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ブックマーク / sessai.cocolog-nifty.com (4)

  • 「脱・原発」…というわけにはいくまい。 - 雪斎の随想録

    ■ 昨日、東京・築地の朝日新聞社に出向いた。 東京都下、節電励行目的で様々なものが休止している。 朝日新聞に隣接する都営地下鉄大江戸線築地市場駅の地上行きエスカレーターは、全部、止まっていた。 「おいおい、どうやって地上に出ようか…」と一瞬、迷った。 駅員の「人力」を借りて階段を上るかと思ったが、エレベーターが一基だけ稼働していたので、それを使って事なきを得た。 若い時、六木駅のエレベーターが一時的に故障し、ビル七階分を階段で降りなければならなくなったことがある。 その時、手を貸してくれたのは、陸上自衛隊のレンジャー部隊の「教官殿l」だった。 雪斎に手を貸すのは、「戦場」よりも怖かったかもしれない。 今は、もはや、そういうことはできまい。 雪斎は、原発推進論者である。 正確にいえば、「安定して電気を供給してくれるのであれば、原発であろうが何であろうが…」という立場である。今のところ、「

    「脱・原発」…というわけにはいくまい。 - 雪斎の随想録
    dimitrygorodok
    dimitrygorodok 2011/04/23
    原発なぞ低コストでもなければ http://bit.ly/9Hz1id 安全でもなく、安定もしてない http://bit.ly/feTRpK のだから捨てるしかないのに/ドイツの電力事情 http://bit.ly/hp64sF /どこを削るべきか http://bit.ly/fF4g4Q 絶望するにはまだ早い
  • 他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス - 雪斎の随想録

    ■ 陸奥宗光が著した『蹇々録』は、日外交政治学徒が読む書の「イロハのイ」であある。 陸奥は、この書を明治25年(1892年)から執筆を開始し、日清戦争、三国干渉の処理について記述が及んでいる。ただし、この書の刊行は昭和4年、陸奥の死から22年後のことである。というのも、この書は、外務省機密文書を引用していたため、30年近く経って明治も遠くなりにけりの「歴史」になった時点で刊行されたのである。 『蹇々録』中、最も有名なのは、三国干渉について記した個所の終わりに出てくる次の文言であろう。 「畢竟我に在ては其進むべき地に進み其止まらざるを得ざる所に止まりたるものなり。余は何人を以て此局に當らしむるも亦決して他策なかりしを信ぜむと欲す」。 さて、この数日、世間の耳目を集めているのが、日米安保体制に絡む「密約」の話である。率直にいえば、この件は、「既に終わった」話である。故に、「騒ぎ立てる」ことに

    他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス - 雪斎の随想録
    dimitrygorodok
    dimitrygorodok 2010/03/19
    仮に密約の必要性を認めたとして何時までも伏せたままにするのはどうかと思うしドサクサ紛れに沖縄に色々押し付けて涼しい顔をしてるのもどうかと思ってしまう/単に都合が悪いから秘密、と勘ぐられても仕方ない
  • 「野党」に耐えられない人々 - 雪斎の随想録

    ■ 鳩山邦夫さんが自民党を離党したそうである。 「結局、元に戻ったのであろう…」というのが率直な感想である。 彼は、民主党結成の際のコア・メンバーだった。 野党としての自民党の戦略は、「相手を自滅させる」ということ以外にはない。解散の大権を民主党が握っている以上、民主党は、何が起ころううとも向こう三年間は「与党」であり続けられる。国民の支持ということを度外視すれば、鳩山由紀夫内閣は、あと三年半は続けられる。このことから判断する限りは、政局の主導権は、常に与党の側にある。これは厳然たる現実である。だから、自民党は、その間は、我慢に徹しなければならない。その点では、現在の谷垣総裁、石破政調会長という布陣は、決して悪くない。彼らは、間違いなく、「失点を極限できる」はずだからである。 日には、自民党や民主党云々ではなく、「与党」を支持する層が相当な程度まで存在する。だから、普通に考えれば、与党の

    「野党」に耐えられない人々 - 雪斎の随想録
    dimitrygorodok
    dimitrygorodok 2010/03/19
    『「失点を極限できる」はず』<さて、彼らには失うべきものがどれだけ残っているのか…?
  • 理想主義の「輝き」 - 雪斎の随想録

    ■ バラク・H・オバマがノーベル平和賞に選ばれた。 広島・長崎両市が2020年夏季五輪を招致すべく、検討に入ったそうである。 今、世界に到来しつつあるのは、「理想主義」の時節であろう。 こうした理想は、他の人々に対する「偏狭」とか「排除」の色合いを持たない限りは、そして「独善」の傾きから免れている限りは、それ自体としては歓迎すべきものであろう。 だから、オバマの「核兵器のない世界」構想を前にして、「そんなことができるのか…」と反応するくらい、無粋なことはない。それは、マーチン・ルーサー・キングの「私には夢がある」演説を前にして、「そんなことが実現するのか…」と冷笑するのが、愚昧であったというのと同じ趣旨である。 ただし、理想主義が「輝き」を保っている時節は、実は短い。 1920年代、アリスティード・ブリアンやグスタフ・シュトレーゼマンによって、「国際協調」を旨とした外交が展開された。ロカル

    理想主義の「輝き」 - 雪斎の随想録
    dimitrygorodok
    dimitrygorodok 2009/10/23
    ハッキリした物言いは(立場は別にしても)どうしても反感を買い易い/だからそれに耐えられる中身が必要なんだろうね
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