日本学術会議の会員の任命を、政府が一部拒否した事件が大きく報道されている。確かにこれは学問の自由にとって重大な問題である。とはいえ、学問の自由などというものは、人類の歴史の中でも、極めてまれであったことも確かである。 それは学問の歴史や大学の歴史を見ればわかる。現在残存する西洋の多くの大学は、その時代の権力につねに歩み寄っていたからこそ、残っているともいえる。学問の真理に殉じたイタリアの哲学者であるジョルダーノ・ブルーノ(1548~1600年)や科学者であるガリレオ・ガリレイ(1564~1642年)の例はまことに美しいが、それはまれとしか言いようがないことも確かである。 学問の自由は、命を賭けた闘争であり、つねに破られるために存在しているにすぎないからである。 福沢諭吉が唱えた「雁奴になれ」 かつて福澤諭吉は、中国の故事にならって「雁奴」を説いた。学者やジャーナリストは、この「雁奴」になれ