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2015年2月28日のブックマーク (6件)

  • 丸山眞男と天皇制 : 池田信夫 blog

    2014年08月17日19:55 カテゴリ 丸山眞男と天皇制 今年は丸山眞男の生誕100周年だが、記念出版もこの『現代思想』ぐらいしかない。もう忘れられたのか、あるいは彼の代表した「戦後民主主義」が消えたからか知らないが、この雑誌を読んだだけでも丸山学派は終わったんだなと思う。特に「丸山が生きていれば秘密保護法や集団的自衛権に反対したはずだ」という杉田敦氏のインタビューには、暗澹たる気分になる。 しかしそれは丸山の思想の寿命が尽きたということではない。逆である。彼の射程が大きすぎて、エピゴーネンにはその全容が見えないのだ。この点を辛うじて指摘しているのが、田中久文氏のエッセーだ。彼は丸山の天皇論の変遷を追いながら、若いころ天皇制に象徴される「無責任の体系」を指弾した丸山が、晩年にはそれを日の一つの伝統として理解するようになったという。 この点は、ここに収録されている丸山の1985年の論

    丸山眞男と天皇制 : 池田信夫 blog
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    ebmgsd1235 2015/02/28
    シニフィアン(記号)の正統性を語る神話、それを体現する王のシニフィエ(意味)。両者の分離が革命へと。「天皇家は、1000年以上前にシニフィエを失ったまま、純粋のシニフィアンとして続いてきた」空虚な中心。
  • 「まつりごと」の構造 : 池田信夫 blog

    2012年07月28日13:51 カテゴリ法/政治 「まつりごと」の構造 日政治がグダグダになっている原因を「民主主義の不足」に求めて「ネットで直接民主主義」とか「官邸デモで政治を変えよう」などというのはナンセンスだ。ある意味で、日は古来から非常に民主的な国であり、むしろ民主主義の過剰が「非決定」をもたらしているからである。 この点を丸山眞男は論文「政事の構造」や講義で論じている。そのキーワードは、まつりごとである。これを漢字で「政」と書くため、古代の日では祭政一致だったという俗説があるが、日では祭祀と政治は古代から明確に分離されていた。記紀では「まつる」の主語は天皇ではなく、その派遣したヤマトタケルやオホビコノミコトなどの皇子であり、彼らは天皇に職務を委任されて奉仕する(まつる)。つまり日では政治とは、臣下が天皇に奉仕することなのだ。 これは皇帝が権力を独占して国家を支配する

    「まつりごと」の構造 : 池田信夫 blog
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    ebmgsd1235 2015/02/28
    「正統性の源泉と意思決定する主体の分化した二重統治」(まつりごと)が様々レベルに偏在していき責任と意思決定が一致しない構造となって民主主義時代に。それは非決定と無責任、人治でも法治でもない空気の支配へ
  • 【福田昭のセミコン業界最前線】 “量子コンピュータに匹敵する日立の新型半導体コンピュータ”の正体

    【福田昭のセミコン業界最前線】 “量子コンピュータに匹敵する日立の新型半導体コンピュータ”の正体
    ebmgsd1235
    ebmgsd1235 2015/02/28
    室温動作可能な新型半導体コンピュータ!量子コンピュータに匹敵、でもあくまでも古典的な技術。しかし「組み合わせ最適化問題」を解く半導体チップは凄い。ゆらぎの制御?量子アニーリング?後から読んで分かるか?
  • 國分功一郎の迷走――國分功一郎/宇野常寛「いま、消費社会批判は可能か」を読む1 - 平岡公彦のボードレール翻訳ノート

    いつまでもブログをほったらかしにしておくわけにもいかないので、最近読んだ『PLANETS vol.8』に掲載された評論家の宇野常寛による哲学者の國分功一郎へのインタビュー「いま、消費社会批判は可能か」の感想でも書いておくことにしよう。 PLANETS vol.8 作者: 濱野智史,安藤美冬,猪子寿之,荻上チキ,開沼博,萱野稔人,國分功一郎,駒崎弘樹,鈴木謙介,速水健朗,福嶋亮大,藤村龍至,古市憲寿,水無田気流,吉田徹,與那覇潤,尾原和啓," "宇野常寛,中川大地宇野常寛出版社/メーカー: 第二次惑星開発委員会発売日: 2013/01/04メディア: 単行(ソフトカバー)購入: 7人 クリック: 33回この商品を含むブログ (20件) を見る 『思想』に連載されている國分の「ドゥルーズの哲学原理」はすべて読んでいるのだが、私はいまこうした理論についての論考にまったく魅力を感じないので、それ

    國分功一郎の迷走――國分功一郎/宇野常寛「いま、消費社会批判は可能か」を読む1 - 平岡公彦のボードレール翻訳ノート
    ebmgsd1235
    ebmgsd1235 2015/02/28
    哲学とは問いを立てること。思想は、啓蒙、啓発へと導き解決に向かう。迷走(運動)はアンガージュマン的必然なのでは?しかし“「考えていかなければならない」という約束はほんとうに果たされるのだろうか?”
  • 仕事と私生活の境目が曖昧になる……ウェブ社会で誰もが直面する煩悶への立ち向かい方

    なぜ、恋人がデート中に携帯電話をいじっているとイラッとするのか–。誰もが一度は覚えたことのあるそうした不快感の正体を理論的に説明し、現代社会の課題点を指摘する新著『ウェブ社会のゆくえ <多孔化>した現実のなかで』(NHKブックス)が刊行された。インターネットやスマートフォンが普及したことにより、あらゆる情報が行き交うようになった現在。便利になった一方で、我々は新たな煩わしさやトラブルに晒されるようになってしまった。そんな現実を、ビジネスマンはどうサバイブしていくべきなのか。著者の社会学者・鈴木謙介氏に話を聞いた。 –まずは、書のキーワードとなっている<多孔化>という言葉の意味からご説明ください。 鈴木 「来は、この場所ではこうあるべきだ」というTPOを超えて、外部から情報やコミュニケーションが出入りしてしまう状況のことを指す言葉です。現実空間に無数の穴が開くというイメージから<多孔化>

    仕事と私生活の境目が曖昧になる……ウェブ社会で誰もが直面する煩悶への立ち向かい方
    ebmgsd1235
    ebmgsd1235 2015/02/28
    恋人同士が自分のスマホをいじっているのは見慣れた風景でマンガや本と同じ。現実の特権性が失われたがゆえに現実空間の虚構化=加工(物語≠上書き)が商売になる。そうですね、で社交は仕事なの?私生活の延長?
  • 正統なき異端 : 池田信夫 blog

    2015年02月27日00:51 カテゴリ 正統なき異端 安倍首相が「戦争をしたがっている」とか「ヒトラーだ」という類の話は、彼を過大評価している。よくも悪くも、彼にはヒトラーのような信念も指導力もない。憲法改正は、今では政治的スローガンとしてもほとんど意味がない。 丸山眞男は1950年代なかばから死ぬ直前まで、『正統と異端』という幻の主著を書こうとしたが、ついに未完に終わった。それは彼の弟子との研究会をまとめたもので、その資料や録音テープが今後も刊行される予定だ。書ではその研究会に40年間つきあった著者が、なぜこのプロジェクトが未完に終わったかを語っている。 当初はキリスト教の正統と異端という図式で天皇制と共産党を論じるという発想だったらしいが、戦後に天皇制や共産党の正統性が衰える中で、丸山はL正統(legitimacy)とO正統(orthodoxy)の違いに興味をもつようになる。西

    正統なき異端 : 池田信夫 blog
    ebmgsd1235
    ebmgsd1235 2015/02/28
    「L正統としての天皇制がO正統としての教義をもったことはない。それは儒教やキリスト教のように自己を正統化する教義がなく・・・」「日本には正統がなくて異端だけがあった。非国民はあったが、国民はなかった」