【ワシントン共同】米エネルギー省のグランホルム長官は16日、マンハッタン計画を主導し「原爆の父」と呼ばれた物理学者オッペンハイマー(1967年死去)を公職から追放した54年の処分は「偏見に基づく不公正な手続きだった」として取り消したと発表した。68年ぶりの処分撤回について「歴史の記録を正す責任がある」と説明した。 同省の前身である原子力委員会はソ連のスパイ疑惑が持たれていたオッペンハイマーを「危険人物」とみなし、国家機密に関わる資格を剥奪した。実際にはスパイ行為は確認されず、広島・長崎の原爆の惨禍を知った後に水爆の開発に反対したことを問題視されていた。
広島の原爆投下直後の悲惨な状況をみずからの体験に基づいて描いた漫画「はだしのゲン」の作者の中沢啓治さんが、今月19日、肺がんのため広島市内の病院で亡くなりました。 73歳でした。 中沢啓治さんは広島市の出身で、6歳のときに被爆し、父や弟など家族3人を亡くしました。 その体験を基に、昭和48年から、原爆で家族を失った少年が力強く生き抜く姿を描いた漫画「はだしのゲン」を執筆しました。 原爆投下直後の広島の生々しい描写は内外の読者に強い衝撃を与え、発行部数は累計で1000万部を超えました。 中沢さんはその後、「はだしのゲン」の第2部を検討していましたが、長年患った糖尿病の影響で視力が衰えたため、3年前に漫画家を引退し、漫画の原画など800点以上の資料を広島市の原爆資料館に寄贈しました。 その後も映画の脚本や絵画の製作に取り組むなど、被爆の実態を伝える活動を精力的に行っていました。 中沢さんは、被
先日、アパグループ第4回「真の近現代史観」懸賞論文の受賞作決定をとりあげた際、「優秀賞」受賞作の「日本は負けてない」(サー中松義郎博士)が“昭和天皇が原爆開発を止めさせた”というネタを含んでいることをご紹介しました。 原爆研究については陸軍が東京帝大の仁科博士と理研に開発を依頼した「二号研究」(海軍は京都帝大と「F研究」)として行い濃縮ウランは海軍が潜水艦でドイツから運ぶ手配がされ、出来た原爆の第一弾をハワイに落とす作戦を杉山参謀総長は陛下に上奏したが、陛下は「原爆という非道なものは使うべきでない。 特にハワイには日本人が多いので却下する。」となり杉山参謀総長は解任され、東條首相が参謀総長を兼務することになった経過がある。 (http://www.apa.co.jp/book_ronbun/vol4/yushu2011japan.html) 同様なはなしがウィキペディアの「杉山元」の項目に
今年、大阪と広島で相次いで「原告勝訴」の判決が下された、 原爆症認定集団訴訟。 「画期的判決」といわれたその意義とはどこにあったのか。 自身の被爆体験を原点に、被爆者治療と核廃絶運動に関わり続けてきた 「被爆医師」肥田舜太郎さんにお聞きしました。 ひだ・しゅんたろう 1917年広島生まれ。 1944年陸軍軍医学校を卒業、軍医少尉として広島陸軍病院に赴任。 1945年広島にて被爆。被爆者救援にあたる。全日本民医連理事、埼玉民医連会長などを歴任。 現在、全日本民医連顧問、日本被団協原爆被害者中央相談所理事長。 著書に『ヒロシマを生きのびて』(あけび書房)、 『内部被曝の脅威』(共著、ちくま新書)など。 2006年5月、広島・長崎での被爆者の方々が被爆者援護法に基づく原爆症認定(注1)を求めた集団訴訟(注2)で、大阪地裁は原告全員を原爆症と認め、国が認定を却下したのは違法だとする判決を出しました
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