『三十年後』の97年後 私は祖父・星一に会ったことがありません。 私がうまれる12年も前に亡くなったからです。 ですが、祖母・精は私たち家族のとなりの家に住み95歳まで生きましたので、たくさんの時間を共有することができました。 ある日、小学生の私が祖母のリビングにいたときのこと、父が入ってきて祖母に聞きました。 「おやじの目が義眼だったのは、どっちの目だったのかな」(こどものときに、弓矢が目にささって失明したのです) 今思うと、父が祖父の伝記『明治・父・アメリカ』の執筆準備をしていた時期だったのでしょう。 祖母が「右目よ」といい、私たち3人は、リビングの壁の天井にちかい高さにかかっていた祖父の大きな写真をしばらくのあいだ見つめていました。 私が星一という人をちゃんと認識したのは、そのときがはじめてだったかもしれません。 星薬科大学創立者の星一は、知れば知るほどスケールの大きい人なのでした。