耽羅(たんら、ちんら[註釈 1]、とむら[註釈 2]、朝鮮語: 탐라)は、朝鮮半島沖の済州島に古代から中世にかけて存在した王国である。百済、統一新羅、高麗に内属し、15世紀初め李氏朝鮮に完全併合された。𨈭牟羅、耽牟羅(たむら)、屯羅(とんら)とも表記される[註釈 3]。 この年表の月は旧暦表示である。 紀元前58年 - 紀元前7年 高厚、高清、高季などは新羅入朝[2][3]。 476年4月 百済の文周王に朝貢した(『三国史記』)。 498年9月 百済の東城王に服属した(『三国史記』)。 508年12月 南海中の耽羅人が初めて百済国と通じた(『日本書紀』)[4]。 661年5月 王子の阿波伎らを派遣して日本に対して初めて朝貢を行った[5]。 662年2月 新羅の文武王に来降し、これ以後は新羅の属国となった(『三国史記』)。 665年8月 日本へ使者を送って来朝した[6]。 666年1月 王