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ブックマーク / kanageohis1964.blog.fc2.com (19)

  • 短信:「ルートラボ」とSilverlightの今後

    地誌のはざまに 神奈川県を中心に、また江戸時代前後を中心に、その地誌を掘り返して話題を取り上げていく予定です。関連する自作、他作の動画なども取り上げます。 TOP ALL Entry RSS tweet Facebook Hatena blog LOGIN blog Making 今回は観測記事に属することなのですが、このブログで使っているサービスの動向に対する懸念表明ということで。 このブログで旧街道の道筋や紀行文の辿った道取りなどを表示するのに使っている「ルートラボ」では、利用するに当たってMicrosoft Silverlightをブラウザにインストールする必要があります(ブログ上に画像として引用したものを表示する際には必要ありません)。標高グラフやルート再生時のアニメーションなどで機能が必要なのでしょうが、このSilverlightのサービス継続が怪しくなってきました。 現在表明さ

    短信:「ルートラボ」とSilverlightの今後
    edorune
    edorune 2015/05/12
    こりゃ困ったね。最近使ってないけど便利なサービス。存続してほしいね。
  • 【小ネタ】初物、悲喜こもごも

    地誌のはざまに 神奈川県を中心に、また江戸時代前後を中心に、その地誌を掘り返して話題を取り上げていく予定です。関連する自作、他作の動画なども取り上げます。 TOP ALL Entry RSS tweet Facebook Hatena blog LOGIN blog Making 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。 新春に…という程に因むものでもありませんが、初物にまつわる触書を今年最初の記事にしましょうか。 武蔵国橘樹郡生麦村(現:神奈川県横浜市鶴見区生麦)に伝わっていた寛保2年(1742年)6月付の触書が「神奈川県史 資料編7 近世(4)」に収められています。「生麦」と言えば幕末にはあの「生麦事件」の舞台となった村ですが、これはその100年以上も前の話です。 覚 一ます   正月節ゟ    一あゆ   四月節ゟ 一かつを  四月節ゟ    一なまこ  九月節ゟ

    【小ネタ】初物、悲喜こもごも
  • 【小ネタ】「お年玉強請るの、禁止!」

    地誌のはざまに 神奈川県を中心に、また江戸時代前後を中心に、その地誌を掘り返して話題を取り上げていく予定です。関連する自作、他作の動画なども取り上げます。 TOP ALL Entry RSS tweet Facebook Hatena blog LOGIN blog Making 年の瀬に因んで、もう1件正月に関連した文書を紹介して今年の締めにすることにしました。年末で図書館が閉まってしまったので、今手元に借り出している資料以外見られず、ごく簡単な紹介しか出来ませんが。 幕末の嘉永6年(1853年)の正月早々に、津久井県の村々にこんな御触が廻りました。 近来正月之内村〻ニおいて小児共寄集居、往還江泥縄等引張往来之もの江迷惑為致、銭ねたり取、飴・菓子抔買喰致を能事ニ心得追〻増長、中ニ者右銭を元手ニ致賭事ニ携候族も有之候哉ニ相聞、物貰同様之所業以之外成儀ニ候、右者畢竟親〻共養育方不宜ゟ起候事ニ

    【小ネタ】「お年玉強請るの、禁止!」
  • 【小ネタ】綱吉「蹴鞠、禁止!」 : 地誌のはざまに

    地誌のはざまに 神奈川県を中心に、また江戸時代前後を中心に、その地誌を掘り返して話題を取り上げていく予定です。関連する自作、他作の動画なども取り上げます。 TOP ALL Entry RSS tweet Facebook Hatena blog LOGIN blog Making またちょっと小ネタで間を繋ぐことにしました。産物がらみの史料漁りが進んでいないからですが…。 市町村史に収録された文書の中には、「えっ?」と思う様なものが時折あります。以前箱根の硫黄を取り上げた際に紹介した都夫良野村の花火の処方のもそうしたものの1つで、中川村で精製していたという硝石の歴史を追っていてたまたま見つけたのでした。この史料を掲載していた「山北町史 史料編 近世」も、同時代の史料の残存状況が旧相模国内でもとりわけて良いことを「発刊にあたって」で書いていましたが、今回取り上げるのもそうした文書の1つです

    【小ネタ】綱吉「蹴鞠、禁止!」 : 地誌のはざまに
  • 津久井県北部の柏皮:「新編相模国風土記稿」から(その2) : 地誌のはざまに

    地誌のはざまに 神奈川県を中心に、また江戸時代前後を中心に、その地誌を掘り返して話題を取り上げていく予定です。関連する自作、他作の動画なども取り上げます。 TOP ALL Entry RSS tweet Facebook Hatena blog LOGIN blog Making 前回に引き続いて、津久井県佐野川・澤井村で産出した「柏皮」を取り上げます。 武蔵国多磨郡上恩方村の位置 (Googleマップのスクリーンショットに加筆)さて、佐野川村から和田峠を経て佐野川往還を東へ向かうと、相模国津久井県から武蔵国多磨郡へと入ります。そこは「上恩方村」という地で、北浅川を中心とした複数の渓谷が八王子宿に向けて下っていく地です。 武蔵国に入った訳ですから、この村の村誌は「新編武蔵風土記稿」の方に含まれることになりますが、こちらには上恩方村の産物については何も記されていません。しかし、「武蔵名勝図会

    津久井県北部の柏皮:「新編相模国風土記稿」から(その2) : 地誌のはざまに
  • 津久井県北部の柏皮:「新編相模国風土記稿」から(その1) : 地誌のはざまに

    地誌のはざまに 神奈川県を中心に、また江戸時代前後を中心に、その地誌を掘り返して話題を取り上げていく予定です。関連する自作、他作の動画なども取り上げます。 TOP ALL Entry RSS tweet Facebook Hatena blog LOGIN blog Making 「新編相模国風土記稿」の産物の一覧から、今回は「柏皮」を取り上げます。 山川編(卷之三):◯栢皮津久井縣澤井・佐野川兩村邊の山に產す、漁夫漁網を染るに佳とす 津久井縣図説(卷之百十六 津久井縣卷之一):◯柏皮澤井村、佐野川村邊の山に産す、海邊の漁夫、漁網を染る是を佳とす (以下「風土記稿」の引用は何れも雄山閣版より) 佐野川村・澤井村の位置 (Googleマップのスクリーンショットに加筆)山川編・津久井県図説共に澤井村や佐野川村の山中で産出することを記していますが、両村の記述には関連するものは見当たりません。佐野

    津久井県北部の柏皮:「新編相模国風土記稿」から(その1) : 地誌のはざまに
  • 国立国会図書館 電子展示会「描かれた動物・植物 江戸時代の博物誌」 : 地誌のはざまに

    地誌のはざまに 神奈川県を中心に、また江戸時代前後を中心に、その地誌を掘り返して話題を取り上げていく予定です。関連する自作、他作の動画なども取り上げます。 TOP ALL Entry RSS tweet Facebook Hatena blog LOGIN blog Making 「新編相模国風土記稿」の各郡図説に掲げられた産物や山川編の産物について、個々に調べて記事をまとめるということを続けてきました。こうしたものの当時の実情について知ろうとすると、地元の史料を漁るだけではなく、そもそも江戸時代にはこれらの品々がどの様に意識されていたのかについて調べる必要が否が応でも出て来ますし、併せて現在はどうなったかについても確認しなければなりません。知っていたつもりのことでも改めて調べてみると違っているなどということも多々出て来ます。 最近は国立国会図書館で所蔵している文献などがデジタル画像化され

    国立国会図書館 電子展示会「描かれた動物・植物 江戸時代の博物誌」 : 地誌のはざまに
  • 鎌倉椿について:「新編相模国風土記稿」から : 地誌のはざまに

    地誌のはざまに 神奈川県を中心に、また江戸時代前後を中心に、その地誌を掘り返して話題を取り上げていく予定です。関連する自作、他作の動画なども取り上げます。 TOP ALL Entry RSS tweet Facebook Hatena blog LOGIN blog Making Wikimedia Commonsに登録された椿の標図 委細が明記されていないが シーボルト「日植物誌」中のもの ("Camellia japonica SZ82". Licensed under Public domain via Wikimedia Commons.)「新編相模国風土記稿」に掲げられた産物から、今回は「椿」を取り上げます。 ◯山茶和名、津婆幾、◯鎌倉郡玉繩領邊の花を美とす、土俗鎌倉椿と稱す、 (卷之三 山川編、雄山閣版より) 椿に関する記述があるのは山川編の「物産」のみです。鎌倉郡図説では

    鎌倉椿について:「新編相模国風土記稿」から : 地誌のはざまに
  • 城ヶ島の水仙:「新編相模国風土記稿」から : 地誌のはざまに

    地誌のはざまに 神奈川県を中心に、また江戸時代前後を中心に、その地誌を掘り返して話題を取り上げていく予定です。関連する自作、他作の動画なども取り上げます。 TOP ALL Entry RSS tweet Facebook Hatena blog LOGIN blog Making 「新編相模国風土記稿」に掲げられた産物から、今回取り上げるのは「水仙」です。 山川編(卷之三):◯水仙三浦郡城ヶ嶋村に生ずるもの、重瓣にして莖長く、尋常の種に異なり、 三浦郡図説(卷之百七 三浦郡卷之一):◯水仙花城ヶ島村に生ずるもの重瓣にして莖長く尋常の種に異なり 城ヶ島村(卷之百十二 三浦郡卷之六):此地水仙花多し花重辨にして茎長し、 (以下「風土記稿」の引用は何れも雄山閣版より) こちらは山川編、三浦郡図説と対象となる城ヶ島村の記述が揃っています。何れも八重咲きの水仙であることを強調しています。 城ヶ島付近

    城ヶ島の水仙:「新編相模国風土記稿」から : 地誌のはざまに
    edorune
    edorune 2014/11/06
    おもしろいね。
  • 1707 宝永地震報告書(内閣府防災担当)

    地誌のはざまに 神奈川県を中心に、また江戸時代前後を中心に、その地誌を掘り返して話題を取り上げていく予定です。関連する自作、他作の動画なども取り上げます。 TOP ALL Entry RSS tweet Facebook Hatena blog LOGIN blog Making 以前内閣府防災担当のまとめた富士山宝永噴火の報告書を紹介し、その後この報告書を参照しながら小田原宿の宝永噴火の際の避難行動の動機を検討しました。その頃にはまだ宝永地震の報告書は少なくともネット上にはアップされていなかったのですが、先日改めて該当ページを確認したところ、今年3月付でまとめられた宝永地震の報告書が追加されていました。 報告書(1707 宝永地震) 実のところ、私が神奈川県域の地誌を中心に見ている関係で、宝永地震については「箱根山の向こうで起きた大地震」という印象が強いせいか、あまり知識がなかったのが実

    1707 宝永地震報告書(内閣府防災担当)
  • 「箱根湯治場道見取絵図」について : 地誌のはざまに

    地誌のはざまに 神奈川県を中心に、また江戸時代前後を中心に、その地誌を掘り返して話題を取り上げていく予定です。関連する自作、他作の動画なども取り上げます。 TOP ALL Entry RSS tweet Facebook Hatena blog LOGIN blog Making 以前、江島道についてまとめた際に、余談として「海道其外分間見取延絵図」のうち東京美術から出版されたものを一覧として掲げました。また、その際に「根府川通見取絵図」の解説に、渡辺和敏氏が『東海道分間延絵図』をはじめとするこの絵図は、幕府が三部を作成し、そのうちの二部については所蔵施設が分かっているのであるが、その所蔵施設にない新しい絵図が、近年別の所から発見されはじめている… (「根府川通見取絵図」第2巻解説より) と記されていることを紹介しました。 最近になって、「埼玉県立歴史と民俗の博物館」の今年の特別展「江戸の

    「箱根湯治場道見取絵図」について : 地誌のはざまに
  • 「藤沢飛行場」を貫通する道

    地誌のはざまに 神奈川県を中心に、また江戸時代前後を中心に、その地誌を掘り返して話題を取り上げていく予定です。関連する自作、他作の動画なども取り上げます。 TOP ALL Entry RSS tweet Facebook Hatena blog LOGIN blog Making 一昨日見かけたちょっとしたハプニングから派生して小ネタを。 調べ物の過程で地図を見る必要が出て、取り敢えずと開いたGoogleマップに、何やら妙なものが表示されているのに気付いたのが切っ掛けでした。ある筈のない場所に飛行場のマークが出ているのです。マークの上には「藤沢飛行場」。 すぐに連絡フォームからGoogle宛に誤った表示が出ている旨通知しました。幸い迅速に対応されて翌日には表示は消えました。 この「藤沢飛行場」、昔は確かにありました。第二次大戦中にこの付近が接収されて海軍の飛行場となり、敗戦後に民間に払い下

    「藤沢飛行場」を貫通する道
  • 「新編相模国風土記稿」の「蛍」

    地誌のはざまに 神奈川県を中心に、また江戸時代前後を中心に、その地誌を掘り返して話題を取り上げていく予定です。関連する自作、他作の動画なども取り上げます。 TOP ALL Entry RSS tweet Facebook Hatena blog LOGIN blog Making 先日、「新編相模国風土記稿」の各郡毎の産物の一覧と、「山川編」の産物の差分の一覧をまとめました。その作業の際に好奇心をそそられる産品は多数ありましたが、そのうちの1つが「蛍」でした。時節柄ホタルの写真がネット上でも見られる様になってきたので、今回はこの「蛍」を巡って色々と調べてみたことを軽くまとめてみました。 穴部駅付近の地図(水域図) 駅前を通過する県道がかつての甲州道 (「地理院地図vector」上で作図したものを スクリーンキャプチャ 「地理院地図」上で表示)「風土記稿」巻之三山川編には◯螢 足柄下郡甲州道

    「新編相模国風土記稿」の「蛍」
    edorune
    edorune 2014/06/24
    『由緒の片鱗は駅名となって何とか受け継がれていると言えそうです』いいね♪
  • 上鶴間村以北の滝山道(その1)

    地誌のはざまに 神奈川県を中心に、また江戸時代前後を中心に、その地誌を掘り返して話題を取り上げていく予定です。関連する自作、他作の動画なども取り上げます。 TOP ALL Entry RSS tweet Facebook Hatena blog LOGIN blog Making 以前江戸時代の滝山道を藤沢宿から下鶴間村まで追いました。ここから北の道筋がどうなっていたかなのですが、当時の実情がなかなか十分に掴めずにいます。差し当たり、わかったことを書き並べてみようと思います。 今回も「新編相模国風土記稿」の記述からスタートします。「下鶴間村」の記述は以前も紹介しましたが、改めてここで引用します。 下鶴間の黒塀の屋敷(再掲)當村矢倉澤道、八王子道の驛郵にて、人馬の繼立をなせり矢倉澤道は幅四間、東の方人夫は武州鶴間村、道程五町、傳馬は同國長津田村、道程一里餘、二所繼立のことを司れり、西の方は人

    上鶴間村以北の滝山道(その1)
  • 相模川の「鰷」続き:「新編相模国風土記稿」津久井県の編纂の経緯

    地誌のはざまに 神奈川県を中心に、また江戸時代前後を中心に、その地誌を掘り返して話題を取り上げていく予定です。関連する自作、他作の動画なども取り上げます。 TOP ALL Entry RSS tweet Facebook Hatena blog LOGIN blog Making 先日津久井県について書き、更に「新編相模国風土記稿」の同県の産物に記された「鰷」の表記について触れました。その際に愛甲郡の表記では「年魚」「鮎」といった表記が使われていて統一が図られていないことを指摘しましたが、その経緯について「風土記稿」冒頭の「凡例」にしっかり一文触れられているのを見落としていました。読みが浅いですねぇ…。凡例を後から読んでいることがバレバレです。 一津久井縣は、愛甲、高座の二郡より、分割して此唱あり、其地は千人頭、原半左衛門胤廣、別に承はりて撰定し、天保七年呈進す、故に其體例異同あり、 (首

    相模川の「鰷」続き:「新編相模国風土記稿」津久井県の編纂の経緯
  • 相模川の「鰷」

    地誌のはざまに 神奈川県を中心に、また江戸時代前後を中心に、その地誌を掘り返して話題を取り上げていく予定です。関連する自作、他作の動画なども取り上げます。 TOP ALL Entry RSS tweet Facebook Hatena blog LOGIN blog Making 相変わらず続きが書けずにいるのでしばらく小ネタの間繋ぎが増えそうです。こういうことをやっていると浅知恵を曝け出すことになりかねないので気をつけないと…。 前回「津久井県」のことを取り上げましたが、「新編相模国風土記稿」の「津久井県」の項を見返していて、一瞬おや?と思ってしまったのが、最初の「図説」の最後にまとめられた「産物」中に出て来る次の一節です。 ◯鰷 阿由、相模川及五川より産す、道志川より産するもの一種の佳品にて、其形も亦少しく異にして、上腮頗る長くして曲れり、故に道志川の鼻曲りと呼て、賞美し、歳每に一千七

    相模川の「鰷」
  • 【小ネタ】江戸時代にも「県」があった

    地誌のはざまに 神奈川県を中心に、また江戸時代前後を中心に、その地誌を掘り返して話題を取り上げていく予定です。関連する自作、他作の動画なども取り上げます。 TOP ALL Entry RSS tweet Facebook Hatena blog LOGIN blog Making まだ先日の続きが書き上がっていないので、小ネタで間を繋ぎます。タイトルは露骨なトリビア狙いですが、多分地元の人にとっては「なーにを今更」という話なんだろうなと思いつつ…。 「新編相模国風土記稿」は全部で126巻から成り、最初の数冊で相模国全体に関して「図説」「建置沿革」「山川」「芸文」の各記述がまとめられた後、各郡毎の図説と郡内各村の紹介という順で構成されています。最初に取り上げられているのが足柄上郡、以下足柄下郡、淘綾(ゆるぎ)郡、大住郡、愛甲郡、高座郡、鎌倉郡、そして三浦郡と続きます。 問題はその次で、116

    【小ネタ】江戸時代にも「県」があった
  • 【旧東海道】その10余録:「化粧坂」について

    地誌のはざまに 神奈川県を中心に、また江戸時代前後を中心に、その地誌を掘り返して話題を取り上げていく予定です。関連する自作、他作の動画なども取り上げます。 TOP ALL Entry RSS tweet Facebook Hatena blog LOGIN blog Making さて、「(その3)」で大磯宿の歴史について説明した際に、当初高麗寺の門前町として始まった宿場がやがて海沿いへと移転したのではないか、そしてそれが、和歌などによって名勝地として知られたが故のことではないか、という見解を披露致しました。これについて、もう少し考えを深める上での材料がないかと「新編相模国風土記稿」を見返していて、その国府郷村の項に、こんな記述があるのに気付きました。◯化粧塚 西北の方、生澤村堺にあり、由來詳ならず、此所は三ノ宮明神の休息所と云、 (卷之四十 淘綾郡卷之二 雄山閣版より引用、強調はブログ

    【旧東海道】その10余録:「化粧坂」について
  • 【旧東海道】その8 旧相模川橋脚と東海道(その3)

    地誌のはざまに 神奈川県を中心に、また江戸時代前後を中心に、その地誌を掘り返して話題を取り上げていく予定です。関連する自作、他作の動画なども取り上げます。 TOP ALL Entry RSS tweet Facebook Hatena blog LOGIN blog Making 前回に引き続いて「旧相模川橋脚」を見ていきます。今回は、残った橋脚の並びから考えられることを私なりに追ってみます。 橋は現在の国道とは違う方角を向いていた (橋脚傍らの解説模型から:再掲) 神奈川県衛生研究所の建物の前から 橋脚レプリカを見通す(再掲) この遺構が相模川の流に架かっていたか否かには関係なく言えることとしては、この10の橋脚の並びが、今の国道≒江戸時代の東海道の方向とは違う方角を向いていることでしょう。国道に対して40度以上は南へ折れて橋に差し掛かる様な方向を向いています。今の神奈川県衛生研究所

    【旧東海道】その8 旧相模川橋脚と東海道(その3)
    edorune
    edorune 2013/01/25
    これは中身が濃そうですね。じっくりみなくては。
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