1965年(昭和40年)8月8日、長野県上田市に生まれる。父親の転勤に伴い、埼玉県立春日部高校を経て明治大学法学部法律学科に進学。大学卒業後の1992年(平成4年)に司法試験に合格し、司法修習生(47期[4])となった[5]。 修習地として那覇地裁を選んだのを機に沖縄県に移住。県収用委員会委員長や各種訴訟の行政側代理人[6]を務めた保守系弁護士の小堀啓介に師事し、2004年(平成16年)まで小堀啓介法律事務所(現在の琉球法律事務所)に勤務した[7]。この間に小堀の勧めもあって日本青年会議所のメンバーとなり、その後、2005年社団法人日本青年会議所沖縄地区協議会会長に就任した[8][9]。 2004年(平成16年)に那覇市内に宮崎法律事務所を開設し独立。2011年(平成23年)には形態を弁護士法人に改め、事務所名も「弁護士法人那覇綜合」とした。企業法務を中心に取り扱う弁護士として活動する傍ら