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2014年2月17日のブックマーク (14件)

  • 大学生が約3年間WebアプリとiPhoneアプリを合計16個リリースして感じた10個の事 - ゆとりIT

    どうも。 何か情報発信をするべきなんじゃないかとふと思って久し振りに記事を書こうと思います。 ところで、私は大学1年生だった2011年の6月からWebアプリとiPhoneアプリを開発してきて、今までに16個のアプリをリリースしてきました。 内訳ですがWebアプリが10個、iPhoneアプリ6個で合計16個です。個という単位があっているのかはわかりません。 開発を始めたのは2011年6月で、2011年の3月にとあるWeb系の会社でアルバイトしていた時に「あ、Web楽しい」って思ったのがきっかけで、Webアプリ、そしてiPhoneアプリを作ってきました。 それまではWebといえば、しょぼいHTMLとしょぼいCGIくらいしか書けませんでしたし、あまり興味がありませんでした、というより自分にはできないと思ってました。 ずっとそれまではネットワークとかセキュリティが好きでちまちまPythonでスクリ

    大学生が約3年間WebアプリとiPhoneアプリを合計16個リリースして感じた10個の事 - ゆとりIT
    drillbits
    drillbits 2014/02/17
    とあるWeb系の会社…いったい何プラウドなんだ…
  • 知人の死 - hogelog blog! blog!

    送別会で皆々が彼の死について語っているので、彼について少し書く。 訃報は業務時間中、DのOBが集まるLineのグループで知らされた。一つ前のC、その更に前のDと同じ会社に所属していた人の死には思いのほかショックを受けた。これは無理だと判断し一旦思考停止して仕事を続けた。 ちょうどインフラに依頼する作業があったので同じタイミングで彼の死を知ったDのOBであり今も同僚であるインフラさんに何か作業依頼したことを覚えている。同僚さんもショックを受けていないはずはなかったが、自分は淡々と依頼し、同僚さんも淡々とそれに応えていた。お互いまだまったく現実味がわいていなかったのだと思う。 結局自分は昨日(2/16)の夜、奥さんに伝えるまで、彼の死について口に出して語ることはしなかった。 うちの奥さんが彼に会ったのはたぶん一度、僕と奥さんの結婚パーティの時だけだ。 主に奥さんの大学の後輩や先輩などの華やかな

  • はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました - はてなの告知

    はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28

    はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました - はてなの告知
  • エンジニアのためのデータ可視化実践入門という本を書いた - あんちべ!

    2014/10/14 追記 書87ページに「母数」という単語が複数回出てきますが、 これは全て「分母」とすべきでした。*1 通常、統計学の文脈では、母数は各確率分布を特徴付ける変数を指す単語であり、 例えば正規分布は平均と分散という二つの母数によって形状が決定されます。 決して母数と分母(あるいは全数)と誤解してはなりません。 しかし母数と分母を混同することは当によくあることで、 書はこのような頻出する誤解を訂正し、 皆様が統計を用いる際の失敗を一つでも減らす という目的で執筆に至ったにも拘らず、 まさか書でこのような重大な失敗をしてしまったことに対し 心からお詫び申し上げ訂正させて頂きます。 なお、問題個所の記述は共著者の森藤氏ではなく 私が記述したものであり、全責任は私にあります。 を書くに当たり、誤字脱字や言い回しの不備は出来る限り無くすべきですが、 人間であるためミスをす

    エンジニアのためのデータ可視化実践入門という本を書いた - あんちべ!
    drillbits
    drillbits 2014/02/17
    殺す本らしいので買います
  • Interactive SICP

    Structure and Interpretation of Computer Programs Interactive Version Wizard Book n. Structure and Interpretation of Computer Programs, an excellent computer science text used in introductory courses at MIT. So called because of the wizard on the jacket. One of the bibles of the LISP/Scheme world. Interactive SICP n. Interactive Structure and Interpretation of Computer Programs. Online version of

    drillbits
    drillbits 2014/02/17
    便利っぽい
  • ymsr送別会 - じゅんいち☆かとうの技術日誌

    第一回チキチキjava-ja ymsr送別会 に参加してきたよ。 最後の餞として花火を送った。 山城花火! #ymsr pic.twitter.com/oY9dvAQBwY— (λ_ → かとじゅん) (@j5ik2o) February 15, 2014 ついろぐで@を送った相手を調べてみたら、山城が一番多かったな。 そのツイートを調べたがほとんど中身がないなと思ったら、Facebookメッセンジャーで結構話してた。 山城との最初の出会いは、たぶんSeasar Conferenceの懇親会だったと思う。彼もScalaが好きということで2011年5月ぐらいから話すことが多くなった気がする。同年8月には彼の紹介でドワンゴ社に転職した。彼を通してドワンゴ社内の人間関係を作ったといってもいいかもしれない。 ドワンゴに入社してしばらくして、Scalaを使うことができる新規案件をゲットした。チームに

    ymsr送別会 - じゅんいち☆かとうの技術日誌
  • ymsrさんの送別会 - ほげほげふがふがもぐもぐ。

    一年くらい前に、とりあえずとっておいたはてなブログを初めてきちんと書く。 去年末のこと。至るところで書かれてるけれど、昨日はymsrさんの送別会だった。最初に報せを聞いたのは、仕事中で後輩からのIMだった。現実感が全然なくて、でも、その報せは社内で所縁のあった方々に回っていっていて、こんなにも突然で、こんなにも人生って非情なのかー、と思った。帰宅して、周りの所縁のあった方々がネット上で悲しんでるのを見て、ちょっとずつ現実感が湧いてきて、「ああ、もういないんだ」ととても悲しくなったのを覚えている。 思い出。当時自分がインフラを担当していたシステムのメンバーとしてアサインされてからいくらか経った頃だったか、その前だったか今となっては記憶があやふやだけれど、彼から誘われて囲まれる飲み会に行ったのが、なんやかんやと彼と飲むきっかけだったと思う。 それから色々とIRCでくだらない話をしたり、ちょいち

    ymsrさんの送別会 - ほげほげふがふがもぐもぐ。
  • やましろのこと

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    やましろのこと
  • ymsrさんに捧ぐ - 実はhokkai7go

    送別会には行ってないけど、僕もやっぱりお別れが言いたくてblogを書いた。 誰にも言ったことがなかったけど、艦これやってて山城という戦艦を見かける度に思い出してる。 ymsrさんに会ったのは、java-ja.jojo #2が初めてだったと思う。 その次が、Kuniaki.rb(main):001:0> - Kuniaki.rbだった。 訃報を聞いた時に、なんだか信じられなくて Kuniaki.rbで会った時に、LTをしていた姿がずっと脳内ループしていた。 joker1007さんが言ってるけど、僕も当に同じことを思った。 人の死に触れたことが無いわけじゃないけど、自分より少し年上ぐらいの人間が死ぬなんて事はまだまだ遠い話だと思っていました。今でも良く分からない。 http://d.hatena.ne.jp/joker1007/20140215/1392482953 気持ちばかり先行して、う

    ymsrさんに捧ぐ - 実はhokkai7go
  • Ymsrの壮大な送別会 - おおたに6号機blog

    ブログ書くまでがなんとやらで。遅くなりますた。 さてYmsrの送別会に逝ってきた。いろんな人が色々書いているので詳細は書かないけど、花火もあがり、MBAで包丁もしたし、ベルギービールではれてMBAも破壊して、これでみんな前向けるんじゃないかなと。というかそのための会だったと思いたい。太一、よしおり、Mesoたん、他幹事みなさん当にお疲れさまでした。とても良い会だった。 山城と僕は実はそんなに親しい関係というわけじゃない。ただちょっとアレがアレな感じでwww、お互い意識せざるを得ない関係であった事は間違いないw 一時期は確実に一歩ひかれていた。「おー、山城元気」(山城一歩あとずさりする)、みたいな。しかし、このネタ、当の人がこの世を去ったあたでもまだ引っ張るのかと思いつつ、まあそれはそれで関係があってうれしい気もする。まさかお別れの会でもこのゲスいネタをやるとは思いもしなんだよ。。。 正

    Ymsrの壮大な送別会 - おおたに6号機blog
  • 山城とお別れをした

    人間は死ぬ 身近な友人が死ぬというのは人生初めての経験だった。送別会は悲しい一方で最高に楽しかったのは事実で、印象的だったのは参加者がくちぐちに「気持ちに区切りがついた」と言っていた事だ。自分は一昨日まで葬儀の存在意義がわからず、葬式など必要無いと考えていたのだが、それは死者のためでは無く、生き残った人々のためにあるというのが理解できた。弔いの儀式は人類が古くに編み出した文化的な行為であると。 Bye Bye Yamashiro. この様なバカ騒ぎをしながら氏を偲ぶのはjava-jaに必要な儀式なのだ。 俺と山城 彼とは職場が一緒になった事は無いが、java-ja.jsというイベントを一緒にやったりしていた。歯に衣を着せぬ物言いをしてくれる貴重な友人でもあった。 最後にちゃんと話をしたのは、同じビルで働いていた時に、職場の近くでランチをした時だ。彼は「Google AnalyticsをGo

    山城とお別れをした
  • ymsr送別会 #ymsr

    Ymsr送別会 #Ymsr Sun, Feb 16, 2014 One-minute readこのエントリは #ymsr というハッシュタグについて書かれている。なんのことかわからない人はタブをそっ閉じしてね。 メッセで済まない用件はだいたいロクでもない山城という男が死んだ。去年の12月のことだ。交通事故だったらしい。 仕事してたら、 @regtan からFBで「電話していい?」ってメッセージが入った。メッセで済まない用件はだいたいロクでもないものだってことはよく知ってる。対衝撃姿勢で覚悟を決めて「さあこい」と電話に出たら、この話。 人間心底びっくりすると「・・・まじで?」としか言えないもんだな、と改めて思い知らされた。 またよりにもよって、その日はjava-ja.忘年会2013の当日。 @meso が急遽幹事を引き継いだので、俺も勝手に手伝うことにして受付係をやっていた。近くのコンビニに

  • ymsrがいなかったら今の自分はないと思った話 - GoTheDistance

    僕のところにymsrの訃報が飛び込んだのは、12/4のjava-ja忘年会の夜にymsrを通じて友人となった@loveatからの電話だった。不慮の事故で死んだって聞いたけどマジかっていう確認の電話を僕にくれた。電話をくれた彼の声も、震えていた。 その時、僕は仕事の帰りで名神高速道路を走行していた。「いや、俺のところにはそんな話来てない。ごめんな。」で電話を切ったあと、あまりの話に驚いて直ぐに最寄りのSAに車を停めた。悪い冗談で確認電話が来ることもない。そういうことなんだろう。とにかく落ち着きたくてタリーズに駆け込んでコーヒーを飲んだ。で、facebookを見た。主語は隠されているけど多方面から似たような雰囲気のPOSTがあって、なんだよこれはっていう複雑な気持ちを一掃したくて一気に珈琲を飲み干したことを覚えている。 僕は2003年からブログを始めて、2006年にはてなダイアリーに移行した。

    ymsrがいなかったら今の自分はないと思った話 - GoTheDistance
  • やましろさんといけむらさん #ymsr - いけむランド

    家庭の事情で送別会には参加できなかったこともあるので、みんな以上にいっぱい想いを書きたいが、自分が知ってるのってどこまでなんだろう?もしかして全然知らないんじゃないかって不安になりながらも書いてみることにする。 完全に思い出話なので、知ってる人だけ知っといてもらえれば良いかと思います。 もっと書くことべきことをあとから思い出すかもしれないので、その時には追記します。 たしか彼と最初に遭遇したのは 1ksp#5 だったと思う。 当時の彼は女子大生とビリヤードしているところを友人twitter でリアル実況されるなど、コンテンツとしての地位を確立しつつあるエンジニアだった。 この時はまだ、自分とのからみはなく、実際に頻繁にからむようになったのは彼が自分が勤めていた会社にやってきてからだ。 彼が年齢で 1 つ上で近く、家も近かったということもあり、プライベートでもけっこうからんでいた。30

    やましろさんといけむらさん #ymsr - いけむランド