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ブックマーク / 1000ya.isis.ne.jp (16)

  • 1155 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    ぼくは酒を嗜まないので、居酒屋やバーやクラブのたぐいにはほとんど行かない。数年に一度、誘われて行くだけだ。それでも一滴も呑まない。えっ、ちょっとぐらいはいいでしょうと言われるが、絶対に遠慮する。これでは誘うほうもつまらないだろうから、二度目のお誘いはめったにない。 こんなふうなので、居酒屋のおやじやバーのママやお店の別嬪さんたちとはほとんど知り合いがいない。一人、気にいっている水商売一族の娘が京都にいるのだが、この子はいまは某セーネンに首ったけで、その心は世の中からは見えないところにいる。 かくてワイナリーから一杯呑み屋にいたるまで、酒房にはとんと縁が少ないのだが、二つの理由でぼくの周辺には大学時代のころまでは、バーやクラブのママたちが行き交っていた。ひとつは家が呉服屋だったせいだ。とくに父が横浜元町で店を失敗するまでは、京都や東京や横浜の名だたる店のマダムやホステスに松岡呉服店の着物が動

    1155 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
  • 1144 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    今夜は柳田国男の『海上の道』をもって、いったん「千夜千冊」を擱筆するつもりでとりあげようと思っているのだが、その前に少し書いておきたいことがある。何にも煩わされることなく柳田や折口を読んでいたころがひたすら懐かしいということだ。 早稲田で折口信夫の『国文学の発生』にちょっとふれたのが最初だった。田中基君に薦められたのだが、あまりに突然に目眩く古代日のカレイドスコープに一挙に突入したためか、すぐにはハンドリングできなかった。ついで、全集を入手したこともあって南方熊楠に耽溺し、それから一段落して折口全集に入っていって、それがずいぶん続いた。ぼくには南方と折口が先だったのだ。 何がきっかけか忘れたが、そのあとやっと柳田をポツポツ読み始めたのである。その最初が薄っぺらな角川文庫の『桃太郎の誕生』だったことをよく憶えている。日にもシンデレラや赤頭巾と似た話があって、灰かつぎ姫や馬琴の『皿皿郷談』

    1144 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
  • 松岡正剛の千夜千冊

    先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。 ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。 それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、

    松岡正剛の千夜千冊
  • 0143 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    した した した。 こう こう こう。こう こう こう。 さあ、この一冊をどう綴るか。ぼくにとっての「とっておきの珠玉の一冊」が十冊ほどあるとしたら、書がまさにそのうちの一冊である。 珠玉の一冊であるというには、この作品がひたすら凝縮されたものだということがなければならない。長大なものではなく、織りこまれた一片の布切れのようでありながら、そこからは尽きぬ物語の真髄が山水絵巻のごとくにいくらも流出してくるということである。 ついで、この作品が日の近代文学史上の最高成果に値する位置に輝いていることを言わねばならない。この一作だけをもってしても折口の名は永遠であってよい。したがって、ここには主題から文体におよぶ文芸作品が孕む格的な議論のすべてを通過しうる装置が周到に準備されているということである。 次に、『死者の書』がかかえこんだ世界というものが、われわれの存在がついに落着すべき行方であっ

    0143 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
  • 0787 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    円朝は鉄舟に「おまえの話は活きてはおらん」と言われた。山岡鉄舟にそこまで言われれば、これは剣の切っ先を突き付けられたか、禅問答に巻きこまれたようなもので、かないっこない。実際にもいつも叱られたようだが、ついにある日、やっと「今日の桃太郎は活きていた」と言われた。これが円朝に無舌居士の号がついた顛末らしい。 この顛末は円朝を変えた。鉄舟から渋沢栄一・井上馨・山県有朋らを紹介されて、たちまち富国強兵・殖産興業のさなか、お歴々相手に噺家渡世を演じることになった。鉄舟の剣禅稽古に付き合ったおかげだったろう。 だいたい円朝は落語家というよりも総合的な芸人作家ともいうべき人物で、書は松花堂ふうで、俳諧も和歌もうまかったし、茶は裏千家を点てていたくらい、花も活けた。鉄舟の剣禅稽古にへこたれるような男ではなかったのである。それでも鉄舟にはなにがなんでも脱帽していたところも事実だったようで、だからというので

    0787 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
  • 0821 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    想像の共同体 ベネディクト・アンダーソン リブロポート 1987 Benedict Anderson Imagined Communities 1983 [訳]白石隆・白石さや ナショナリズムという言葉はウケが悪い。とくにコスモポリタンや民主主義者あるいは進歩的文化人を気取る者にとっては、忌まわしい響きすらもっている。おまけにネーション(国民)、ナショナリティ(国民的帰属)、ナショナリズム(国民主義)の関係もはっきりしないように見える。 アーネスト・ゲルナーは『民族とナショナリズム』で「ナショナリズムとは、もともと存在していないところに“国民”を発明することだ」などと言うし、『連合王国の解体』の著者トム・ネアンはもっと辛辣で、「ナショナリズムは個人における神経症のようなもので、近代の発展がもたらした不可避の病理だ」と書いた。 一方、シートン=ワトソンは『国民と国家』で「ナショナリズムを定義

    0821 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
  • 1628夜 『行為と妄想』 梅棹忠夫 − 松岡正剛の千夜千冊

    で最初に文明のことを持ち出したのは福澤諭吉(412夜)である。『文明論之概略』のなかで、文明は「シヴィリゼーション 」(civilization)の訳だと断ったうえ、「文明とは人の身の安楽にして心を高尚にするを云ふなり。衣を饒(ゆたか)にして人品を貴くするを云ふなり」と書いた。 衣足って礼節を守ることが文明だというのではない。福澤は続いて「この、人の安楽と品位を得せしめるものは人の智徳なるが故に、文明とは結局、人の智徳の進歩と云ふて可なり」と付け加えた。 もうひとつ付け加えたことがある。「智徳の進歩」というと個人の成長のことを意味してしまうように解釈するかもしれないが、そうではない、「其国を制する気風」が智徳であって、それを文明と言うのだと説明してみせた。 一方、シヴィリゼーション を「文明」と訳さずに「開化」と訳したのは西周だった。あのキラキラとした知的編集構成力で鳴る『百学連環

    1628夜 『行為と妄想』 梅棹忠夫 − 松岡正剛の千夜千冊
  • 松岡正剛の千夜千冊

    先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。 ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。 それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、

    松岡正剛の千夜千冊
  • 0975 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    国破れても、国語は残る。 こういう小説は1年中読んでいたくなる。いや、繰り返し読むというのもいいが、そうではなくて、こういう小説がウワバミか万里の長城か国道何号線のようにやたらに長くて、それをずうっと読んでいたいのだ。 井上ひさしならそういうこともできるのではないか。たとえば、これまでの全作品から半分か3分の1ほどを選んで、それをつなげて構成し、そこにふんだんの挿話や問題や笑いのスパイスを埋めこんで馬琴やデュマを倍してくれれば、ずうっとそこに浸っていられる。 何を横着な、それなら井上ひさしの作品を来る日も来る日もとっかえひっかえオンデマンド・チャンネルで映画を見るように読めばいいじゃないかと言われそうだが、そこは、ごめんなさい、井上ファンの贅沢というもの、ご人の編集変容表裏一体、縦横呑吐の天才ぶりを存分に発揮してもらって(その他の仕事を断ってもらって)、それをもって毎日毎夜、布団の中にも

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  • 1713 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    アパッチ族 小松左京 角川春樹事務所 2012/光文社文庫 1999/角川文庫 1971/光文社カッパ・ノベルス 1964 装幀:芦澤泰偉・五十嵐徹 装画:田中達之 廃墟の中で鉄を盗み、鉄をらって、保守反動国家に刃向かう。そんな連中が出没して、日中が大騒動になった。そんなことを仕出かしたのは戦後の大阪にいっとき出現したアパッチ族だ。小松左京がその奇想天外な顛末を描いた。 『日アパッチ族』は昭和SF史の黎明期を飾った破天荒な傑作で、昭和39年(1964)の東京オリンピックの年にカッパ・ノベルスとして発表された。早稲田に入ってまもなくのころ、まわりの学生たちがざわついていたので、すぐ読んだ。カッパのは活字も読みやすく、ハンディなのに盛りだくさんで、えらく興奮した。 貧窮に喘いで屑鉄を盗む大阪のアパッチ族たちが鉄をい、奇妙な連帯にめざめ、ついには国家に刃向かって殲滅させられていくと

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  • 0980夜 『グレン・グールド著作集』 グレン・グールド − 松岡正剛の千夜千冊

    先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。 ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。 それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、

    0980夜 『グレン・グールド著作集』 グレン・グールド − 松岡正剛の千夜千冊
  • 0594 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    わが仕事場は遅刻の常習犯だらけである。 とくに編集工学研究所がひどくて、ほとんどのスタッフは勝手にやってきたとしか思えない。赤坂稲荷坂の同じ建物に松岡正剛事務所もあるのだが、ぼくを除いてここの3人はよく時間を守る。 いったい遅刻って何なのだろう。約束の時間に遅れて仕事をフイにしたばかりか、時間がルーズだということで、相手との人間関係を潰してしまった例は頻繁におこっている。企業社会というものはいまやものすごく多くの矛盾をもったまま喘いでいる正体の持ち主ではあるけれど、さすがに時間はちゃんと動いている。 そんな企業社会なんかには入らないと決めた連中は、自由業やフリーターを選ぶのだろうものの、ぼくの周辺でもこの連中の多くがやっかいな時間に苦しんでいて、それが自信喪失やちょっとした厭世観につながっていたりもする例が少なくない。 たしかに罪な話である。 そんなに時間がえらいのか、大事なのかということ

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  • 1098 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    ゴシック アンリ・フォション 鹿島出版会 1976 Henri Focillon Le Moyen Age Gothique 1938 [訳]神沢栄三・加藤邦男・長谷川太郎・高田勇 Q:今日はどうしても松岡さんのヨーロッパ美術論の骨格を伺いたいんです。セイゴオ流の美術論の原点を。 A:そんなものはないよ。どうして? Q:かなり東西にわたって偏愛するものが多いように感じるのですが、どのように流れを見ているのか、一度聞きたかったからです。 A:以前から言っているように美術史には強くないし、また美術史の成果に騙されてきたという気もしているからね。でも、それはどちらかというと東洋とか日の美術史ね。ヨーロッパは立派ですよ。そこには「世界のあり方」「世界の見せ方」のタテ・ヨコ・ナナメの検討がある。なにしろヴァールブルク研究所が深みをつくったからね。それにパノフスキーがいる。もうちょっと痛快なものを知

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  • 1286 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    モノからモノが生まれる ブルーノ・ムナーリ みすず書房 2007 Bruno Munari Da Cosa Nasce Cosa 1981 [訳]萱野有美 何かをしたいなら、 何かを分かりたくなりなさい。 分かりたいなら、君自身が変わりなさい。 「わかる」は「かわる」、変わるが、分かる。 これがデザインのファンタジスタ、 ブルーノ・ムナーリの創造哲学で、デザイン方法だ。 けれども、ムナーリを 単に何とかデザイナーとは呼ぶべきじゃない。 ムナーリは想像力に 何枚もの羽根が生えていることを発見した 真の未来派だったのだ。 ブルーノ・ムナーリの円のと正方形のが手元の棚から消えていた。『円+正方形』という2冊セットだ。きっとだれかが持っていってしまったのだろう。ダネーゼのカッコいい灰皿は、もっと前にどこかに消えた。まあ、いいや。ムナーリから受けた影響はたいていは体に染みこんでいる。 発想力と

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  • 1693 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    小佐田定雄と新刊『上方らくごの舞台裏』(ちくま新書) 落語作家。1952年、大阪市生まれ。77年に桂枝雀に新作落語『幽霊の辻』を書いたのを手はじめに、落語の新作や改作、滅んでいた噺の復活などを手がける。これまでに書いた新作落語台は250席を超えた。近年は狂言、文楽、歌舞伎の台も担当する。 一つ、桂米朝は昭和そのものだった。二つ、師の正岡容と四代目桂米團治の教えを実直に守る生涯をおくった。三つ、上方落語の復興のために自らの芸を磨きつつ、ひたすら上方演芸文化を愛した。その姿勢は研究者に近い。 元号が昭和にかわる直前の大正14年11月の生まれだから、まさに昭和とともに生きた。最初は大連だ。そのころの大連は大日帝国関東州の都市だった(ぼくの父もよく行き来していた)。4歳に奉天(いまの瀋陽)に引っ越し、そのあと実家の姫路で学校に通った。祖父も父親も九所御霊天神社の宮司さんで、米朝も神職の資格を

    1693 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
  • 0428 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    地球幼年期の終わり アーサー・C・クラーク 創元SF文庫 1969 Arthur C. Clarke Childhood's end あるとき、ニューヨークの上空に巨大な銀色の円盤が覆ったまま動かなくなった。連隊のようだ。 全世界が固唾を吞んで見守るなか、円盤の総督らしき人物が、全無線周波数帯を通じて演説をした。カレレンと名のった。みごとな人工音声による英語の演説で、しかも圧倒的な知力を駆使している。いいかげん地球上の衝突や功利をやめないかぎり、ここを動かないという。カレレン総督の演説がおわると、地上のめいめい勝手な主張などが通用する時代に幕がおりたことが明白になった。それよりなにより、地上におけるどんな決定力よりもこの知的円盤体がくだす指導や指示のほうが、地球全体の知恵を足し算したものよりも図抜けて上等のものであることが了解されてしまった。 そこで……。 この出だしにはギャフンだった。兜

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