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ブックマーク / blog.tinect.jp (33)

  • 「スキル不足で職場に居場所がないおじさん」の救済プロジェクトに関わった時の話

    昔所属していたSI会社で、「職場に居場所がないおじさん」の救済プロジェクトに関わったことがあります。 いや、実際にそういうプロジェクト名だった訳ではなくて、確か 「キャリア再考プロジェクト」とか「スキルリデザインプロジェクト」とか、なんかそんなかっこいい名前だったような気がするんですが、 一緒に関わった先輩が言った「これ、やってることは職場で居場所がないおじさんのサルベージだよな…」という言葉が強く印象に残っていて、私の中でプロジェクト名が上書き保存されました。 まあその先輩、「リストラ前のアリバイ作りじゃねーの」とかひどいことも言ってたんですが。 どんなことをやったかというと、要するに人事部のサポートみたいな話でして、 ・所持スキルが案件に合わず、なかなかプロジェクトにアサイン出来ない人 ・プロジェクト内でスキル不足の為タスクが振れず、PMから扱いにくいとアラートが出ている人 ・要は社内

    「スキル不足で職場に居場所がないおじさん」の救済プロジェクトに関わった時の話
    el-bronco
    el-bronco 2019/09/30
    もし組合活動が盛んな世の中なら、皆、自分の将来も重ねて、こういう人もそういう活動の中で包摂したろう。しかし今は自己責任時代とやらで、はじき出される。擁護しない連中は、挫折したことがないのだろうか。
  • 「叱られて伸びる人」なんて都市伝説です。「褒められて伸びる人」なら、たくさんいるけど。

    そこそこ長いこと管理職をやっていて、「叱られて伸びる人」を見たことがありません。 いや、これは勿論私の観測範囲の問題であって、この世に「叱られて伸びる人」が存在しない、と言っている訳ではないんです。 もしかすると、「叱責されたことや叱責された内容を糧として、大きく自分の能力を伸ばす人」というのが、世の中には数多存在するのかも知れません。 それを否定する気はありません。 ただそれでも、「叱られてもそれ程気にしない人」こそいるものの、大多数は「叱られたら単に委縮してしまうだけであって、立ち直るまでしばらくパフォーマンスが低下する人」であるように感じています。 そういった人は、立ち直った後でも別段能力が上がったりはせず、総合的なステータスは叱られる前と比して大差ないように見えます。 そもそも、「叱る意義」ってどの辺にあるんでしょうか? 勿論、何かしらミスや失敗があった場合、もうそれを繰り返して欲

    「叱られて伸びる人」なんて都市伝説です。「褒められて伸びる人」なら、たくさんいるけど。
    el-bronco
    el-bronco 2019/02/08
    上に来ると叱りたくなるという病。
  • 私が仕事をしてきた中で「最も合理的」と感じたリーダーの話。 | Books&Apps

    もうずいぶん前のことになる。 あるIT業の業務改善プロジェクトに、私はいちメンバーとして参加した。 その会社のプロジェクトメンバーは全部で8名。期間は約9ヶ月だった。 経営陣肝いりの、それなりに大きいプロジェクトである。 そのため、プロジェクトマネジャーは、掛け値なしに優秀であった。 指示は的確で、果敢に新しいことにチャレンジするが、無用なリスクは取らず、守りが堅い。 メンバーとの関係も付かず離れずとバランスが良く、理想的な人物だった。 だが経験的に、プロジェクトメンバー全員が優秀であることはほぼない。 政治的な理由からか、教育効果を期待してなのか、リストラ予備軍だからなのか、それとも単なる人手不足なのか。 理由は様々だろうが、プロジェクトメンバーの中に、必ず2,3名はボンクラが含まれているのである。 そして、プロジェクトは一定の期間内に成果を出す、という厳しい制約があるため、無能の扱いを

    私が仕事をしてきた中で「最も合理的」と感じたリーダーの話。 | Books&Apps
    el-bronco
    el-bronco 2018/09/21
    気持ちよさそうに書いている様子が浮かぶ
  • なぜ「何を言ったか」よりも「誰が言ったか」のほうが圧倒的に重要なのか、ようやくわかった。

    私が知る限り、もっとも人心掌握に秀でたマネジャーの一人は、あるSIerのMさんだ。 といっても、Mさんは特に人望があるわけでも、人徳が高いわけでもない。 そういった定性的な話ではない。もっと実務的なのだ。 実は、彼が人心掌握に優れていると判断する理由は、「人を動かすこと」の巧みさゆえである。 私が言わない方がいい、彼に言ってもらおう 私がMさんの人心掌握術の巧みさを知ったのは、「情報セキュリティ対策プロジェクト」の時だった。 ご存じの方も多いと思うが、セキュリティ対策はさまざまな日常の手続きを煩雑化することがある。 例えばお客さんとの情報のやり取りに関する制限がかかったり、記録をつけなければならなかったりなどだ。 Mさんの部下も例外ではなかった。 現在進行中のプロジェクトの情報のやり取りに問題がある、とセキュリティ監査で指摘され、その改善策として上から提示されたルールが、かなり煩雑なものだ

    なぜ「何を言ったか」よりも「誰が言ったか」のほうが圧倒的に重要なのか、ようやくわかった。
    el-bronco
    el-bronco 2018/04/07
    そういう意味だっけ
  • オジサンを勝手に敵にするのは、もうやめた。 | Books&Apps

    社会で一番活躍しているのは、働き盛りのオジサンである。 その一方で、日で一番嫌われているのも、もしかしたら「オジサン」かもしれない。 なぜ「オジサン」はイメージが悪いのか? 若い女のひとりであるわたしが、ちょっと考えてみた。 日の大黒柱「オジサン」は嫌われている? 「オジサン」について書くのであれば、まず「オジサン」を定義する必要がある。 わたしはいま26歳で、親は50代半ば。わたしとしては、「自分より親と年齢が近い人」を「オジサン」と定義したい。つまり、40代以上で定年を迎える60歳以下の男性だ。 この年齢は、世間一般のイメージとも合っていると思う。 さて、日を動かしているのは、このオジサンたちである。 オジサンと同年代の女性の多くは寿退社しているだろうから、必然的に管理職ポジションにいるのは男性、そしてオジサンである。(日に女性管理職が少ないのは周知の事実だ) ところが、日

    オジサンを勝手に敵にするのは、もうやめた。 | Books&Apps
    el-bronco
    el-bronco 2018/03/09
    世の中は叩きやすいものをたたく。それは幻想のおじさんだった。
  • 自信をアウトソーシング出来た団塊世代と、それが出来ないロスジェネ以後の「自信格差」がひどい。

    十年ほど前に海外旅行した際、仕事を引退したばかりの団塊世代の男性の一団としばらく過ごす機会があり、過去の経験をあれこれ訊ねてみたことがあった。 訊ねられた彼らは、苦労話を交えつつ、あれこれの“武勇伝”や“成功体験”を語ってくれた。 過去を振り返るときの彼らの表情には、自信が感じられた。個人の経験談を語る時だけではなく、“昭和”や“高度経済成長”という時代を回想する時にも、似たような表情を浮かべていた。 ところが、ついさっきまで自信と誇りに満ち溢れていた男性が、一転、頼りない姿をみせてびっくりさせられる場面もあった。 奥さんや旅行添乗員には少し偉そうな男性が、外国人と相対する場面では奥さんに頼ってしまう場面などである。当に自信に満ち溢れている人なら、場面や状況によってそこまで態度が変化するとは思えないのだが。 団塊世代の彼らは確かに自信が満ち溢れていた。 だが、その自信はどこまで当人に内在

    自信をアウトソーシング出来た団塊世代と、それが出来ないロスジェネ以後の「自信格差」がひどい。
    el-bronco
    el-bronco 2018/01/06
    身に付けるものやステイタスに依存する人も価値や自信のアウトソーシングなんだろうな
  • 「努力できる人」は、報われないかもしれないのに、なぜ努力できるのか。

    努力できるのも才能のうち、とよく聞く。 「できないのは努力していないからだ」という意見への反論として言われることが多いように思う。 つまりできないのは努力していないからではなく、(努力する)才能がないからだ、と。 努力が才能なのかそうでないかについてここで論じるつもりはない。 ただ、努力している人がどういう心理で努力しているのかについて考えてみたので、書いていきたい。 努力しない人、あるいは努力する才能がない人にとって、努力している人は不思議に見えないだろうか。 報われないかもしれない未来に対して時間と労力を費やす行為の連続は、必ずしも賢い選択をしているように見えるわけではないだろう。 よほど目標への思いが強いのか、向上心が溢れているのか、成長意欲が高いのか……努力している人は、とにかく並大抵ではない思いを抱いている人に違いないと思ってしまうかもしれない。 でも、私は意外とそうではない人が

    「努力できる人」は、報われないかもしれないのに、なぜ努力できるのか。
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    el-bronco 2017/07/13
    報われるのポイントが人それぞれ違うから
  • なぜ「おじさん」「おばさん」は、人生の下り坂に耐えて生きていけるのか。

    太く短く生きたい若者が、細く長く生きたい中高年層になる瞬間について 「あんまり長生きなんてしたくないんだよね。若い頃にしっかりと人生を楽しんで、太く短く40歳ぐらいで死ぬ方が、細く長く生きるよりも全然いい」 こういう事をいう若い人は結構多い。僕も若い頃はこんな感じの事をよく言っていた。 ところが働き始めた後、ある程度年配の方と接するようになってみて、この世に未練がある人が驚くほど多いという事がわかり非常に驚いた。 この人達に詳しく話を聞いてみると、この人達も若い頃は太く短く生きるのが理想だったけど、実際に自分が40~60になってみると昔は忌み嫌っていた細く長くの生き方に執着するようになってきたというのだ。 これは、私よりも一回り若い医師ブロガーの、高須賀さんによる文章だ。 アラサー時点の気付きを書き綴った文章として、共感できるものだった。たぶんだけど、この気付きだいたい当たっていると思う。

    なぜ「おじさん」「おばさん」は、人生の下り坂に耐えて生きていけるのか。
    el-bronco
    el-bronco 2017/06/15
    最初から下り坂だからこの発想はなかった。お年寄りと話すと分かる。いつ死ぬかわからない。でも楽しく生きていようとしてる。粛々と刹那を生きているのはお年寄りなのだ。傲慢な若いパンクスとかではない。
  • 人間の幸福は「健康でいたい。モテたい。お金が欲しい。人から尊敬されたい。」に集約される。

    僕は業で医者をやっているのだけど、こういう立場になってみると、健康というものがいかに人の精神状態にとって大切かという事がよくわかる。 どんなにお金があろうが、どんなにモテようが、その幸せを享受するための土台としての健康が損なわれていたらどうしようもない。 健康は人の基盤だ。くれぐれも自分の身体は大切にいたわってあげるべきである。 とはいえいくら身体が健康そうでも、あまり幸福そうでもない人がいるのも事実だ。幸せというのは手に入れるのが難しい。みんなが欲しがっているものなのに、それを手に入れている人の数は驚くほど少ない。 最近、様々な実例を観察した結果、人間の幸福についての概略図のようなものが頭の中でまとまってきたので、今回は幸福について書いていこうかと思う。 人間の幸福モデル 多くの場合、人の幸せは大体以下の図のような形で規定されている事が多い。 これだけだと何のことかわからない人もいるだ

    人間の幸福は「健康でいたい。モテたい。お金が欲しい。人から尊敬されたい。」に集約される。
    el-bronco
    el-bronco 2017/05/17
    身も蓋もないけどだいたいその通りだと思う。
  • コミュニケーション強者は、他者の承認欲求を極めて巧みにコントロールする。

    人は多かれ少なかれ「承認欲求」によって突き動かされる。 ということはつまり、自分の承認欲求は抑制し、他者の承認欲求を満たせる人、つまり 「自らは控えめにし、代わりに他者を持ち上げる人」 が、いわゆる「コミュニケーション強者」になりやすいということだ。 そして、一部の政治家、経営者など、カリスマ的能力のある人は、この承認欲求の操作に極めて長けている。 例えば、最もカリスマ性があるとと言われた政治家の一人、田中角栄には、次のようなエピソードがある。 田中は秘書から金を配るとき、秘書の方から頭を下げて、納めてもらうべく丁重にお願いするように指示した。 「いいか、きみが候補者にカネをくれてやるなんて気持ちが露かけらでもあればかならず顔色に出る。そうすれば相手は百倍、千倍にも感じる。百万、二百万を届けたところで一銭の値打ちもなくなるんだ。」*1 この言葉こそ、承認欲求コントロールの達人の言葉だろう。

    コミュニケーション強者は、他者の承認欲求を極めて巧みにコントロールする。
    el-bronco
    el-bronco 2017/03/14
    なるほどそのために肩書や業績や見てくれに下駄を履かせたがるのか。
  • 老人が尊敬される時代は終わった

    かつて、「老人は敬うもの」という価値観が日にはあった。いや、そういった価値観が残っている地域も残ってはいるけれども、老人への尊敬全般は目減りしているように思える。 “老人を敬う”という価値観が、前提ではなく限定へ、そして衰退へと向かっている背景にはどのようなものがあるのか?価値観の変容を促した要因にはどんなものがあるのか?この文章では、“老人が持つvalueの低下”という視点から、幾つかの要因を考えてみる。 老人一人あたりのvalueが低下している時代 私は人間にvalueという言葉をあてがう事には抵抗感があるが、かつて老人が尊敬されていた時代においては、老人は無条件に敬われる存在というより、共同体・家族などに大きな貢献をする存在とみなされていた。 キリスト教文化圏ではどうだか知らないが、儒教文化圏であれ、ポリネシア文化圏であれ、老人には老人ならではのvalueがあったし、平均寿命の短さ

    老人が尊敬される時代は終わった
    el-bronco
    el-bronco 2016/12/21
    今の若者も、地続きで年寄りになるよ。その頃の状況はもっと進んでいるかもね。
  • キャビンアテンダントはできる男かどうかを靴を見て判断してるらしい。私はその説を信じます

    こんにちは。出張磨きサービスを行っているニイナナ株式会社「ミガクル」広報部です。 この場をお借りして広報活動をさせてもらってます。社長の堀江です。 私は、月200足以上はを磨いてきました。新規顧客営業で苦労したこともあり、最近はどのような方がを磨いてくれるのかがだんだんわかってきました。今日は、そのような経験で気づいことをお話したいと思います。 女性のキャビンアテンダントの方から聞いたお話です。 「ある時好みの男性がいたけれど声をかけようとしたら、先輩に『その人はが汚いからダメよ』と言われた」 という話を聞いたことがあります。 その話を聞いて、私はなるほどなあと思いました。それ当に当たっていて、仕事のできる人は間違いなくが綺麗なのです。ほぼ100%なんじゃないかと思えるくらいです。 なぜならば、足元って目線のいちばん下にあって「」の手入れが行き届いている人は、細かいところまで

    キャビンアテンダントはできる男かどうかを靴を見て判断してるらしい。私はその説を信じます
    el-bronco
    el-bronco 2016/07/23
    この伝統芸能、ナカナカすたれないですね。後継者が絶えませんからね。「○○が語る仕事のできる男は××が□□…」
  • 「なぜ会社員は稼げないのか」を教えてくれた経営者の話

    「会社員は稼げないよ」と私はコンサルタント時代、出会う多くの中小企業経営者に言われ続けた。 「そう言われても……」と思いつつ、彼らの稼いでいる金額を聞かされるたびに、私は驚きを禁じ得なかった。 せいぜい30人程度の中小企業であっても、それなりの割合で経営者は3千万円以上の報酬を手にしている。100人を超えている企業で、長く続いている企業であれば、億単位で報酬を手にしている経営者も珍しくない。 「上場企業の社長の報酬が数億円」で驚いている場合ではない。儲かっている中小企業の経営者の報酬は、それこそ青天井である。 だが、多くの経営者はそれを黙っている。「従業員には言えないよ」と私はなんども聞かされた。 もちろん彼らはリスクと隣り合わせである。何かの拍子で会社が傾けば手元に残るのは借金であるし、従業員の不始末を自らの責任にしなければならない時もある。 だが「リスクを取っても経営者になりたい」とい

    「なぜ会社員は稼げないのか」を教えてくれた経営者の話
    el-bronco
    el-bronco 2016/06/15
    “せいぜい30人程度の中小企業” ← これ、すごいことだと思う。30人雇用を「せいぜい」というのは、ちょっと違う気がします。3000万くらいは妥当でしょう。