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北畠清泰に関するeeldog11のブックマーク (7)

  • 門田隆将オフィシャルサイト | kadotaryusho.com

  • 植村隆氏への回答 : 池田信夫 blog

    2015年02月13日18:16 カテゴリメディア 植村隆氏への回答 元朝日新聞の植村隆氏が、あちこちに訴訟を起こしている。今週は櫻井よしこ氏とWiLLを相手に起こし、他にも多くの内容証明を送っているようだ。私には来ていないが、彼が『世界』2月号で私の『朝日新聞 世紀の大誤報』に反論しているので、お答えしておく。 彼が事実誤認だと指摘しているのは、1992年1月の「慰安所 軍関与示す資料」の記事を植村氏のものと私が書いた点だが、これは昨年12月22日に発表された朝日新聞の第三者委員会の報告書で次のように事実関係が明らかにされた。吉見氏は1991年の年末に資料の存在について東京社会部の記者であった辰濃哲郎に連絡をしたと言い、上記朝刊1面記事を中心となって執筆した辰濃は、1991年の年末に吉見氏から連絡を受けて過去の政府答弁などを調べ、当該資料の存在にはニュース性があると判断して記事化を考えた

    植村隆氏への回答 : 池田信夫 blog
  • 「強制連行」をでっち上げたのは植村隆ではない : 池田信夫 blog

    2014年12月11日17:11 カテゴリメディア 「強制連行」をでっち上げたのは植村隆ではない きのう発売の『文藝春秋』に、「慰安婦問題『捏造記者』と呼ばれて」という朝日新聞の植村隆元記者の手記が掲載されている。28ページにわたる記事のほとんどが「他社もやっていた」という言い訳と、彼が迫害されて職を失った話で、反省も謝罪もない。 特に大きな問題は「女子挺身隊」という日政府による徴用を意味する言葉を、私的な慰安婦に使ったことだ。問題の1991年8月11日の記事はこうなっている。日中戦争や第2次大戦の際、「女子挺身隊」の名で戦場に連行され、日軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」のうち、1人がソウル市内に生存していることがわかり、「韓国挺身隊問題対策協議会」(挺対協)が聞き取り作業を始めた。これについて植村は「意図的な捏造ではない」と主張し、「他社も挺身隊と書いていた」とか「

    「強制連行」をでっち上げたのは植村隆ではない : 池田信夫 blog
  • 「慰安婦狩り」吉田証言を報じた朝日記者の心性

    前年91年8月11日付の朝日新聞(大阪社版)に、「日中戦争や第2次大戦の際、『女子挺身隊』の名で戦場に連行され、日軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』 のうち、1人がソウル市内に生存していたことがわかり、『韓国挺身隊問題対策協議会』(中略)が聞き取り作業を始めた」という記事が掲載された。筆者は植村隆記者(当時)である。 この記事が大きなきっかけとなり、91年秋ごろから92年にかけて、朝日新聞を中心に国内メディアは集中的に慰安婦問題報道を展開した。「日政府は慰安婦に謝罪して補償すべきだ」という各社そろっての一大キャンペーンだった。そこに民間の運動も連動し、91年12月には、植村記事では匿名で紹介されていた金学順さんら元慰安婦たちが高木健一弁護士らの支援により、日政府に補償と謝罪を求めて提訴した。

    「慰安婦狩り」吉田証言を報じた朝日記者の心性
  • 朝日新聞の「贖罪史観」は営業と出世の道具 : 池田信夫 blog

    2014年09月13日11:32 カテゴリメディア 朝日新聞の「贖罪史観」は営業と出世の道具 朝日新聞のデータベースを検索すると、「慰安婦」は7419件、「慰安婦 強制連行」でも1046件も出てくる。しかも大阪社に集中しているのが特徴だ。大阪には在日が多いので、彼らに同情する記事を書くことがセールスの武器になった。拡販の対象は専業主婦が多いから、北畠清泰(大阪社論説委員)が中心になった「女たちの太平洋戦争」シリーズは、部数拡大に大きく貢献しただろう。 その記事は、戦争のとき子供だった女性の(真偽不明の)手紙で構成されている。たとえば1991年7月24日の「2度まで売られた私」という記事は、こんな調子だ。それならもう一度、父や弟のために働いて孝行を尽くして上げようと思いました。込み上げる涙を隠し、沖縄の女性21人と一緒にサイパン島に渡りました。昭和14年(1939)4月3日の出来ごとです

    朝日新聞の「贖罪史観」は営業と出世の道具 : 池田信夫 blog
    eeldog11
    eeldog11 2014/09/17
    自分たちを免罪するための贖罪史観か。大阪の特殊事情と会わせて面白い観点
  • 慰安婦捏造は朝日新聞大阪本社の構造問題 : 池田信夫 blog

    2014年09月10日18:13 カテゴリメディア 慰安婦捏造は朝日新聞大阪社の構造問題 きのうの言論アリーナでも説明したように、慰安婦大誤報は植村隆記者個人の失敗ではなく、朝日新聞の構造問題である。その元祖は清田治史記者だが、彼のあとを受けて慰安婦キャンペーンを張った大阪社論説委員が、北畠清泰(故人)だった。 彼は1992年1月11日の大誤報の翌日に「挺身隊の名で勧誘または強制連行され、中国からアジア、太平洋の各地で兵士などの相手をさせられたといわれる朝鮮人慰安婦」を指弾する社説を書いたと思われる。さらにすごいのは、彼の書いた1月23日のコラム「窓」だ。女性たちは陸軍の営庭で軍属の手に渡り、前線へ送られて行った。吉田さんらが連行した女性は少なく見ても950人はいた。 「 国家権力が警察を使い、植民地の女性を絶対に逃げられない状態で誘拐し、戦場に運び、1年2年と監禁し、集団強姦し、そし

    慰安婦捏造は朝日新聞大阪本社の構造問題 : 池田信夫 blog
  • 慰安婦問題の「核心」は吉田証言ではない : 池田信夫 blog

    2014年08月29日02:21 カテゴリメディア 慰安婦問題の「核心」は吉田証言ではない 集中砲火を浴びた朝日新聞が、やっと反論らしきものを出したが、その「慰安婦問題、核心は変わらず」という記事は、まったく核心をはずしている。この記事は「吉田清治氏の証言を報じた記事を取り消したことを受け、河野談話の根拠が揺らぐかのような指摘も出ている」という話から始まって、「河野談話は吉田証言に依拠していない」という結論で終わるが、そんなことは周知の事実で、今ごろ記事にするような話ではない。 核心は、朝日がこの記事でまったくふれていない1992年1月11日の大誤報だ。ここで慰安婦と強制連行を混同したことが韓国政府を勢いづけ、いったん沈静していた個人補償問題が「慰安婦問題」として再燃したのだ。このとき私も強制連行を取材していたが、それを慰安婦と結びつけて書いたのは、植村記者だけだった。なぜ彼がこういう虚報

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