奈良市の東大寺は7日、今月中にも銀行から1億円を借り入れ、東日本大震災の被災地に義援金として日本赤十字社奈良県支部を通じて寄付すると発表した。 同寺によると、天平時代の大仏造営の際、宮城県涌谷町から献上された砂金が大仏に鍍金(ときん)されるなど、同県とは縁が深いという。 この日、奈良市内で会見した同寺の北河原公敬別当は「千年に一度ともいわれる広範囲な災害であり、借財して義援金を届けることにした。被災地で被害を受けた文化財の修復にも役立てていただければ」と話した。
食品を加熱せずに無害で殺菌できる技術を、還暦を過ぎて起業した大阪のベンチャー会社社長が開発し、特許を出願した。「高電界」と呼ばれる環境を常温で安全に作り出す仕組みで、牛乳なら風味を損なわずに賞味期限を数カ月に延ばせるという。年内の実用化を目指し乳業メーカーなどと装置を共同開発中で、賞味期限の短い食品の輸出機会が拡大するなどの効果が期待できそうだ。 大阪市此花区の機能性セラミック製造業、アキュサイト=井川重信社長(71)=が開発した。井川さんは中山製鋼所の元取締役で、定年退職後の61歳で起業。製鉄の経験と知識を生かしセラミックを用いた浄水器などを製造しており、ミネラル水の自動販売機をこれまでにスーパーなどへ約150台販売している。 井川さんは既存の殺菌・滅菌技術に対し、「水道水の塩素は人体の免疫自体を弱め、プラズマは高価なうえ、有害なオゾンを発生する」などと懸念していたという。そこで大きな電
環境省のレッドリストに掲載され、絶滅したとみられていた秋田県の田沢湖の固有種「クニマス」が、山梨県の西湖で生存していたことが、京都大学の中坊徹次教授(魚類学)らの調査で分かった。クニマスの生息確認は70年ぶり。レッドリストに絶滅種として記載された魚が再発見されたのは初めて。 クニマスはサケ科の淡水魚。体長は最大で約30センチで、食用の高級魚として知られていた。昭和10年代、周辺の発電施設の導水工事で強酸性の水が流入し、湖水が酸性化したため死滅。そのまま絶滅したと考えられていた。 西湖で確認された個体はクニマスとエラや消化器官の形が一致し、遺伝子解析でも同種と裏付けられた。西湖は、昭和10年代に、クニマスの卵を放した経緯があるという。 発見のきっかけは、中坊教授の知人で東京海洋大学客員准教授のタレント「さかなクン」にクニマスの絵を描くことを依頼したこと。参考に近縁種の西湖のヒメマスを取り寄せ
平成生まれのみなさんへ。長かったいくさが終わって、中国がぼくたちの「ともだち」だった時期がほんのひとときあったんです。つきあい始めたころには、白黒の珍獣を友情の印に贈ってくれ、上野動物園には長蛇の列ができました。 ▼こんな愛くるしい動物のいる国はきっと、やさしい人たちが住んでいるんだろうな、とぼくたちは信じました。もちろん、いくさで死んだ兵隊さんを祭った神社に偉い人が参っても文句ひとついいませんでした。 ▼しばらくして、「ともだち」は、神社へのお参りに難癖をつけ、ぼくたちが持っている島を「オレのものだ」と言い出しました。びっくりしましたが、トウ小平というおじさんが「次の世代は我々よりもっと知恵があるだろう」と言ってくれました。 ▼でも小平おじさんは、本当は怖い人だったんです。「自由が欲しい」と広場に座り込んでいた若者たちが目障りになり、兵隊さんに鉄砲を撃たせ、多くの人を殺してしまいました。
世界的に貴重な歴史、神学、美術関連の蔵書を誇るローマ法王庁のバチカン図書館が19日までに、900万ユーロ(約10億円)をかけた約3年間の改修工事を完了した。特に貴重な書物を守るため、一部書庫を「核爆発にも耐えられる」(同図書館)シェルターのような造りにしたほか、蔵書管理用などにハイテク機器も導入された。 同図書館は15世紀半ばに設立。最も古い聖書写本の一つとされる「バチカン写本」が有名で、シェルター型書庫に収められるとみられる。初期の活字印刷本(インキュナブラ)なども含め蔵書は100万冊以上。内部は美しいフレスコ画で飾られている。 蔵書を管理し紛失を防ぐため、約25万冊に電子チップを装着。蔵書が傷まないようコンピューターを使った温度、湿度管理システムも全館に導入した。(共同)
「家族を失った人たちに1人じゃないことを伝えたい」−。 ハイチ大地震で被害を受けた人たちに、千羽鶴を贈って元気になってもらおうという動きが、インターネットの会員制コミュニケーションサイト「mixi」(ミクシィ)で広がっている。呼びかけ人の会員の元にはすでに全国から鶴が多数寄せられており、今後、NGOなどを通じて被災地に送られることが検討されている。 清瀬市のアクセサリー作家、中村ゆりさん(34)は今月中旬、長男の風汰くん(4)と一緒に、ハイチの地震被害者たちに心を込めて千羽鶴を折った。羽の部分には、復興と回復への思いを込め、ローマ字で自分たちの名前を書いた。 中村さんは地震が起きた直後、日本赤十字社を通じて現地に義援金を送った。しかし、テレビでは毎日、多くの人々が倒壊した建物のがれきの下に取り残され、食料を求める人々の様子が映し出される。「日本にいて、何も助けられない自分がもどかしかった」
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く