性があまりにも未知数すぎるので、 先が見えなさすぎてわけがわからなくなっているというのもあるのだけれど、なんだか、 自分の欲求と向き合ってみて、当に嫌な気分になった。 嫌というのは、叶わなさそうで悲しい、辛いという気分を総称して、とのことなんだろうと思う。 だけど、それをみて当に嫌な気分にもなった。 欲求と向き合うべきなんだろうと思うけれど、それはあくまで明日以降のことであって、 今の自分は、少なくとも楽しい気分でいたいのだ。嫌な気分や辛い気分ではいたくない。 そこで、自分なりに考えてみた。 多分、なるべく楽しい気分でいながら、現実と向き合っていければいいの

    現実と向き合ったって
    dette
    dette 2014/09/14
  • 歴史は科学じゃなくて、文学でしょ

    http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20140910/1410394021 http://d.hatena.ne.jp/dlit/20140911/1410405410 個人的には、歴史は科学じゃなくて(事実と推定されるものを元にした)文学だと思うなあ。事実の推定のやり方はそれなりに科学的だと思うけど、事実と事実の関係の解釈が完全に文学。「歴史の流れ」とかさ、SFとかで時々出てくる「歴史の補正力」と同レベルのトンデモでしょ。 事実推定の段階から文学入ってる歴史修正主義みたいなクソと一緒にすんなっつーのは分かるんだけど、左翼の人たちが大好きな唯物史観だって、都合のいい事実だけを繋げて作った「星座」だと思うしなあ。 ある出来事Aと別の出来事Bに因果関係が存在することを証明するのって、再現がほぼ不可能な「歴史」においては事実上不可能なはずなのに、経済学とか社会学

    歴史は科学じゃなくて、文学でしょ
    dette
    dette 2014/09/14
    科学も出来る限り主観を省いてはいるけれども、観察者が人間である以上、すべての事柄に対して筆者の言う文学的解釈を与えることになるのではないだろうか 事柄の関係に論理は存在しない、あるのは解釈だけだ