JaLC IRDB Crossref DataCite NDL NDL-Digital RUDA JDCat NINJAL CiNii Articles CiNii Books CiNii Dissertations DBpedia Nikkei BP KAKEN Integbio MDR PubMed LSDB Archive 極地研ADS 極地研学術DB 公共データカタログ ムーンショット型研究開発事業
タイトル別名 The Continuity Between World War II and the Postwar Period : Grant Distribution by the Japan Society for the Promotion of Science and the Subsidiary Fund for Scientific Research ニホン ガクジュツ シンコウカイ ケンキュウヒ ト カガク ケンキュウヒ コウフキン ノ ブンヤベツ ワリアイ ニ ミル センジ ト センゴ ノ レンゾクセイ This paper analyzes the distribution of the Subsidiary Fund for Scientific Research, a predecessor to the Grant-in-Aid for Scientific R
P(論文) 尊敬の接辞「お」がどのような語に付くのかを観察すると,それが現在の賢しらな理性とは関係なく,歴史の結果としてそこにある伝統的感覚によって決定されることが分かる。従って,「古びたものは,その内包する威厳のために,人を動かす力を持っていると期待してよく,その威厳をもった部分ば,堂々としており,ある程度尊敬の念を抱かせる」という伝統的感覚を受け入れれば,「物に対する敬意」という我々にとってお馴染みの感覚を迷妄と排除せず,言語研究に取り入れることができる,と主張した。 In Japanese, there is a rule concerning honorifics (sonkei-go). Sonkei-go occurs only when the subject refers to a person to whom the speaker wants to show his r
application/pdf text 「言葉とは何か」と問われて、返答に窮して黙りこくってしまう人はそういない。この種の問題については、だれもが自分流の切り口を持っているものだ。だがそんな時、突然、「あなたが今話しているのは、それは言葉そのもののことではありませんね。」と言われたらどうだろう。はっとして振り返ると、自分の言っていたことがなにも言葉に限った話しではないことに気づく。言葉と同じ用途、性質、役割をもったものなど他にいくらでもあるものだと思い至る。\n 言語学が得意としてきたのは実はこうした譬え話である。「言葉のように見えて、ほんとうは言葉でないもの」は「言葉そのもの」よりもよっぽど扱うに易しいからである。\n ここでは、こうした「言葉のように見えるもの」が、言語学にもたらした功罪を考える。なぜなら、それは言語学にとって毒にも薬にもなってきたからである。
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