眼鏡っ娘に関する考察『何故、「眼鏡を外したら美人」というイデオロギーが生まれたのか?』 http://togetter.com/li/239105 を受けての、磨伸映一郎先生による眼鏡ッ娘の自説まとめ
■ドラクエのルーラ ルーラとはいわゆるもと居た町に帰る魔法。 「そろそろ薬買い足そう」 「あーやっと攻略終わった。帰ってセーブしよう」 てな時に使う。 あと、攻略中のダンジョンから脱出するリレミト。 「うぉやっべMP足んねぇ」 「今日の経験値稼ぎはこれぐらいにしておこう」 といった理由で、ダンジョンから出てくるときに重宝する。 このタイプの魔法は最近ドラクエ以外ではトンと見なくなったし、ドラクエですらプレイヤーはめったに使わなくなった。 これが何を意味するかというと。 ■繰り返し経験値稼ぎが必要ななゲームは喜ばれない ドラクエで、ルーラ、リレミトは「便利」と評されていたわけだけど、今、「ルーラを必要とする状況」はプレイヤーに嫌われる。 そもそもルーラ、リレミトを必要とするバランスは嫌われてしまうわけ。 大体今は、どこでもセーブが当たり前で教会いかなきゃダメってのが少数派。 かつては、何度も
前のエントリから一部質問の多かった、アーケードゲームの幸福に関して。 ゲーセンのゲームというのは、とにかく短時間でプレイヤーに100円突っ込んでもらうのが正義だったからこそ、解りやすくて、刺激が強くて、短時間で面白いものになるようにと進化した。 これは、遊ぶ側も作る側も幸福だったと思う。 これが何故幸福だったかという話。 ちなみにこの幸福は「ゲーマー」と呼ばれる人種にとっての幸福。もちろん製作者にもゲーマーはいる。(ゲーマーの定義はまた今度。ゲーム貴族の定義ならこちら) とりあえずアーケードゲームの幸福、比較の為にコンシュマとネットゲームの不幸を羅列してみます。 ■アーケードゲームの幸福 アーケードゲームが商売として成り立つには以下のものが必要。 ・面白そうな外観。 アドバタイズや人のプレイを見ただけでコイン入れたくなるヒキが必要とされる。 ・絶妙の難易度と説得力。 理不尽に死んだプレイヤ
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