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2011年11月10日のブックマーク (6件)

  • 「橋下徹の交渉術・言論テクニックを解剖する」中島岳志‐マガジン9

    マガジン9 憲法と社会問題を考えるオピニオンウェブマガジン。 |「マガジン9」トップページへ|「カフェ・ハチャムの挑戦」:バックナンバーへ| 2011-11-09up 中島岳志の「希望は、商店街! 札幌・カフェ・ハチャムの挑戦」 第6回 11月27日に実施される大阪のW選挙に際して、橋下徹氏の言動に注目が集まっています。大阪都構想を実現すればすべてがうまくいくかのような幻想をふりまき、既得権益を徹底的にバッシングすることで支持を獲得するあり方は、非常に危険だと言わざるを得ません。また、そのような独断的で断言型の政治家を「救世主」と見なす社会のあり方も問題だと思います。(「ハシズムを支える社会」の問題については『創』12月号で詳しく論じています。) 多くの人は、橋下氏の言論術に翻弄されています。彼は「ありえない比喩」を駆使し、「前言撤回」を繰り返しながら、人々の心をひきつけて行きます。私たち

  • 白燐弾について見かけたちょっとしたやりとり - 法華狼の日記

    D_Amon氏と[twitter:@neko73]氏が下記のようなツイートをかわしていた。 「白リン弾が肉にい込んで燃え続ける」というのはD_Amon氏による下記エントリ、および紹介されているノンフィクション『Citizen Soldiers』とアムネスティ記事あたりを指しているのだろうか。 WHITE PHOSPHORUS(WEAPON)=白燐弾(直訳)=黄燐焼夷弾(意訳) - 模型とかキャラ弁とか歴史とか まさか、そんな勘違いをする人はいないだろうとは思いますが、「as it burrowed into a man's flesh(それが体内に潜り込んでいくにつれて)」というのは燃えている白燐の破片が、焼夷効果により人体組織が破壊された分、人体内に入り込むということで、白燐の破片が生き物のように動くわけではありません。*2 白燐は火が消えにくく、人体にくっついて取れにくいので、燃えて

    白燐弾について見かけたちょっとしたやりとり - 法華狼の日記
    dimitrygorodok
    dimitrygorodok 2011/11/10
    白燐弾無害論者のシーシュポスのそれにも似た苦悩について/議論の為の引用まで不当とするのは無理筋にも程があると思う
  • 「在日」が「帰化」しない理由が一目でわかるイラスト - 法華狼の日記

    http://twitpic.com/7cf631 まったく、こういうイラストを拡散することの効果すら想像できないのだろうか。 帰化してもこういう扱いをされることが予想できるのだから、帰化しないことを安易に非難できるわけがない。

    「在日」が「帰化」しない理由が一目でわかるイラスト - 法華狼の日記
    dimitrygorodok
    dimitrygorodok 2011/11/10
    これは陰謀じゃ!右翼を騙る何者かが日本を貶めようとする情報戦じゃあ!(棒読み)ついでにコメント欄に湧いてるのも右翼を騙る(ry
  • 通州事件の政治利用の始まり - 誰かの妄想・はてなブログ版

    通州事件に関する情報が通州外に届いたのは、7月29日正午ごろ日軍偵察機による報告が最初と見られます。しかし、29日中は航空機のみの情勢把握が行われただけで、ある程度の詳細が知れるのは翌30日午前1時半ころの通州城内の日軍守備隊との通信によってです。 この通信も無線通信で情報量には限界があり、そもそも日軍守備隊が兵営から出られない状況でしたから、居留民の被害についてはほとんどわかりませんでした。 居留民被害について明らかになるのは7月30日の夜明け以降で、通州外部からの救援が到着するのは30日午後4時になってからです。 報道機関が被害状況を現地取材したのは8月2日以降で、取材結果が報道されたのは8月4日以降です*1。 通州事件の詳細がまだ報道されていなかった8月2日、以下のような通信が上海の日大使館付武官から発せられました。 通州事件其他に関する報道の件 【 レファレンスコード 】

    通州事件の政治利用の始まり - 誰かの妄想・はてなブログ版
  • 退役軍人グループも占拠抗議活動に参加 : Spike's Military Affair Review

    military.comが退役軍人グループが占拠抗議活動に参加している様子を報じました。 退役軍人は2ヶ所の野営地を設立し、テントの整頓された並びからして、その背景に軍事的な計画があったのは明らかです。大型の白いテントは明らかに応急処置を示していました。人々が事を出来る堂用テントもあり、露営地の中心を大通りのように走るコンクリートの道はすべて整頓されていました。 「『Veterans for Peace』が主催者で、我々は少し歳を取っています」と元海兵砲兵隊員でベトナム帰還兵のビル・ミニッティ(Bill Miniutti)は言いました。彼は10月のはじめに抗議するためにフロリダのジャクソンビルから来ましたが、「Veterans for Peace」のキャンプはさらに先に遡ります。「彼らはウォール街(占拠)のずっと前、3月から実際に活動しています」。「我々は携帯トイレを実際に持っていて、

  • 米軍の脱走兵がベトナム戦争後最低に : Spike's Military Affair Review

    military.comによれば、昨年、米陸軍の脱走率はベトナム戦争以来で最低へと激減し、専門家は景気の失速、より優良な新兵、イラクでの米軍縮小のお陰だと考えています。 「陸軍は現在、採用する兵士をかなり選べる状態にあります」「そのためにアメリカが提供できる最高の人を陸軍に連れてて来ています」と国防総省広報官、スティーブ・ワーレン中佐(Lt. Col. Steve Warren)は言いました。 脱走率は、同時多発テロの攻撃に引き続いて実際に跳ね上がり、2001年に4,399人の兵士が持ち場から逃げ、2005〜2006年にイラクが崩壊すると増え始めました。2007年にピークになった脱走率は4,698人に達し、それは陸軍の登録簿の1%のすぐ下で、1970年に記録が利用できるようになってから陸軍の最高の脱走率です。2002年の陸軍報告書は脱走者とAWOL(無許可離隊)の兵士は通常、より多くの要請