性同一性障碍と越境性差(トランスジェンダー)の対立は九〇年代に遡る。 対立の導火線となったのは、一九九六年――『「性転換治療の臨床的研究」に関する審議経過と答申』を埼玉医科大学倫理委員会が発表したことだった。 それを受け、一九九七年――日本精神神経学会の「性同一性障害に関する特別委員会」もまた、『性同一性障害に関する答申と提言』と『性同一性障害に関する診断と治療のガイドライン』の二つを発表する。 GID当事者たちにとって、これは長年の望みだった。 それ以前は、性別適合手術は三十年間も公認されていなかったのだ。 一九六四年――「ブルーボーイ事件」が起きる。すなわち、「ブルーボーイ」と呼ばれていた三人の男娼に、ある産婦人科が性別適合手術を行なったのだ。これが、「正当な理由なく、生殖を不能にする手術を行なってはならない」という優生保護法(現・母体保護法)第二十八条に違反するとされ、刑事告訴される