2年前までは学生コーチへの転身を打診されてもおかしくなかったという男は、いかにして“ドラ1”に成り上がったのか。そこには、どんな苦境でも諦めなかったからこその出会いがあった。 同期は山田健太ら、一時は“4軍”も経験 「家族みんな身長が高いんです」という恵まれた体格を持ちながらも(現在188センチ)、中学時代に所属した新潟西シニアでは控えの外野手。地元の県立の進学校に落ちて入学した新潟明訓高ではエースとなるも最後の夏は初戦敗退を喫している。当然、スポーツ推薦の誘いを受けた大学はひとつもなかった。 野球を諦めてもおかしくなかったが、「このままでは終われない」と以前から憧れを抱いていた東京六大学野球への思いをいっそう強め、立教大学に指定校推薦で進学した。 野球部の門を叩いたものの、大学2年生まではベンチ入りすら遠い存在で、山田健太(大阪桐蔭→日本生命)ら1年生から活躍する同級生たちとは対照的にD
![“4軍の右腕”はなぜドラフト1位になれた? 楽天・荘司康誠のマンガみたいな覚醒の舞台裏「ゼロイチは苦手だけど、吸収力が抜群」(高木遊)](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/0d493c40f2f2ce46098d6af382ebc900e8369748/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fnumber.ismcdn.jp%2Fmwimgs%2F5%2Fe%2F-%2Fimg_5e5030958d85cb723830d40555f1d791113332.jpg)